第10話 楠原 さゆ、という少女
「……しっかしあれだな?」
「なによ?」
机にノートを広げながらシャーペンをくるんと回転させた蔵人に、教科書を片手で開いて公式の説明をしていたさゆが顔を上げた。
「……いや、さゆってゲーム三昧のわりに宿題とか忘れないよな」
「休み時間や帰宅してすぐ終わらせるからね。ここはこれとこれを掛けてからね」
ぼやくような蔵人に答え、ついでに解説するさゆ。
宿題をただ見せるのでは無く、しっかり解かせるのが彼女のやり方だ。
蔵人は少し嫌そうにしながらも、素直に問題を解いていく。
その顔が突然はれやかになった。
「おおっ! 解けたぞ?! さゆ!」
「そうね。その解き方、忘れちゃダメよ? はい次」
喜ぶ蔵人をスルーしつつ、さゆは次の問題を示した。
それを見た蔵人は不満そうに眉を寄せて下くちびるを突き出した。
「……つめてーなぁ」
「文句言わない。ホームルーム始まっちゃうでしょ?」
「へーい……」
さゆの言葉に蔵人はしぶしぶ問題を解きに戻った。
「……そーいやよ」
ノートに視線を落としたまま、蔵人が口を開いた。
「解けたの?」
さゆは意外そうな顔になって蔵人を見るが、彼はまだ解いてる最中だった。
「いやまだだけど、なんか面白そうな事に首突っ込んでるんだって? “リム”」
「……リアノンね? まったく……あなたには関係ないでしょ? “アサクラ”くん?」
互いに“MetallicSoul”内のプレイヤー名を呼び合う。
ふたりはリアルだけでなく、ゲーム内でのフレンドでもあった。
「……なんか人集めが滞ってるってさ。俺んとこに話が来たんだわ。ほい解けた」
「……ん、正解。っていうかリアの奴、身内に声掛けてんの?」
蔵人が解いた公式と解法をチェックしてからさゆは顔をしかめた。
どうやらメンバー集めはよほどうまくいっていないらしい。
「……ランランやクズ男にまで声かけてないでしょうね……次はこの問題ね」
「うーい。その辺りは俺も聞いてねーしなー。つーかお前は参加しねーの?」
次の問いに取りかかりつつ訊いてきた蔵人に、さゆは肩をすくめた。
「わたしはメックスミスだもの。機体を用意するまでがお仕事よ。まあ面白い仕事になりそうだけど♪」
えへらと笑ったさゆに、蔵人は呆れたようになった。
「……お前、ほんとにロボット作るの好きな。ゲームでもリアルでも」
「別に良いでしょ? あ、ロボ研に顔出しとかないと……」
蔵人の言葉に思い立って、さゆはハガキ大のプレートを取り出した。
画面をタッチして文面を素早く組み上げるとどこかへメールを出した。
「これで佳し。解けた?」
「……まだ」
尋ねてきたさゆに、蔵人はしかめ面になりながら返した。
ふたりの通う県立羽山高等学校は、偏差値は高くないがアットホームな校風で知られる学校だ。
都会からは少し外れた場所にあるこの高校は、ちょっとした小山ひとつを切り開いて建てられていた。
設立からまだ四年と若い学校であるが、敷地面積も広く設備は充実しており、まだまだ真新しいと言って良いほど建物は綺麗だ。
そんな羽山高校の生徒数は約九百人ほどで、その敷地面積からすると人口密度は低いと言わざる終えない。
なにしろ生徒数三千人を快適に学ばせることが出来るとパンフレットに記載されるほどだ。
そんな高校だが、まだまだカリキュラムは試行錯誤中であるようで、授業内容にこれといった特徴は感じられなかった。
その授業を終えた学生一同は、放課後の活動に移っていく。
羽山高校の部活動はよくある野球部やサッカー部、美術部など一般的なものから流鏑馬研究会などというマイナーなものまである。
