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Vol.3

村長の家でキッチンを借りたアリシアは、今朝獲りとはいかないまでも昨日の内に獲っていた魚や貝を鍋に放り込み、香辛料と調味料を目分量で大雑把に入れると弱火で煮込み始めた。


鍋がぐつぐつと沸き立ち始めると、香辛料のえもいわれぬ匂いが立ち込めていった。


今回は上手くいったと確信しながら、窯に火を入れて小麦粉を卵と練った生地を丸い窯の内側に貼り付けてパン(どちらかというとナンのようなものだが)を焼いた。


パンが焼けるいい匂いと香辛料の刺激的な匂いがあわさって、朝の空気は瞬く間に魅力的な空間に生まれ変わった。


すでに話が終わったダグラとヒューイは、連れだってキッチン横の4人掛けテーブルで席についていた。


「これはいい香りだ」


ダグラがいかつい顔をわずかに緩めながら言ったのに、ヒューイは曖昧に微笑んだ。


すでに腹は減り切っているし、食べ物があれば飛びついていきそうなヒューイではあったが、そんな素振りは見受けられなかった。


とは言えダグラはそこまで気が付かなかったし、食器を用意し始めていたのでそちらの方が忙しかった。


アリシアが煮上がった鍋をテーブルの真ん中に置き、器用に3人分を取り分け、焼き上がったパンをそれぞれの皿に並べて食事の支度は完了した。


さすがに目の前に食べ物が並び、ヒューイは改めて空腹を感じた。


「では、いただきましょう」


ダグラの声とともに、三人は一斉に魚介の煮込みを口いっぱいに頬ばった。


瞬間に、ダグラとヒューイは音もなくその場に固まった。


ただ一人、アリシアだけは特に何事もなかったようにスプーンを口に運んでいる。


たっぷり10秒は固まっていた二人は、あわててパンを口に放り込み噛み砕いた。


「どうかしたの」


アリシアがしれっというと、遠慮気味に微笑んだダグラを差し置いてヒューイが声を荒げた。


「お前、よくこんな辛いもん食えるな!」


「そうかしら」


平気で煮込みを食べ続けるアリシアを、ヒューイは信じられない面持で見つめた。


裕福な暮らしではないヒューイは多少の悪食には慣れっこではあったが、この料理だけは食べられる自信がなかった。


今まで食べてきたどんな食べ物よりも辛く、酸っぱく、苦い、三拍子揃った所謂不味い料理は、脳天を揺るがすほどだった。辛いもの、と叫んだのはヒューイの最後の良心であったと言っていい。


そんなヒューイの態度をまったく意に介さず、アリシアは食事を続けていた。


見兼ねたダグラがあわてて助け舟を出した。


「アリシアは、その、ちょっと好みが変わっていてね。人が好む味はあまり作らないんだ」


「それ、遠回しでもなんでもなく『不味い』って言っているとおもいますけれど」


せっかくの助け舟も、アリシア自らにあっという間に轟沈させられてしまった。


「不味いなら食べなくて結構ですよ」


黙々と食事を続けるアリシアに、ヒューイとダグラは顔を見合わせた。


幸いにも、パンはいたって普通においしいものだったので、二人はなるべく煮込みの存在を消して、食事をつづけた。




食事が終わったころには、アリシアは鍋の中身を夕飯にすると言って、地獄を再現した鍋を持って一回自宅へと帰っていった。


ヒューイはダグラの家に残り、二人で甘いお茶を飲んでいた。


共通の苦行が二人に何とも言えない連帯感と協調性を生み出したのは間違いなく、そんな雰囲気だったからこそ、ヒューイは質問を投げた。


「あんた、家族はいないのか」


ダグラは一瞬驚いたが、甘く温かなお茶を一口啜ると、ため息と同時に答えた。


「昔はこの家も賑やかだったものだ。妻と、子供が3人。それに私の両親も健在だった」


ヒューイは相槌も打たずにお茶を啜った。明るい話にならない事がわかっていたからだ。


だが、ダグラもまるで昔話でも語るかのように感情の伴わない声で続けた。


「5年前にこのカッサンドラは大きな内乱が起こった。国王率いる体制主義の王国軍と、北のコゴルダの町に本拠を構える反体制主義の解放軍との戦争さ。それは最初は小さな村で起こった小競り合いだったが、徐々に規模は拡大していき、ついにはこの村も戦火に包まれた。我々は王国軍の一員として戦いに加わっていたが、正直どちらでもよかった。王都からも離れているし、やれ体制主義だ、反体制だ、というのには興味がなかった。ただ日々を平和にすごし、わずかな金を稼ぎ、平穏な日々を過ごす事こそ我々の望みだったのだ」


ダグラは目を閉じて何かを反芻していた。きっと彼の目の裏には幸せだった日々が映っているのであろう。


「だが、戦争というのは残酷だね。我々の意思とは無関係に物事がすすみ、この村も多くの人間が死んだ。君も見ただろう、私の村にはほとんど若者がいない。多くの若者が、男たちが戦いに巻き込まれて死んでいった。さらに我々の村が不幸だったのは、戦争が終わった後、流行病が蔓延して高齢者や、小さな命も失われた事だ」


良くある話だ、とヒューイは思った。彼もまた幼い頃に大きな戦に巻き込まれ、両親の顔も知らずに育っていたし、その所為で苦労をしてきた事は否めなかった。


かと言ってヒューイは何も答えなかった。無言は優しさになり得る事を知っていたからだ。


「戦争は解放軍が勝利して終わった。今までの体制は崩れ去り、新しい法と秩序が生まれた。しかし、我々にとってそれは何の意味も持っていない。若者も子供もいないこの村に、明るい未来は全く見えない」


ヒューイはお茶を飲み干してしまった。重苦しい内容の話に、もっと甘くて軽いお茶が欲しかった。


「ヒューイ殿に家族はいないのか」


「家族と呼べるのはヒースグリフだけだ」


その言葉にダグラは頬を緩めた。


「では、なんとしても見つけないといけないな」


ダグラスの声は疲れていて、わずかにあきらめの色が感じられた。


「アリシアは」


ヒューイは努めて明るい声で言った。


「アリシアは料理は下手だが、これからの村の将来を任せられるのではないか」


「あの娘は、5年前の戦災孤児だ。流行病に苦しむこの村に、フラッと流れ着いてからというもの、私が保護しているに過ぎない。きっとそう遠くない未来に彼女はここを巣立っていくさ」


あの娘は外から流れてきた人間だったのか。


同じ漂着者としてわずかな親近感を感じたヒューイだったが、それもまた彼にとって無意味な事であった。


二人は会話もなくなり、お互い押し黙っていた。


もはや出口のない話の落としどころを二人が探している所に、窓の外から空気を切り裂くような悲鳴が上がった。


咄嗟に席を立ったダグラは、素早く玄関から飛び出した。


ヒューイもすかさず刀を腰に差しなおすと、ダグラの後に続いた。

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