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すまほう。~スマホのアプリで魔法使えた~  作者: reime
第一章 日常崩壊編
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閑話② 壁ができる前のはなし其の壱

シンスケが「すまほう」を手に入れるちょっと前の話。

 星草道雄(ほしくさみちお)はごく普通のサラリーマンであった。


 ごく普通に大学を出て、ごく普通に就職活動をし、ごく普通に会社に入って営業の仕事をしていた。

 もちろん、ごく普通にと云えども細かい点においては人と異なるわけだから厳密にはごく普通ではないのだけれども、一般的な意味合いにおいてごく普通の人間であると云ってしまって差支えはなかった。

 重要なのは「ごく普通である」ではなく「ごく普通であった」と云う点だ。要するに過去形なのだ。つまり今の彼はごく普通の範疇から逸脱している。


 きっかけは彼の結婚と、その先にあるものである。彼はそうであることが必然であるように社内恋愛の末にごく普通に結婚をした。そうしていずれは子供を授かり、くどいくらいにごく普通の人生を(まっと)うするはずだった。


 しかし、彼の妻は子を産むことはなかった。彼女は不妊であったのだ。別に星草自身は子供にこだわらなかったが、彼の妻は違った。彼女の家は古風なようで、子を産み育てるのが女の役目だと云い、産婦人科に通いつめた。


 ここまでで云えばごく普通の範疇から少しずれてきたかもしれなかったが、特段おかしなことではない。決定打となったのは彼の妻がボランティア団体「天使の環」に入れ込んだ事であった。


「天使の環」は傍から見てひどく胡散臭い組織であった。まず、その本拠地は山中奥深くにある。そこには目的不明の小さな研究所が一軒存在し、団体の主催者たる「キリシマ」なる人物がなにやら研究をしている。その研究所の隣には体育館ほどの広さのホールがあって、夜な夜な不妊に悩む夫婦達が大勢で会合を開いている。そして俄かに信じがたいことにそこに参加した夫婦は必ず子を授かると云う。


 どう考えても怪しい。星草道雄は妻に不安を告げたのだが彼女は聞き入れなかった。


 そうして二人はその団体で「ごく普通に」子供を授かってしまった。






 ある日、星草道雄は「天使の環」の主催者「キリシマ」から呼び出されて駅で白いバンに乗り込んだ。おもてを見ると雲行きが怪しくなっている。走り出してしばらくするとバンは高速道路へ入った。


「どこへ行くのですか?」と星草は問うた。車内は三人。運転席に白い手袋をしたドライバー、助手席には団体の幹部メンバーである。妻は乗っていない。聞くとこれから行く先にいるのだと助手席の人物は答えた。

 星草は云うべきか迷った。が、星草が迷い終わっても到着はしなかったため、ついに訊いた。


「いったい妻に何をしたんですか」


 小心者の彼としてはかなり勇気を振り絞った問いだった。しかし運転席からはもちろん、助手席からも問いに対する返事は無かった。星草にとって居心地が悪い時間が流れた。

 しばらくすると助手席の幹部メンバーが口を開いた。

「あなた、子供を【作る】って表現、どう思いますか?」


 一瞬戸惑った星草であったが、妻と問題を共有していた男にとっては答えるのに時間のかからない問いだった。


「違和感を覚えますね。子供は【作る】ものでは無く、【授かる】ものです」

「ほう。それはなぜですか」


「私達には子供を作れないからです。思うに、作るというのは子供を産んだり産まなかったり自由に出来るからそう云えるのです。でも、私達にはそれが出来ません。コントロール出来ないからです」


 助手席の男は感心したようにウンウンと頷いた。白いバンはインターンチェンジを曲がり国道へ出る。外はバケツをひっくり返したような豪雨となって群青に染まった。


「ではいったい誰から授かるんですかね」

「あなた……いい加減にしてくれますか」

 星草が声を荒げる。だがそんなことなどお構いなしに続ける。

「神から、とか天から、とか巷じゃ云われてますがね。まぁそうなんでしょう。では神とは何なんだろう。奇跡を起こす存在が神なのか。全能であることが神なのか。しかし神とは何だと訊かれて奇跡を起こす存在だ、全能なのが神だと云い、もう一方で子供を授けるような奇跡を起こすのは神だ、奇跡は神が起こすことだと云う。まるで循環論法だ。神が何なのかについては全く言及していない。では神は経験に基づかない純粋な観念の中の存在だと仮定したとして、現実に起きている奇跡をどう説明するのでしょうね。どうして我々はこう『在る(ある)』のか。なぜ世界が存在していて、科学的にはありえない確率で地球上に生命が誕生したのか」


