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すまほう。~スマホのアプリで魔法使えた~  作者: reime
第一章 日常崩壊編
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第3話――赤子

 それまでの俺の人生と云えば、ライトノベルの主人公が冒頭で語るくらいあまりにも平凡で退屈な毎日であった。しかも繰り返される日常に、俺はこれまたライトノベルの主人公のごとく密かに幸福を感じてすらいた。


 そう、繰り返される日常――具体的には俺より早く起きる強権的な姉に起こされ、トーストかご飯を腹に詰め込んで半自動的に登校し、思わず睡魔に誘われてしまう教師の無駄に心地よい授業を聴き、犬儒派倶楽部で浮浪者よりみすぼらしい姿でひなたぼっこをし、家に帰り風呂や夕食などの一連のルーティンワークを処理し、死んだように眠る――はどこぞの哲学者の言葉を借りれば永劫回帰そのものであり、意味も目的もない。だが、その意味も目的もない毎日の繰り返しを俺は愛していた。(仏教によれば愛は執着らしいから、俺はまだ無欲になり切れていないだろう)。


 ところが、その意味も目的もない繰り返される日常は崩れ去ってしまった。


 突然にでは無い。徐々にだ。植物がゆっくりと地面に根を張るようなものである。【繰り返される日常】と云う俺の住まう世界に、【それ】はゆっくりと浸透してきた。さも最初からそこにあったかのように日常に新しい日常を付けたし、また新しい日常を付けたし、さらに新しい日常……と新しい日常が加速度的に付け加えられ、いつの間にか壊れてしまった。残ったのは先の見えない【それ】――もはや日常性を失った日常、非日常――である。




 辻堂の死。




 それ一つ取ったところで俺の日常は損なわれていた。もう犬儒派倶楽部には戻れない。いったい部長にどんな顔をして会えばいいのだ?


「いやいや」と声に出して、周りに誰もいないのを確認し、リビングの中央で謎の存在感を放つテーブルの上に置かれた、いまだに自分の所有物であるという気のしない樹脂製の箱に視線を向けた。



――そもそも【あいつ】があれは辻堂だ、と断定したんだろう。



 よくよく思い出してみれば断定したのではなく「たぶん」なのだが、少なくとも日常の崩壊という点だけ見れば、あいつが決定的な一撃をもたらしたのは疑いないだろう。


『なにがイヤイヤなんですかぁ?』

と一体どこから出しているんだろうと思うような甲高い声がリビングに響き渡る。長時間聞いていると恐らくイライラしてくる類の音域の声だ。ああ、聞いていたのか。そう思って、俺は溜め息をつく。



 そもそもの始まりは姉に伴われてスマホの契約をしたところからである。



 怪物の襲来。壁の出現。アルの登場。それらに先立って スマホの契約があったのだ。もしかして俺があの時スマホを契約しなければこんなことにならなかったんじゃないか。そんなふうに思えた。



 だが事態は既に俺を離れて進行しているように思える。


 俺は家から一歩も出ていないから実感は伴わないが、外ではインフレが起きているという。銀行の前に長蛇の列が並び、取り付け騒ぎで幾つかの銀行が倒産した。買占め、売り惜しみ、行政指導による統制によって日本中が二度目の狂乱物価を体験している。まぁ俺は家から一歩も出てないためまったく実感を伴わなかったのだが。


 それにしても日本人というのは礼儀正しいものである。俺が懸念してたように打ち壊しや大規模な襲撃などは起きなかったようだ。平和のためには治安は大事である。それでもいつ治安が悪化するかわからないから、行政は壁で分断された各地の警察組織の再編に動いているという。



 ところで最近、奇妙な噂が流れている。


 その噂とは二つあって、一つは摩訶不思議なスマートフォンのアプリのことである。最近中高生を中心にそのアプリの存在が囁かれており、そのアプリで超能力が使えるようになるのだという。ダウンロードするためには普段はアクセスできないサイトに、ある特定の時間帯にアクセスするのが必要であり、そのアプリによって得る能力は人によって違うのだと云う。


