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Vol.1

夏の日には珍しい、非常にさわやかな朝だった。


10年に一度と言われる暴風雨の固まりとして猛威を振るった嵐が過ぎ去った今朝は、雲一つない洗い立ての青空が広がっていた。


この村で漁をして生活をしているアリシア・キャナルは、上機嫌に浜辺へと続く道を歩いていた。


浜辺への道は貝や白い砂でできており、一歩すすむごとにしゃりしゃりと軽い音を立てて耳を楽しませてくれる。


背の高い木々の青々とした葉の間から時折覗く日差しが、一つにまとめて下している銀色の長いお下げ髪をキラキラと輝かせた。


薄い褐色の肌にゆるやかな淡いグレーのワンピースをまとい、右手に漁で使用する鉄製の銛を持ったアリシアは、鼻歌のひとつでも飛び出しそうなほどの明るい気分でいつもの浜辺へと向かっていた。


鼻筋の通った整った顔立ちは幾分幼さを残しており、涼やかな黒い瞳は大人とも少女ともつかない微妙な年頃を感じさせる。


腰の高さまである銀色のお下げを揺らしながら、アリシアは自分の漁場である村の東端の浜辺にたどり着いた。


そこで、今まで楽しげに揺れていた瞳が一瞬で怪訝な色に変わった。


見慣れた美しい白亜の砂浜に、いつもとまったく違う何かがそこにあった。


嵐の後に浜辺の様子が変わるのは良くあることだが、今回は今までにないパターンで彼女の第六感が激しく警鐘を鳴らしている。


アリシアは魚突き用の銛を持つ手に力を込め、静かにそれに近寄って行った。




それは、人であった。


砂浜に打ち上げられ、海藻やらなんやらを体中に貼り付けて、丸太のようなもの(恐らくは船のメインマストであろう)に体を縛り付けた人間だった。


黒々とした髪の毛が顔中に張り付いており、その顔を見ることができなかったが、大きな体と無骨な雰囲気が男性であろう事を物語っていた。


溺死体だろうか?とアリシアは用心しながら近づきつつも、ぐるりとまわりを一周しながらその男を観察してみた。


見慣れぬ衣服に身を包み、一見した限りでは異国の旅行者か商人のように見えなくもないが、一つ気になるのは腰に差してある武器であった。


それが東の国の剣で『刀』というものであるのは実際に見たことがあったので想像がついたのだが、それが見たことのある『刀』と違っていたのは、持ち手をカバーする部分の「鍔」が異様に大きく、非常に目立っていた。


大きいだけではない。言葉では形容しがたいのだが、黒々と光るその鍔は一種独特の雰囲気をもっており、細かな装飾が何を意味しているのかアリシアには理解出来なかったが、とにかく禍々しく不気味な感じさえした。


とにかく気味が悪い感じはするものの、生きているか死んでいるかだけは確認する必要がある判断したアリシアは、銛をさかさまに構え男の背中を柄の先で何度か軽く突いてみた。


