Vol.7
漆黒の騎士はまたも自分の前に進み出たヒューイに対し、脅威は感じていなかった。
鋭い剣筋をしているが、<漆黒の呪い>を受けている自分とでは、どう足掻いても越えられない壁がある事を先ほどの一撃で確信出来ていた。
まして、この敵対する男は魔力を持っていない。これが決定的な差である事は否定のしようもないはずだ。
そうなれば考える事はただ一つ、どうやって殺すかだけであった。
対するヒューイも、先ほどの一撃を受け止められた時点で実力差については感じていた。
自分が達人だとは思っていないが、過去数えきれない程の命のやり取りを行ってきただけに、自分と相手の生死を分かつ決定的な差というものを嗅ぎ取るだけの嗅覚は持っていると思っている。
相手がただ身体能力に優れているだけならどうにか出来る自信がある。
厄介なのは、あの炎だ。あの炎に巻き込まれれば、あの行商人のようになる事は間違いないし、アリシアの言う魔力とやらの原理わからない以上、現時点では対抗策の立てようがなかった。
ただ―
隠し種を持っているのは、そっちだけでは無いが。
いきなり切り札を切るほど愚かではないヒューイは、素早く踏み込みをかけるとすかさず得意の抜き打ちを仕掛けた。
本来抜き打ちというのは自分の武器の長さを相手に隠した状態から放つからこそ効果のある一撃だが、ヒューイはすでに刀身の長さを披露してしまっている。
しかし得意な一撃には変わりがないので、敢えてこの一撃を仕掛けたのだ。
すでにそれを見切っていた漆黒の騎士は半歩引いてそれをかわす。
かわされた刀の柄に左手を添えて、力に任せて刃を返して上段からの斬り下しに切り替える。また半歩下がり漆黒の騎士がかわす。
距離が出来た瞬間、ヒューイの刀は斬撃から突きに軌道を変化し、喉元を狙って閃いた。
これにも漆黒の騎士は超人的な反応を見せ、初めて剣の腹で刀を逸らした。
ヒューイの上体がわずかに流れたと同時に、今まさに刀を払った剣がヒューイの首筋目掛けて袈裟切りに振り下ろされた。
すでに全身の筋肉を回避だけに集中させていたヒューイは、バランスを若干崩しながらも上体の流れをそのまま回転力として応用しながらからくもその剣をかわすと、勢いもそのまま前転しながら騎士との距離をとろうとした。
それをみすみす見逃す騎士ではない。
一足でその距離をつぶすと、回転から起き上がったヒューイの脳天目掛けて稲妻のような一撃を放つ。
咄嗟に頭の前に差し出した刀が激しい金属音を響かせ、火花が散った。
ギチギチと鈍い音を金属同士が擦れ合う音を立てながら、ヒューイは立ち膝のまま必死に漆黒の騎士の一撃を受け止めていた。
「……燃え尽きろ」
騎士の冷酷な一言とともに、ヒューイの足元から炎の柱が巻き起こる。
まさにそれを警戒していたヒューイは、強引に騎士の剣を横に逸らしながら力任せに横っ飛びに飛び退いた。
「くそっ、埒があかねえ。やるしかないか!?」
そう言いながらヒューイは再度刀を鞘に納める。
それを見た漆黒の騎士は、その頬に冷めた嘲笑を浮かべた
「なんとかの一つ覚えとはこの事だな」
ヒューイは取り合わず、腰の刀を鞘のままぐっと前に押し出した。
そして、こう叫んだ。
「鎧よ、開け!!」
「な!?」
その言葉に漆黒の騎士が驚愕の声を上げたのは一瞬の出来事だった。
ヒューイの言葉に呼応するかのように、あの禍々しい刀の鍔が文字通り開いたように見えた。
太陽の白い光とはまったく異質の黒い光が開いた鍔からこぼれたと思った次の瞬間には
鍔は二回り以上も小さくなり、まるで形を変えて小ぢんまりとした桜の装飾を施したいわゆる『ふつうの日本刀の鍔』になっていた。
その変わり超常的な変化が起こっていた。
つい先ほどまで着物に刀以外は身に着けていなかったヒューイの体に、鎧が纏われていた。
額を守る鉢金、全身を守る為の小札は必要最低限用意され、上半身を守る胴、肩を守る袖は左肩のみに設けられ、下半身を守る草摺、脛当て、両手につけられた籠手。
東洋の作りでありながら西洋のニュアンスを取り込んだ独特のデザインのそれは、一瞬でヒューイの体を包み込み、夜の闇より深く怪しい光を放つ黒一色であった。
鎧を纏ったヒューイは、今度はゆっくりと刀を引き抜いた。
その刀の刀身まで、鎧と同じ『漆黒』に染まっていた。
一瞬の出来事だったため、誰一人動けないでいたが、漆黒の騎士は先ほどまでの落ち着きとはうって変わって取り乱した表情をしていた。
ワナワナと体を震わせ、喉の奥から絞り出したような声を出す。
「ば、馬鹿な……なぜ貴様が『漆黒の呪い』を!?」
「漆黒の呪い?知らねえな」
ヒューイは吐き捨てるように言うと、一気に間合いを詰めて上段からの袈裟切りを仕掛けた。
その速さは先ほどまでの比ではなく、まるで稲光が走ったかのような一撃だ。
漆黒の騎士もさすがの反応速度で、その一撃を剣で受けたがそのあまりの勢いと鋭さに、思わず片膝をついた。
「ぐ、おおお」
先ほどまでの余裕はとっくに消し飛び、震える腕で必死の形相で刀を防いでいる騎士と、さして力を込めているようには見えないヒューイ。
二人が並ぶとまさに漆黒の騎士が二人並んでいるように見えるが、ヒューイの纏った鎧は遠目でも騎士の纏った鎧よりもより一層黒く、光の反射をかたくなに拒むような深淵の黒さがあった。