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「あの、教授」

「なんだい?」

 咄嗟に男の子の教授は声のする方に向きなおった。

「ぼくから提案があります」

「ええと、きみは?」

「アイハラといいます」

「ふうん、アイハラくん? では、聴こうか。きみの提案を」

 話の腰を中途でへし折られた感があってぼくは不快な気分になったが、アイハラのする話にも興味があって口をはさむのをやめた。ユーリをうかがいみると眼を輝かせながら恋人の方を注視している。ぼくは嫉妬に襲われ、苦しくなった。

 アイハラは淡々と話をした。

「彼のいったことを補足したいんです。どうしてかっていうと、ぼくにはエグチのいわんとするところがよくわかる。でも、彼はすべてを神の視点で把握してはいない。というのも彼が愚者とかそういうことじゃなくて、ただ当事者ではない、それだけのことなんです。そう、彼は知らない。まるでわかっちゃいない。だから、ぼくが彼のコトバによる映像を補足したいと思うのですよ」

 ギャラリーがどよめき、困惑の声が上がった。いっていることが、どうも支離滅裂だ。それにぼくのこと、バカにしている。もとはぼくがはじめた話だというのに、なぜアイハラが話さなきゃいけない? アイハラが、ことの全貌を把握しているとでもいうのだろうか?

 教授は問いただした。

「どうするんだね」

 アイハラはうなずく。

「ええ、これです」

 みんなは彼の手もとを覗きこんだ。たすき掛けにした帆布製はんぷせいの黒い鞄から取りだしたのは、ずしりと重たげなロープの束だった。

「ロープだね」

「そうです、見てのとおり」

「それで?」

「手品ですよ」

「手品? 映像じゃなく?」

「いえ、ですが、やっぱり映画でもある。メリエスの時代から」

 抑揚よくようの乏しい声でアイハラはそういった。ロープを前方に投げだす。と、ばさりと重たげな音が聴こえた。そして白い手袋を両手にめる。何をするのかな、とみていると、アイハラが右の人さし指を立てた。とたん、ロープの尖端せんたんが蛇のように首をもたげた。なんだ、なんだという声が上がり、ギャラリーが騒然とする。

 ロープは真っすぐ立つと、するするといった具合に空に伸びていった。まるで雲の上に天使がいて何かフックのような道具をつかい、手繰たぐり寄せているかのようだった。

 いくらもたたないうちにロープは空に巻き取られていった。アイハラのすぐ眼のまえにロープのはじっこが垂れ下がっている。

「では、みなさん」

 アイハラはギャラリー全員を眺めわたすといった。まるで感情のこもっていない棒読みのセリフだ。

「行ってきます」

 右手でロープを摑むと、軽く引っ張った。あたかも何かにむかって合図を送ったかのようだった。すると上から強引とでもいえる力が働き、思いも寄らない猛スピードでアイハラは引き上げられていった。みるみるうちに小さな黒点となってしまう。やがて空の青に呑み込まれてしまい、アイハラは消えた。すっかり消えてしまった。まるでコミカルな映画のワンシーンでもあるかのように。

 映画だったら、ここはもしかしたら笑うところなのかもしれなかった。が、だれひとりとして笑う者はいなかった。

 女子高生が突然、鋭い金切り声を上げ、泣きだすとぼくらは我にかえった。

 いま生じたできごとは夢ではなかった。

 女の子は水鉄砲を枯れた草のうえにぽとり、と落とした。そうして、まるで年端としはのいかない子どもがそうするように両手をまぶたにあてがい、泣きじゃくりながらぼくらのサークルから離れていった。

 よほど、ショックだったに違いない。

 ぼくだって怖い。

 おそるおそるユーリをみた。ぼくの視線に気づくと、にっこり笑った。そしていったのだ。恋人がいなくなってしまったのに、さも平然と。

「鳥を見に行ったんだよ、たぶんね」


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