反応はなかった。今度はもう少し力を込めて強めに背中の真ん中あたりを突いてみる。


すると男はわずかだが小さな呻きのような声を上げた。


『生きている!?』


そう判断してからのアリシアの行動は素早かった。


貝の口を開くためのナイフで男とマストを固く結んでいるロープを切断すると、全身の力を込めて男をマストから引きはがし砂浜に仰向けに寝かせた。


腰に差してある刀を鞘ごと引き抜いて放り投げると、口元を確認して浅い呼吸をしているのが分かったので咄嗟に心臓マッサージを3分ほど行った。


男の立派な体はアリシアの細い腕からのマッサージをしばらくは拒んでいただが、彼女も漁で生活を営んでいるだけに力が弱いわけではない。


ありったけの力と体重をこめて汗みずくになりながらの3分のマッサージの終わりごろに、男は盛大に海水を吐き出し激しく咳き込んだ。


アリシアはホッとため息をつくと、この後必要になるであろう真水を取りに、近くの浜小屋へと走って行った。




男は燃えるような肺の痛みとともに目を覚ました。


かっと見開いた目に太陽の光が鋭利な刃物のように飛び込んできて、思わずまた目を強く閉じてしまった。


呼吸をしようとしても、勝手に出てくる咳がそれを阻み酸素を求める肺の痛みはより強くなるだけだった。


苦しさのあまりゴロリと体を転がしうつ伏せになったところで、自分の手に熱い砂の感触を感じ、ようやく閉じていた目をまた開くことができた。


その目からはとめどなく涙があふれ景色がぼやけて見えたが、そこが自分が最後に見た荒れ狂う海の上でなく、白い砂浜であること理解できた。


体全体を駆け抜ける痛みと戦いながらどうにか四つん這いになると、ようやく咳も収まり始め、自分がどうにか生き延びた事を実感し始めていた。


涙でぼやける視界を腕で拭うと、傍らにあった大きな丸太にもたれかかりどうにか座る事ができた。


まだズキズキと傷む肺に強引に深呼吸をして空気を叩き込むと、ようやく人心地ついてまわりを見渡す余裕ができた。


そこで初めて自分がもたれかかっている丸太が、自分で自分に結びつけた船のマストである事に気が付いた。


それから、ここが陸地で真っ白な砂が美しい浜辺である事、今日は快晴で日差しが強い事、自分は遭難していた事を理解していった。


立てるかと思い、マストにかけた手と右足に力を込めた時、後ろから声をかけられた。


「良かった、気が付いた」


その声は凛とした響きを含んだ鈴のような爽やかな声音で、すぐに女性のものだと分かったが、知っている言語ではあるがよく使う言語ではなかったので男は若干戸惑った。


声をかけた女性、アリシアは男の前にまわると手にした大きな巻貝の貝殻に並々とついだ水をしゃがんでから差し出した。


男はそれを弱弱しく受け取ると、貝殻に口をつけるなり一気に呷った。


あまりにも急に呷ったので口の周りからほとんどの水がこぼれてしまったが、アリシアは気にしなかったし、男も気にしている素振りは無かった。


貝殻の中の水がすっかりからっぽになると、男は貝をアリシアに差し出して低い声で言った。


「美味い。こんな美味い水は初めてだ」


男の声はまだ力強いとは言えないものだったが、それでもさっきまで死んでいるかもしれないと思った人間から発せられる声としてはまずまず上出来だとアリシアは思った。


男はまだ自由の利かない体に渾身の力を込めて、マストに片手をつきながら立ち上がった。


そしてしばらく体の痛みと戦いながら固まった筋肉に血液を流すために大きな伸びをすると、右手をアリシアに差し出した。


「助けてもらったようだ。礼を言う」


アリシアは頭一つ以上大きな男が差し出した手に、若干気おくれしながらも握った。


力強く握り返してくる大きく無骨なゴツゴツとした手は、とてもさっきまでマストに括り付けれていた人間とは思えなかった。


「いいえ、私の漁場で人に死なれても困るし」


アリシアは自分でも思ってもいなかった言葉が口をついて驚いたが、警戒心の裏返しと考えれば仕方ないとも思った。


その言葉に男は片方の眉をスッと上げたが、どうやらその回答が気に入ったようでにやりと笑った。


「漁場を荒らさないですんで良かった。俺はヒューイ・キサラギという」


「アリシアよ。アリシア・キャナル」


ヒューイと名乗った男はアリシアの目を見て深くうなずくと、握った手を離してキョロキョロと周りを見渡した。


「さて。ここがアリシアの漁場だという事はわかったが、一体どこなんだ」


「旧カッサンドラ王国の南端に位置する、サクサという小さな漁村よ。あなた、一体……」


言いかけたアリシアの言葉をさえぎって、ヒューイは大きな声を上げた。


「カッサンドラ王国だって!」


「旧よ。カッサンドラ王国は5年前になくなり、今は旧カッサンドラ王国とか、カッサンドラ地方連邦とか呼んでいるわ」


アリシアの説明も上の空で、ヒューイは嬉しそうに右拳をにぎると左の平手に打ち付けた。


「よし、怪我の功名とはよく言ったものだ。いや、棚からぼた餅か」


聞きなれない単語にアリシアは眉をひそめた。


どうやらこの漂流者は人の話を聞かないマイペースな性格のようだ。


「それで」


アリシアは努めて冷たい声をだすと、ヒューイの顔を覗き込んだ。


「あなたはどこから来たの?一体どんな理由でマストに縛り付けられて、私の漁場に漂着したの」


「マストに縛り付けられていたわけじゃない。あれは自分で自分の体を縛り付けたんだ」


アリシアはその整った顔を、ますますしかめた。


「何を言っているの」


「嵐が来るのがわかっていたのでな。俺の乗っていた船では嵐を乗り越えられかっただろうし、万に一つでも生き残る可能性があるなら、浮くものに体を固定するのがいいと思ったわけだ」


「あの嵐を乗り切ったの?体一つで?自分で自分を縛り付けて」


聞けば聞くほど疑問が湧き上がってくるのを感じ、アリシアはため息をついた。


「もういい。このままここで立ち話をしていても仕方ないし、一旦村長に会ってもらうわ」


ふむ、とヒューイは頷くと再度辺りを見渡した。


「アリシア、俺を助けてくれた時に、刀は無かったか」


その言葉にアリシアは、ああ、と思い当った。


ヒューイの蘇生を試みた時に無我夢中で腰に差さっていた刀を放り投げてしまっていたのだった。


ついさっきの事だがすでにおぼろげな記憶を辿りマストの残骸の後ろを確認すると、例の禍々しい鍔のついた刀が転がっていた。


投げてしまったのは自分なのでそれを拾おうとして彼女は一瞬固まった。


なぜなら、その刀は信じられない程重かったからだ。


伊達に漁をして暮らしているわけではないアリシアは、同じ年頃の一般的な少女よりも圧倒的に力が強い自信がある。


大漁の時は籠一杯に積んだ魚が、岩のように重くなることだってある。


それを担いで村までいけなければ仕事にならないし、商人の馬車への積み下ろしだって自分でやる。


油断していたわけではないが、その刀はアリシアが想像していた以上に重く、そして長かった。


「ああ、それだ」


ヒューイはそれをひょいと拾い上げると、腰のあたりに差しなおした。


「それじゃ、村長さんに会いに行こうぜ。案内はしてくれるんだろ」


その声はあっけらかんとしていて、アリシアは逆に呆気にとられてしまった。


「あなた本当に漂流していたの?あの嵐は3日間続いたのよ」


「日にちの感覚は無かったが、腹はへっている。3日分以上に」


アリシアは今日一番のため息をつくと、ヒューイの先に立って村への道を歩き出した。

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