 あまりにも跳躍(ちょうやく)した話の展開に星草はついていけなくなった。

「云ってることが無茶苦茶だ!」

「無茶苦茶かもしれませんがね、これは真実ですよ」


「たとえ真実だとしても、そんな議論に生産性は無い。そんなことは哲学者や神学者が考えればいい」

「いいえ星草さん。我々は実に生産的な会話をしているのですよ」

 三人を乗せたバンは雨に打たれながら山をぐるりと回った。ワイパーのアームが左右に揺れる音が、星草にはやけに大きく聴こえた。


「この世に神が存在するとして、その神はあまりに気まぐれです。先の震災を覚えていますか? 津波は善人も悪人も、大人も子供も、人間も動物も建物も、極めて平等に押し流してしまいました。これが人為だったとしたら大変なことですよ。神にとっては理不尽な差別も合理的な区別も存在しません。ただあるがまま、気まぐれにことを起こすだけです。自然の理にのみ従い、人の理は無視する。それが現実の神です。


 ねぇ星草さん。あなたは神、もしくは自然がやらかした理不尽を仕様がないといって受け入れることが出来ますか? 自分、あるいは身内が誰のせいでもなく死んでしまったとしたら、そのまま受け入れられますか。あなたは思いませんでしたか、どうして自分の妻に子供が出来ないんだと」


 そこまで言われた星草は黙り込んでしまった。星草自身はやるだけやって駄目なことはどうしようもないと諦めていた。だが妻は違う。もし運命が存在し、そう定められていたとしても彼女は運命を覆すまで努力をするだろう。そういう気迫が彼女にはあったのだ。

 もし彼女が死んでしまったとしたら、それが不慮の事故であれば諦めるかもしれない。しかし殺されたのだとしたらあらゆる手段を使って追及するであろう。

 神が人格を持つとして、なぜ神だけがあらゆる罪から免責されるのだろう。神だから? そんな理由は合理的な根拠を欠いている。


 雨は止むどころかさらに激しさを増している。フロントガラスの先に薄汚れた建物が2軒見えた。恐らくあれが研究所だろうと星草は考えた。バケツに垂らした絵の具のように混ざりあう感情を抱えながら、助手席の男に続き、星草はバンを降りた。

 天気予報では雨が降る予定はなかったのだが、用意周到な男は黒い傘を2本用意していた。それのおかげで星草はジャケットの裾以外ほとんど濡れることなく建物内へと入った。





 建物内は異様な空気に包まれていた。ところどころ雨漏りのする体育館を思わせる建物の中央には大量の椅子が碁盤(ごばん)の目の様に配置されており、そこにざっと60名ほどの男女が背筋を伸ばして非常に行儀よく座っていた。まるで入学式か卒業式を思わせるのだがそこに座っているのは幼さの残る学生では無く、一定の年齢を超えた社会人たちである。不思議な事にざわめきひとつ聴こえずに、皆作り物の様に正面を向いている。

 星草はどこに座ればよいのかすぐに見当がついた。

「加奈子……」

 加奈子(かなこ)と呼ばれた女――星草の妻――は彼を一瞥(いちべつ)すると、周囲と同じように再び前を向いた。明らかに様子がおかしい。そう思いながらも星草は妻の横にぽっかりと空いた席に腰かけた。


――何を待っているのだろう。


 雨粒が叩きつける音とは対照的に、静まり返った館内はまるで世界から切り離されたようであった。星草は不思議な事に、その静けさに密かな安らぎを見出していた。不安であるはずなのに、どうして――彼の中で矛盾が渦巻いたとき、(おごそ)かに扉が開かれた。


 扉から現れたのは屈強な二人組の男と、彼らに囲まれた禿頭(とくとう)白衣の小柄な老人である。


――キリシマ……?


 星草の眼球が捉えた人物は、ボランティア団体の主催者「キリシマ」であった。しかしどうも違和感があった。彼の中の「キリシマ」と視線の先の「キリシマ」とではどうしようもないほどにギャップがあったのだ。

 禿げあがった頭は光を反射することはなく、質の悪い特撮がきぐるみに使うようなゴムのごとき質感でくすんでいた。眼球はカメレオンのように左右で少しだけずれており、それが致命的な違和感をもたらしていた。


 そもそも星草が聞いていた「キリシマ」は40代の男のはずである。妻に見せられたホームページにもそれくらいの精悍な顔をした中年の画像が載っていた。間違ってもこのような老人ではない。

