⒏
アイハラとの対決の場所は、やはり河原だった。
鳥は、――と思い、ぼくは空を見上げる。
きらめくブルーの光のなかに鳥はいない。いっさいは空に吸収され、雲の上の国へと昇華してしまったのだ。
音をたてずにアイハラが草を踏みしめ、こちらへと近づいてくる。授業のある日ではなかった。ここにいるのは、ぼくらふたりだけ。河原で会うことをあらかじめ約束していたわけではない。だが、ぼくには、……いや、「ぼくら」にはわかっていた。魔法の戦争はまだ終わってはいない。
アイハラを睨みつけ、ぼくは言った。
「ユーリをかえせ」
いいたいことはそれだけだ。
ぼくの知っていることもあれば、知らないこともある。アイハラがここにきたということは、――情報を、というか、秘密を開示してもよい、というサインでもあった。
護符的なしるしやシンボルを扱うという点で、魔法つかい同士の戦いとは、ある意味、情報戦といっていい。そして知らないという、ただその一点において、ぼくは劣勢にたたされていた。だけど、そんなことはどうだっていい。
知りたい。ユーリのこと、ぼく自身のこと、魔法を行使した戦いのこと、そしてぼくとアイハラの先祖のことを。
大気はあかるい。春の空気は朗らかにぬるみ、笑っているかのよう。にもかかわらず、アイハラの凍てついた表情はこれまでとおなじ、何の変化もみられない。
アイハラはいった。
「鳥は鳥みずからの意志で去ったのだ」
鳥とは、ユーリのことだ。
すかさず、ぼくは訊いた。
「教えてほしい。鳥はなぜ、みずからの意志で雲の上の国へと帰還したのかを」
「きみはどこまで知っているんだ?」
「殆ど知らない。だからきみに負けるかもしれない」
アイハラの表情が僅かに動いた。
「では、何を知りたい?」
「すべてを」
「なら、失うものは多い。いいのか?」
「もちろん。ぼくが知っていることはといえば、ぼくの家が古戦場跡だということと、ぼくが空気系の魔法つかいの末裔であること、そして今もどうやら魔法がほんの少しだが、使えるらしい。それだけだ」
「使えるのか?」
「使ったことはない。ただ、そんな気がするだけ」
「……わかった」
そういうと、アイハラは右の人さし指をふった。それが映画の上映をはじめる合図であることはすぐに了解された。コトバによる映画。ぼくにはこれまで明らかにされてこなかった未知の映像の断片だった。これを足して補ってやれば、ぼくがつくろうとしていたコトバによる映画は完成することになる。
脳の銀幕に魔法つかいたちの歴史をつづった映画が上映された。それも、ぼくが知らなかった歴史的事実ばかり。これの意味するところは魔法つかいとしてはアイハラの方が、ずっと技倆が上だってこと。シンプルに悔しい。だが、いまは知りたい。だから、もっと情報を。ぼくは映画に没入した。
脳が青になる。
空にいるのだ。
アイハラのコトバが風になり、飛翔する鳥のシルエットになって語りだす。そして思いだす。ぼくらが風の魔法つかいであったことを。
アイハラは語った。
むかしはみんなが喋っていた、いにしえの風のコトバによって。
……むかしむかしの魔法つかいたちの起こした戦争により、鳥類は武器として大量に消費され、石の卵へと変えられてしまった。
むかしはもっとたくさんの鳥がいたのだよ。
だが、じつのところ鳥の数は古来より一定数しか存在しない。減りもしなければ増えもしないのだ。近年、鳥の需要は増し、しかし、一定の数しかいないため、あちこちで深刻な鳥不足が起こっている。鳥不足は生態系の危機を招く。鳥が原因で人類が死滅することだってあり得るのだ。
だからぼくの一族は古戦場跡を探し、石の卵を求める旅をしてきた。コボルト系の術師の末裔から、石化の魔法をリセットする方法を学んできた。石の卵を孵し、回収し、雲の上の鳥のすむ国へと戻すために。
