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庭をいくら堀りかえしてみたところで、もう鳥を内に秘めた石を発掘することはできなかった。かくしてぼくもまた、魔法のいましめから解き放たれたことになる。
そしてコトバによる映画だけが残った。
映画。実際のところ、コトバに依存するそのフィルムは、かなりの分量、アイハラが撮ったものと混ざりあってしまっている。どこからどこまでがアイハラのもので、あるいはぼくのものなのか、すっかり区別のつかない映画になってしまった。
ユーリもアイハラもみえなくなった。きっと彼らは世界の外、輪廻するフィルムの外部へと逃れて行ってしまったにちがいない。
だが、残った。コトバによる映画が。
このコトバによるフィルムさえあれば、ぼくはユーリと会うことができる。さらには、これを読むものはひとしく、脳内で上映される映画のなかで、ぼくとユーリ、それにアイハラと遭遇することだって可能なのだ。
映画のタイトルは、「鳥はどこからきてどこへゆくのか」。
パチンと指を鳴らせば、あなたの意識はくらくなり、フィルム内世界へと迷い込む旅人となる。
「じゃ、そういうことならあたしも行かないとね」
コトバによる映画を見終わった女の子は水鉄砲の引き金をひくと、ぼくの顔めがけて噴射した。ご満悦の表情で、にっこり笑う。大抵は顰め顔をしていた女の子だったから、こうして笑う表情は新鮮だったし、なにより可愛い。
もう大学はこの街で開講されることはないだろう。かつて学生だった人々もそれぞれの日常へと帰還した。ぼくもそうだ。でも、帰還できなかった人間もいる。というわけで、この子はここに居る。
「ひどいな」
手の甲で水を拭うと、ぼくは傍に坐っている女の子を睨みつけた。
映画を見終わったあと、河原で石を投げる子どもたちの投石フォームをあれこれ品評する女の子だったが、時刻はそろそろ黄昏の時間帯へと近づきつつある。
だが、空はまだ依然として、きらきらしく、まばゆい光に満ちている。
土手の草が疎らに生える傾斜にふたりして並んで腰掛けていたが、彼女は立ち上がり、制服のスカートをはたくと、こう言った。
「つまんないと思ってたけど、わりかし映画、おもしろかったよ」
「それはどうも」
「じゃ、行ってくるね」
「どこへ行くのかな」
ぼくは問う。
「水の魔法つかいたちのいるところだよ」
彼女は柔らかく笑うと、仄かに空気が夜のそれへと香り、やがて菫色に傾きはじめる方向にむかって歩いていった。
水と火の戦いが、かつて勃発した。サカナと、火竜ことサラマンドラにまつわる新たな映画のはじまりだった。