 しかしそれは「キリシマ」であった。何故だかわからないが星草道雄はそう確信した。それはここに集められた30組の夫婦達も同じ様であった。


 キリシマは二人の男を連れて夫婦達の前へと出た。すると星草を連れてきた幹部の男は静かに、しかしよく通る声で云った。


「秋田健吾、美香」


 するとキリシマから見て手前の左端の夫婦が立ちあがって「はい」と答えた。

 続けて伊藤、浮田、遠藤、河崎……五十音順に呼ばれた夫婦たちは同じ様に立ち上がって返事をし、そのまま立っていた。


「星草加奈子、道雄」

 星草夫婦はちょうど真ん中で呼ばれた。男女の順はなぜかバラバラで、男が先に呼ばれることもあれば女が先に呼ばれることもあった。

「はい」と二人は答えた。




 全員が立ちあがった頃、乾いたような、湿ったようなどうにも形容しにくい音が館内に木霊(こだま)した。キリシマは大げさに手を叩いていた。


()い。実に好い」


 甲高く、しゃがれた老婆に近い声がした。キリシマが続ける。「子供が生まれた夫婦は、座りなさい」

 するとばらばらと、夫婦たちは座り始めた。瓦礫(がれき)が崩れていくように座っていく夫婦たちの動きが無くなった時には、星草夫婦だけが残った。二人だけが未だ立っていた。


「星草道雄君」


 どうしたことか、この人数の中でキリシマは星草のことを知っていた。呼び出されたときから彼は思っていたが、どうやら彼は特別に扱われていたようであった。


「はい」と星草は答えた。彼は既に空気に飲まれてしまっていた。


「わたしの名前は何だ?」

「キリシマ……です」

 彼はキリシマのフルネームを知らなかった。だから知っている情報を答えたのだが、キリシマは首を横に振った。

「それはこちらで付けられた名前だ」

 星草は答えなかった。どう答えればいいのかわからなかったのだ。


「わたしは【ドクター電気ブラン】だ」


「電気ブラン?」

 どこかで聞いたことがある名前だったが、星草には思い出せなかった。

「君をこれから【ドクトル・カフカマン】と呼ぶ。後でわたしのところへ来なさい」

「しかし……」

「いいか。君はこれから【ドクトル・カフカマン】だ。会社のことなら心配しなくてもよろしい。すでに手続きは済んである」


 星草道雄――ドクトル・カフカマンは絶句した。その瞬間、割れんばかりの拍手が彼を呑み込んだ。


「おめでとう!」

「おめでとう、ドクトル・カフカマン」

「おめでとう! おめでとう!」




 おめでとう。







 そうして気がかりな夢から目を覚ました彼は、何だか全身がむず痒いことに気が付いた。いつも通り起き上がると顔を洗いに、髭を剃るために洗面所へと向かった。

 顔を洗おうとするのだが洗面器にぶつかってしまって上手く洗えなかった。歯を磨こうとするのだが歯ブラシの長さが足りなかった。髭を剃ろうとするのだがそもそも髭が生えていなかった。

 はて、おかしなことだ――と彼は不思議に思った。どうして自分がこのような習慣を持っているのだろうか。全部自分には不要なことだというのに。


 リビングダイニングに出ると妻が朝食を作っていた。もうすぐ子供が生まれるのだから無理しなくてもいいと云うのに、妻は聞かないのだ。

 彼は妻にひとしきり感謝の言葉を述べてからご飯を食べ、味噌汁を飲もうとした。


 カキンッ!


 食器が当たって飲めなかった。せっかく作ってくれたと云うのにと彼は残念に思った。


「行ってきます」

 元気よく挨拶した彼は妻に送られて「ごく普通に」出社した。


 途中、入口近くのゴミ捨て場でマンションの管理人を見かけた。彼が「ごく普通に」挨拶すると、


「きゃあああああ!!」


 と叫んで逃げ出してしまった。人の顔を見て逃げるだなんて、なんと失礼なことだろう! 彼は憤りを感じた。

 そんなに変な顔をしているだろうか、と訝しげに感じた彼は鞄からスマートフォンを取り出し、インカメラを起動した。



…………大きく前に突き出たくちばしはくすんだ灰色で、形状はカラスのそれに似ていた。つば広の帽子をかぶり、妻に買ってもらったネクタイを正しく締め、スリムスーツを彼の性格通りにきちりと着こなしていた。



 中世ヨーロッパのペスト医師のマスク――それを確認した「ドクトル・カフカマン」は、ごくごく普通に研究所へと向かっていった。







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