そしてユーリ。
鳥と人間のあいだに生まれた少女も例外ではない。
ぼくらはすべてを元に戻す。
鳥の種子は雲の上で魂と翼を休ませたのち、再びそらの下へと降りてくる。
鳥は空と地を循環する。それはまた、古代の自然科学的な思考、すなわち魔法大戦以前の循環のただしいあり方の再興といってもいいだろう。
古戦場跡に眠る鳥は厖大だ。
石から孵った鳥を導くため、ぼく自身がロープをもちい、雲の上の国に昇っていかなくてはならなかった。ぼくは鳥たちの先導役なのだよ。
口さがない人たちはぼくのこと、ハーメルンの笛吹き男だと揶揄するけどね。
アイハラの語りは終わった。脳がアオになるユメの終わり。大気圏上層の夢からさめ、ぼくは再び、ここにかえってきた。
映画はすべてを物語っていた。アイハラのしていることは、おそらく世界ぜんたいからみるなら善に属することだろう。でも、ぼくは、いった。
「かえせ」
「知っているだろう」
アイハラはみじろぎもしない。
「でも、かえせ」
「ついてこい」
そういうと、アイハラは水の流れのあるほうに踵をむけた。
「どこにいく?」
ぼくの問いにこたえない。枯れたセイタカアワダチソウの残骸を踏みしだき、アイハラは水辺にたった。そして勢いよく流れる河に足を踏みだそうとする。ぼくは驚く。彼は淵に落ち、
……しかし、
アイハラは河の上を歩く、というか軽やかに滑る。水の流れに乗り、みるみるうちに遠ざかる。待て、と叫ぶのも滑稽だ。彼は誘っている。ぼくもまた、水の上に乗ればいいだけの話だ。
ぼくにそれだけの力があるのだろうか。
怖気付いている暇はなかった。アイハラは下流へと遠ざかり、すでに豆粒ほどの大きさになっている。行かねば。
足を踏みだしたとたん、視界がぐちゃぐちゃになった。
青の氾濫。
上下にゆさぶられ、からだが傾く。それと水しぶき。水音が耳の中にあふかえる。
視点が低くなったが、ぼくは河に落ちたわけではない。なんとか姿勢を保ち、水の上を歩行しようする。しかし、違うな。歩こうとしてはいけないのだ。
コツはそう、すべること。滑空することだ。空をとぶ。それとおんなじ。空気を操り、水の上を飛べばいい。水の上、すれすれを白い飛沫を上げながらホバリングしている。はじめのうちは夢でもみてるんじゃないかって思った。だって、ぼくに魔法がこんなふうに現実的につかえるだなんて思いもよらなかったから。
でも、わかってきた。古い血が疼く。ぼくはやっぱり魔法つかいの子孫なのだ。
空気を操って水上を猛スピードで滑空しているという自覚はある。
岸辺の風景がうしろにながれてゆくのをみるのは痛快だった。堤防の上でぼくのことを指さし、叫んでいる子どもがいた。思わず笑いだしそうになる。
愉快だ。すこぶる愉快だった。自然を意のままに操ることが、これほどまでに楽しいことだったとは。
ユーリのことは、忘れた。このとき、すっかり彼女のことは忘れていた。
ぼくは魔法つかいの末裔だ。もっとずっと高い空だってとべるかもしれない。期待に胸が躍る。たったこれだけのことなのに全能者にでもなった気分。
アイハラの背中がみえる。もっとスピードをだせば追いつける。だが、その時だった。
何が起こったのか咄嗟にはわからなかった。空が消えた。ぼくは水を呑み、むせかえった。水が押し寄せる。必死になって手肢をうごかす。足が河床についた。思ったより水量が多くなかったらしい。激しく咳き込みながらぼくは身を起こし、岸辺へとざぶざぶ音をたてて水をかき分けながらすすんだ。
ずぶ濡れになって岸に這い上がり、アイハラを探した。
彼の姿は、どこにもなかった。
魔法は今の時代、罪悪なのだ。
ユーリの哀しげな瞳が眼に浮かぶ。
アイハラは終わりのない罰ゲームの世界に生きている。