《Time(一時間半前)》
あまり主人公や彼氏の設定は細かくしていません。
詳細な部分は想像に任せます。
私の名前は涼子、高校三年生だ。もうすぐで受験生最大のイベント、センター試験を目前にしている。だから冬休みにもかかわらずその日も朝から塾で勉強をしていた。
その帰路、私は同じ高校に通っている恋人の佐竹君と共に就いていた。彼の右側を歩き、もちろん、ちゃんと交通ルールを守りながらだ。
塾はいつも夜遅くに終わる。だから辺りは暗いし家も遠い。そのため、その日佐竹君は私のことを心配して家まで一緒に帰ってくれていた。
雪が静かに降るその夜。吐く息も雪と同様に白い。手袋をしているにもかかわらず、手にじんわりと落ちてきた雪の冷たさが伝わってくる。
「寒くない?」
「エッ……あ、大丈夫!」
「そうか……。今日は特に寒い。風邪を引かないように早めに帰ろうか」
「うん……」
本当はゆっくりと帰りたかった。でもセンター本番も近い。
「何辛気臭い顔してんだ。何なら明日一緒に塾に行こうか?」
「明日……というよりも、明日からの一週間、塾はないよ」
「……」
彼は目線を下に向ける。確か彼は苦々しい笑みを浮かべていたっけ。
「佐竹君……一週間後にまた会えるから大丈夫だよ。だから落ち込む必要はないって。」
「そっ、そうだよね! ……勝手に落ち込んでごめん」
「いいって、とりあえず行こっ!」
そう言うと私は佐竹君の方を見た。
彼もこちらを見ていて、お互いの目が合う。その結果私も、そして彼も思わず頬が緩んだ。
その頃の雪はいつの間にか止んでいた。寒いことには変わりないけれど。
私達は赤く点灯している信号機の前で止まる。その交差点は交通量も少なくて、事実青信号にもかかわらず車は一台も通らなかった。
それでも信号が赤を示す刻は本当に長い。あれは小学校の時の授業の一環としてその時間を計ったけど、確か三分間だ。……本当に長い。
信号を無視して渡ろうか……。けど、その時私達は交通ルールはしっかりと守っていた。簡単な理由としては「車に轢かれない」ために。でもその道を越えればすぐに私の家だから焦る必要もない。
ただ、この間の待ち時間は私にとっては過酷だった。冬という季節が原因だ。
確かに雪は止んだ。けど、風が冷気と共に吹き付けてくる。赤信号の為に動くこともままならない中、佐竹君には大丈夫とは言ったものの、やっぱり体は正直だ。体が震え、私はいつの間にか手のひらをこすり合わせていた。でも温まることはない。
すると突然……。
「あっ……」
「我慢するな」
佐竹君が私の肩にその右腕をかけると、体を自身の方へ寄せた。
「う、うん。……ありがとう」
あまりにも急にされたから恥ずかしさで声もでなかった。でも今思い返しても、その言葉が一番温かい。もちろん気持ちの問題でね。
その後私達は佐竹君の腕の中で信号が青に変わるのを待っていた。温もりとともに、彼のその体にたくましささえ感じていた。
このまま時が止まってほしい、そう思っていた私だったけど、ゆっくりと悲劇が動き始めた。きっかけは本当に些細で、しかし奇妙な出来事だ。
(プーン)
高い音。夏場寝てる時に聴こえるあの不快な音が耳に入る。佐竹君の右手側からだ。
音のする方を見ると一匹の季節外れの蚊がいる。佐竹君の血を吸いに、裾から露になっていた手首に止まっているのだ。
「蚊か……。何でこんな時期に……」
そう不思議そうに呟きながら、彼は見るなり左手で叩いた。そう、夏同様に。何ら不思議ではない。それを見ればみんなもおそらくする行動だろう。
叩かれた蚊も普段通りに彼の手首の上でつぶれて死んだ。蚊はいつの間にか血を多く吸っていたらしく、死骸は赤く染まった。
その瞬間。死骸はピンク色の、まるでスライムのようになった。そしてそれは私達が驚く間も与えない内に、佐竹君の体内へ……。
「……」
「……ハッ、だ、大丈夫?」
私は尋ねた。
「うん、大丈夫。体も普通に動くし」
そう言いながら、彼は私に見せつけるように、左腕を回した。確かに動きにぎこちなさは感じられなかった。
「じゃあ今のは……」
「まあ気にするな。今からオレが死ぬわけじゃないんだし」
「で、でも……」
「大丈夫だって」
そう言うと、彼は右手で私の頭を優しく撫でる。と同時に、私の声はその優しさに抑えられた
「ところで……」
「ところで?」
「大学受験終わったら、今度また水族館行かないか?」
水族館。そこは私達が中学生の時に、修学旅行の一環として行った場所。そして、そこで初めて佐竹君と出会った場所だ。
「まあ、理由はまあ……あれ……なんだけどね……」