 アルに聞いたところ、それはやはり【すまほう】らしい。



『わたくしも懸念してたんですが……どうやら【すまほう】は若者にかなり浸透しているようですねー』


 画面の中で、林檎のような真っ赤なおかっぱの髪に、同じ色をした民族衣装チックな珍妙な服装をした二次元美少女が云った。



「かなり浸透しているようですねー……ってえらい他人事だな。おまえらが【すまほう】アプリを広めたんだろ」


 そう云うと彼女は首を振った。


『そんなの知りませんよー。わたくし、ただのサポートアバターですから。アプリがどのように運営されているかまでは把握していないんですよ』


「使えないサポートアバターだな。……ということはつまり、俺以外にもいっぱい【すまほう】を持つやつがいるのか?」


『自分だけ特別だなんて考えるのは中学生までですよー』


 余計な一言である。『たぶん物凄い数の【すまほうユーザー】が現れているはずです。危ないから準備した方がいいですよー』


「準備?」俺は聞き返した。「何の準備が必要なんだ」


『ほらここ見てくださいよ』とアルはスマホの右上部分を指さした。電池が半分を割り、既に黄色くなっている。


 スマートフォンは酷く電池の減りが早い。以前持っていた携帯は――あまり使わなかったというのもあるが――一日置いてもそう減りはしなかった。今はこのアルがよく喋る所為かたったの数時間でみるみるうちに充電が減っていく。「ひどく電池の減りが早いんだな」俺は呟いた。


『スマートフォンは電池の消耗が早いんですよー。予備のバッテリーと、充電器くらい携帯しておかないと』


 アルはそう云うものの――外に一歩も出ていないから実際にはわからないが――とても買い物なんて不可能だろう。「とは言っても外はあんな有様だぜ? 充電器なんてあっという間に売り切れてるに違いないって」


 というか俺は家から出たくなかった。このまま嵐が過ぎ去るまで自分の殻の中に閉じこもり、寝てたい。


『このあいだみたいに襲われてたらどうするんですかー? あと充電してください』

「へいへい」


 スマホを掴んでコンセントまで持っていく。『変なトコさわらないでください―!!』とか変な声が聞こえるが、たぶん空耳だろう。変な空耳だ。姉でさえ手一杯だというのにまた面倒臭いのが増えてしまった。俺は充電器に繋いで赤いランプが点くのを確認した。


 コンセント近くに袋があった。


 中を覗くと、まぁありきたりな御都合主義だ。替えのバッテリーと充電式の携帯充電器が入っていた。


「お姉さんは随分と気の利く人のようですねー!」


 俺は長く機種変更をしていなかったためポイントやら何やらが溜まっており、電池が無料で貰えたのを思い出した。



――そういえば、姉ちゃんはどうしたんだろう?



 俺が最後に姉の顔を見たのは今朝である。彼女は苦虫をミキサーにかけて飲み干したようなとびっきりの嫌そうな顔を浮かべ出勤し、24時を回った現在でも未だ姿を見せずにいる。


「まさか……な」

『どうしたんですかー』


「いや。例の噂だよ」


 二つ目の噂――それは人間やペットの失踪事件である。

 脳裏に辻堂の顔が浮かぶ。嫌な汗が流れる。いてもたってもいられなくなって「アル。行くぞ」スマホから充電器を抜いて部屋を出ようとする。





『落ち着いてくださいよ。お姉さんでしたら今から1時間前に泊まりになるって連絡がありましたよ』


 ずるりと、それを聞いた俺は古典的な漫画のように盛大にずっこけた。下の階から苦情が来るかもしれない。


「早く云えよ!!!」

『云いましたよー!』


 しかし――と俺は独りごちた。姉が帰ってこないのだとしたら俺は何を食べよう。省エネが服を着て歩いている自分のような人間は料理などしないのだ。


『でも外に出ることはいいことです』

 サポートアバター・アルケーは云った。







 結局、朝になっても昼になっても姉は帰ってこなかった。


 それは何かしらの緊急事態が起きたことを意味していたが、そんなことは世界が閉じられてしまってからわかり切ってたことである。


 俺は冷蔵庫を覗いてみた。ベーコンと、活力を失いかけたレタスと、生卵が2パックばかり、そして冷蔵庫下部を制圧するビールの軍隊が整列していた。意を決してもう一度冷蔵庫を覗いて見たがもちろん結果は変わらなかった。冷凍庫からは氷と冷凍された合挽き肉の化石が発掘された。



「外に出なければならない」

と俺は現実から突き付けられた命題を反芻する。どれだけの材料があっても料理が出来ないのでは石ころと大差ないのだ。


『外に出るのはいいですけど、これだけ材料があるんですから炒めればいいんじゃないですかー?』とアルは呑気な事を云う。まったく、こいつは事態の深刻さをまるでわかっていない。


 小学生のころ――無垢で純粋で可愛らしさに満ち溢れていた少年時代――俺は姉を驚かせようとオーブンや電子レンジまで使って料理を試みたことがある。どんな料理を作っていたのかは覚えていないが、俺が料理をしているのを見た途端顔色を変えて強制的に伏せさせた。すると背後から信じられない音が響き、電子レンジとオーブンは煙をあげて壊れてしまった。以来、俺は料理という文化から距離をおいてきたのだ。