蔵人は自ら所属するサッカー部へ。さゆは「ロボット研究開発部」へ向かう。
一般的に言ってこの「ロボット開発研究部」、略してロボ研という部活動の存在は、特異と言えるだろう。
この手の部活動などが存在しえるのは工業高校だ。羽山高校は普通科、商業科、工業科と複数の学科を抱えている。
選択できるのは2年次からになっているが、自分の興味に向いた学科を選べるというのはやはり魅力的であろう。
そんな高校だからこそ、旋盤やプレス器のような本格的な工業機械類もある。
ロボ研は、工業科の生徒を中心とした工業系の部活であり、そこは自分達で設計製作したロボットを動かすというロマンに期待した少年たちの巣窟であった。
去年までは。
この高校に四期生として入学したさゆは、一年次では工業系の授業が無いことに落胆しつつ、みずからの夢を叶えるために、このロボ研に入部したのだ。
そんなわけでロボ研の紅一点となったさゆだったが、見事なまでにロボットと、これを作成する為の知識と技術にしか興味がなかった。
彼女の幼なじみである蔵人の台詞ではないが、この女、筋金入りである。
そのロボ研では今、秋に開催される汎用作業機械コンテストに向けて準備中である。
これは企業も注目するロボットのコンテストだ。
ロボット同士の対戦形式で規定の課題のクリアーを妨害ありきで目指す大会で、全国からアイディアと技術に自信のある高校が参加してくる。
このコンテスト参加に向けてロボ研は動いていた。
さゆ自身、この大会への参加は望むところであり、とても張り切っている。
しかし部の紅一点とはいえ一年生。
現状で彼女が関われることは少ない。
なので、締め切りが迫っていた設計コンセプト書を提出しに部に顔を出しただけだった。
「それじゃ先輩。これ、私の設計コンセプトです」
「……ああ、置いといて」
部室で図面を引いている先輩に声を掛けるが、見向きもされない。
入部当初はちやほやされていたさゆだったが、愛想が無い上に黙っていればイケメンな幼なじみが近くをうろちょろしているとなれば興味を削がれてしまうのは仕方ないといえよう。
さゆ自身もあまり気にした様子もなく、すぐに「失礼しました」と部室を辞していた。
さらにもう一件用事を済ませたさゆは、そうそうに家に帰った。蔵人を待つ気ゼロである。
まあそんなにベタベタした関係ではないと、さゆは思っているが、周囲の見解はまた違ったりする。
人の関係など、得てしてそんなものだろう。
帰宅したさゆは 母親がリビングでくつろいでいるのを横目で見ながら「ただいま」と一言投げ掛けながら自室へと向かった。部屋に入るなり制服を脱ぎ捨てながら鞄を大きなクッション一に放る。そして新しいスキャンティだけひっつかんで下着姿のまま浴室に向かった。
軽くシャワーを浴びてホコリを落とし、濡れた頭にバスタオルを被りながら、スキャンティ一枚で自室へと戻る。
彼女のささやかな女の御徴はさらけ出されたままだ。
「さゆっ! あんたまたそんな格好でっ!」
「ごめんなさーいっ!」
母親の叱責を背に、さゆは自室へと逃げ込んだ。
部屋のドアを閉めて大きく息を吐いた。
「……はあ。誰に迷惑掛けてる訳じゃあ無いんだし、気にしなきゃあ良いのに」
ぼやくようにつぶやくさゆ。
しかし、年頃の娘が夕暮れにもならぬ時間から半裸で家の中をうろつけば、親としては小一時間ほど言いたいことがあるだろう。
だが、そんなことは露知らず、さゆは濡れたバスタオルを丸めて部屋に転がした。
「ま、良いや。早いとこ向こう行こーっと」
さゆは鼻唄混じりでベッドに向かうと、寝巻きがわりの大きなTシャツを着て、そのまま変換器を頭にかぶった。




