Vol.4
家を飛び出て悲鳴の聞こえた方に走ると、村の広場で中年程の恰幅の良い女性が座り込んでいた。
そして、その前に真っ黒な炭のような何かが転がっていた。
真っ黒な何かはパッと見ではまったく何か判別がつかないが、なんとなく人が丸まっているように見えないでもない。
全身から細い灰色の煙を吹き、肉の焼ける匂いをまき散らしながら、それは広場に転がっていた。
ダグラはすぐに女性に近寄り、優しく背中を撫でながらなだめ始めた。
ヒューイはそれを横目に、真っ黒な炭に近寄って行った。
ぶすぶすと燻っているそれは、恐らくつい最近までは『人間』であっただろう面影をその全体のシルエットだけに残してはいるが、今は完全な消し炭となっており男女の見分けすら難しいほどに焼けただれていた。
ヒューイは丸まって転がるその消し炭の腕に触れてみた。
火傷をしそうな程熱を持った表面はガサガサと乾いており、表皮がボロっと崩れた。指先に嫌な感触が残り、ヒューイは拳を握った。
ダグラが女性を家の方に連れて行くのとすれ違いに、アリシアが駆けてきた。
アリシアはそれを見つけるとハンカチで鼻を押さえ、眉を寄せた。
「すごい匂い」
そうつぶやいたが、物怖じもせずにヒューイの横に屈みこんでそれを凝視していた。
ヒューイは意外に思いつつも、それの観察を続けた。
何者かに火を点けられたのは間違いない所だが、かといって薬品や油などで引火したにしてはそういった痕跡は見受けられなかった。
「かなり高温の炎で、一瞬で焼かれているな」
ヒューイの言葉にアリシアはゴクリと唾をのみ込んだ。
もう少しで胃の中身が逆流するところだったのだ。
「なんで、こんな……」
「見ろ」
ヒューイは肩口から背中にかけての斜めに走った亀裂を指差した。
「これは鋭利な刃物で切り付けられた痕だ。傷口自体が焦げている事から、斬られたのと同時に焼かれている。恐らくこれが致命傷で、火はあとから点けられている」
もう十分とばかりに立ち上がったヒューイは、手近な低いヤシの木を見つけると近寄って腰の刀に手をかけた。
アリシアは半ば放心したようにそれを見ていたが、一瞬ヒューイの右手が動いたかと思うとヤシの葉が数束、音もなく地面に落ちた。
何ごともなかったかのようにそれを拾い上げたヒューイは、そのままそっと燻る黒い炭にかけてやった。
「今はまだ熱をもっているからな。冷めたら弔ってやろう」
アリシアはただ頷くことしかできなかった。
遠巻きに眺めていた野次馬達も、ただならぬ雰囲気を感じ取って一人、二人と散って行った。
「ヒューイ殿!」
女性をなだめ終わったのか、ダグラが小走りに駆け寄ってきた。
ヒューイは神妙に頷いた。
「どこの誰かはわからないが、剣のような物で一太刀にされているな。傷の深さから即死するような傷ではないが、致命傷になった事は間違いない。その後に火を点けられている」
「どこの誰かはわかっている」
ダグラはヒューイ達のもとに駆け寄ると、ヤシの葉をかけられたそれに向かって十字を切った。
「彼は隣町の行商人のラムセーだ」
ダグラの言葉にアリシアが声もなく息を飲んだ。
ラムセーは普段から村に出入りをしている商人で、アリシアは毎回魚を買い取ってもらっていてよく知った仲であった。
「先ほどの女性、ハンナと言うが、ハンナの話だとラムセーは肩に怪我をした様子で村の入り口方向からよろよろと歩いて来たそうだ」
ヒューイは黙っていた。その目が先を言えと促している。
「ハンナはあわてて彼に駆け寄ろうとしたそうだが、突然ラムセーの体が燃え上がったと言っている。誓って言うが、突然ラムセーの体が炎に包まれたと」
「人体発火……ってわけじゃないよな」
「それはわからないが、ハンナは嘘をつくような人間ではない」
しばしの沈黙。
「漆黒」
ダグラがポツリと言った言葉に、アリシアはハッと顔を上げた。
「漆黒に気をつけろ、とラムセーは言っていたそうだ。その言葉を最後に、炎に飲まれていったと」
「漆黒ね」
ヒューイはその言葉を繰り返した。
その隣でアリシアの肩が微かに震えていた。唇が真っ青になり、顎が小さく鳴っていた。
「おい、アリシア、大丈夫か。顔が真っ青だぞ」
ヒューイが声を投げると、アリシアは我に返ったようにビクッと体を震わせた。
「だ、大丈夫。ちょっとびっくりしているだけ……」
無理もない、とヒューイもダグラも思った。こんなショッキングな出来事に、まだ二十歳にもなっていない娘が冷静でいられるわけもなかった。
ダグラはアリシアの肩をそっと抱き、冷静な声でヒューイに言った。
「すまないが、アリシアを頼む。こうなった以上、隣町に早馬を出して早急に状況を確認し、報告する必要がある」
「あんたが行くのか」
「残念だが他に馬に乗れる者がいない」
「賊や野盗の仕業だったとすると、待ち伏せされているぞ」
「だが、行かないわけには」
言いかけたダグラにヒューイは親指で自分を指して見せた。
「俺が代わりに行こう。あんたには拾ってもらった恩がある。ま、拾ってくれたのはアリシアだが」
ヒューイはそう言ってニヤリと笑って見せた。
アリシアはそんなヒューイをきょとんとした表情で見ていた。
「まあ村のお使いにしちゃあ不相応だとは思うが、俺は賊の相手は慣れているのでな。問題なく帰ってこれるだろうさ」
「しかし……」
そうは言ったものの、ダグラにとってその提案は非常にありがたいものである事も間違いなかった。
言い淀んでいると、アリシアが凛とした声で言った。
「村長、私が同行します」
その言葉にダグラだけでなく、ヒューイも驚いた。
しかしアリシアははっきりとした声で続けた。
「私なら街までの道もよく知っているし、街の人も知っている。突然異邦人のヒューイが行くよりも、私が同行した方がいいと思うの」
それは確かに一理ある意見だった。
だが、何が起きているのかわからない状況下で、家族の一人ともいえるアリシアを良からぬ事に巻き込む事には抵抗があった。
村長としてというよりも、父代わりの立場としてそれは容認しがたかった。
「お願いよ、ダグラ!」
いつになく強い口調のアリシアは、その瞳に確固たる決意を持っていた。
こんなに意見を主張するアリシアを見たのは初めてであった。
ダグラは低く唸ったが、決して目を逸らさないアリシアの迫力に負けて、深くため息をついた。
「ヒューイ殿、必ず無事に戻ってくると約束してもらえるか」
ヒューイはその言葉に不敵に笑って答えた。
「約束しよう」
ダグラはがっくりと肩を落としたが、すぐに村長らしい威厳ある声で言った。
「アリシア、くれぐれも気をつける事。ヒューイ殿、アリシアを頼みます」
アリシアは深く頷くと、村唯一の厩舎に向けて走り出した。
ヒューイもそれに続きながら、振り返って声を投げた。
「俺は約束を破らない!」
その力強い言葉を信じる以外、ダグラには為す術がなかった。