「とにかく外に出ないと俺は餓死してしまう」

『……まぁ、いいから出ましょう』






 感じるか感じないかくらいのマイナスのGを感じつつエレベーターがゆっくりと降下していく。


 中で考えた。外の世界はいったいどうなっているんだろう。

 まず想像したのは核兵器で瓦礫だらけになった世紀末の荒廃した街並みだった。暴力が支配する世界。何故かモヒカンでトゲトゲの肩パッドをした男たちが汚い笑顔でバイクに(またが)り……。



……エレベーターのドアが開きエントランスを出る。


 別に世界はそんなことにはなっていなかった。


 閉じられてしまう前と同じように、往来(≒道路のこと)には人が行き交い、自動車が走り、鳩やカラスが何食わぬ顔をしてまるで空だけでなく地上をも支配しているぞと言わんばかりに闊歩していた。空にはかつてのアステカの民の杞憂を吹き飛ばすが如く太陽が通常通り運行しており、非常事態なんだから少し休めばいいのに等と思っていると急に強い風が吹いて街路樹を撫でた。


「なんだ。普通じゃないか」と、ちょっと拍子抜けしてしまった。

 が、アル曰くそんなことはないらしい。

『奇跡的ですよー。これが当たり前だと思わないでください』


「そうなのか?」

『アメリカなんかだと内戦状態に突入するんじゃないかと真剣に議論されてますよ』

 そうだよなー。あいつら銃とか持ってるしな。 



 そんな会話をしながら往来を歩いたものの、開いている店はほとんどなかった。開いていた店には尋常じゃない行列が入口からはみ出ていた。


「……餓死だな」

『どうして頑張らないんですか!?』


 どうしてと云われても……栄光ある犬儒派部員は努力するくらいなら死を選ぶのだ。しかしお腹がすいた。辞めようかな? 辻堂もいないことだし。



 辻堂の事を思い出すとまた鬱々とした感情が腹の底から湧きあがってきた。これではいけない。



「……わかった。家に帰ろう。そして努力する。きちんと飯を作る!」

 それを聞いてとアルは「その意気です! 頑張りましょー!」と俺を励ました。







 そうして帰ろうと信号を渡るとき、ふと後ろから猫か海鳥のような声が聞こえた。


「ほぎゃあああ」


 行列のほうからだ。猫はともかくこんなところに海鳥はいないから赤ん坊の声だろうと思った。


 しかしその泣き声は異様に大きいのだ。今自分のいる信号機下からその行列までは100メートルほどの距離がある。のであるが、至近距離で泣かれたと錯覚するほどに大きかったのだ。


 額に冷たい汗を感じる。この感じを俺は経験している。


『マスター。警戒してください』

 アルは感情を殺した声で告げた。


「どうでもいいけどお前俺の事マスターって呼ぶのな」




 行列の中から悲鳴が聞こえた。悲鳴はさらに拡大し、さながら悲鳴のアンサンブルのような様相を呈した。


 行列を割るように現われたのは赤ん坊である。


 それはおむつを履いており、大型トラックほどの大きさがある点以外には至って普通の赤ん坊であった。


 その赤ん坊は例の海鳥のような声を響かせると、ハイハイでゆっくり店の外へ出た。そして俺の姿を認めると赤ん坊らしくない笑顔で奇妙に顔面を歪ませ、そのままのスピードでこちらへと向かってきた。


 街はパニックに陥っている。恐怖は赤ん坊の現れた地点を中心に伝染し、周辺は俺を除いて無人となった。



「おいおいアル。お前と同じ4頭身だぜ」などとふざけたことを云ってみる。

『ずいぶん余裕ですけど勝つ自信あるんですかー?』

 まぁあのスピードであれば勝てないことはないだろう。あれがいきなり立ち上がって駆けてきたなら話は別であるが。



「どうせ戦えって云うんだろ」

『あれを放置するわけにはいかないですもんねー』



 そうして俺は体高だけでも俺より巨大な赤ん坊と対峙した。







 以前であれば、これは警察の仕事だと云って逃げただろう。犬儒派部員だからと云って、面倒くさいからと云って逃げただろう。


 ならどうして今の俺は逃げないのだろうか?


 元辻堂と思われる怪物と戦ったのは自衛だった。今のもそうだろうか。しかしスピードからしても逃げるのは容易と思われる。ではアルに云われたからか? それとも辻堂をあんな風にした恨みからか? 復讐なのか?


 どれもしっくりこない。何が俺をこの場に駆り立てたのだろうか。


「アル、行くぞ」

 そう呟いた瞬間、後ろから強く掴まれた。







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