佐竹君の顔は少しこわばっているように見えた。どうもおぼつかない口調も目立つ。どうしたのだろうか――でも、私は特に考えないことにした。
「うん、私も行きたい。……でも、約束だよ?」
「オレから言ったんだ、守るさ。まあ日付は未定だけどね」
そう言いながら、彼は笑った。私も思わず、つられて笑う。
「約束だよ」
そう言って私は、佐竹君に小さな小指を、立てて見せる。佐竹君も呼応するように小指を立て、そして絡ませて、上下に手を振った。あの時笑顔で手を振った。
ふと、その時私は信号を見る。それはいつの間にか青色に変わろうとしていた……。
「渡ろう」
私は佐竹君にそう言った。
その時。私達の右側から光が見えた。
それは黒い乗用車。車が、しかも目測だけどゆうに時速百キロを越えて、走って来たんだ。
今渡ったら轢かれて命を落とすだろうし、何よりもあの車は赤信号を確実に無視する。ただ轟音が過ぎ去るのを待った。
「……危ないなあ」
そう呟くと私はふと佐竹君を見た。
佐竹君は何故かその道を渡ろうとしていたのだ。
様子がおかしい。おぼつかない足取りでその道に向かおうとした姿は、まるで操り人形のようだった。おまけに、口は何かを呟いているように、しきりに動かしていたんだ。
「いっ……行っちゃダメ!!!」
彼の手を持って必死に引き留めた。でも力が敵わない。
「○△■×……」
よく分からないことを呟きながら私の手を振り払い、彼は再び一歩一歩足を前に出す。
すぐに立とうとした。でも最悪だ、足を捻ってしまい急には立てない。
そして、とうとうやって来る車が通るで道の真ん中へ……。
轟音を辺りに響かせ、車が走って来る。佐竹君がいるにも関わらず、速度を落とすこともない。
「佐竹君、逃げて!」
私は叫んだ。でも佐竹君はその場から逃げようとはしなかった。ただ整然と立ち尽くすのみだった。
やがて佐竹君は光に包まれ……。私はただそれを見て叫ぶことしか、涙を目に溜め、その瞬間叫ぶことしか出来なかったんだ。
「佐竹く」
バーン!!!
鈍い音の後と共に、彼の体は五メートル程吹っ飛ばされ、宙を舞う。華麗に、そう華麗に……。
その間、私の意識は時が止まったように静寂に、さらに辺りの視界が歪む。頭では理解が出来なかったからだ。
一方、彼を轢いた車は一度もスピードを落とすことない。ただ一本道の先にある闇の中へと消えていくだけだった。
すぐに消防署に電話した後、私は道路を這いながらゆっくりと彼に近づいたんだ。真っ暗だったけど、手の感覚で血が流れていたことはすぐにわかった。
そして何かが指先に当たったところで携帯のわずかな光で辺りを映した。そこに照らされた佐竹君は……いや、もうこの光景は表現したくない!
「い、いやあああああ!!!!!」
彼の顔を見て大声で哭いた。彼の近くで座り、傷口を塞ぐように手のひらで抱え、頭を膝に乗せて哭いたんだ。でも手のひらはすぐに真っ赤に、そして指の間から流れ出す。
私の嘆きに同調するかのように、たちまち吹雪いた。凍てつく風が顔に当たって辛かった。
でもその時鳴った風切り音。それは悲しいほどきれいな音色だった。
また、白い雪と流れ出した血液とのコントラスト。それは恐ろしいほど……恐ろしいほど美しかったんだ……。
七分後。彼はやってきた救急車に乗せられた。中は冬の寒さとは対照的に蒸し暑い。そんな救急車内では様々な措置が行われた。
機械のように動く救命士の姿。彼らが佐竹君を救おうと、きびきび動いていた。でも私も一緒に乗っていたのだけど、彼の姿を見て直感した。もう手遅れだ、と。
それでも私は一筋の光に託すことにした。正しくは託すようにしたんだ。なぜなら救命中に佐竹君が意識を僅かに取り戻したからだ。多分必死に生きようとしているにちがいない、そうであるはずだ! なら私に出来ることは……。
「だ、大丈夫だよ、だからお願い、死なないで!」
呼びかけながら冷たくなりつつある手を必死で握った。そして消えそうな目の輝きを奥まで覗き込むように見つめた。
でも――私にはそれしか出来なかったんだ……。ただ彼が刻む鼓動を知らせる電子音が、一定のリズムで鳴り響いていた。
その後病院に着いた。
すぐに佐竹君は病院内に運ばれた。医者は集中治療室で彼の様子を見る。治療を行いながら……。
しかし遅かった。ぶつかった衝撃で全身の骨は砕け、しかも撥ね飛ばされたその体に金属の塊が潰したのだ。事故直後でもない限り治すのは無理、いや、そもそも即死しなかったのが奇跡だと後に語った。
それならば、止血した後、もう静かにさせてあげよう、それが医者の出した決断だった――。
そういうわけで最大限の処置を施された後、佐竹君はある個室のベッドに寝かされ、今に至る。
彼は私が耳を口元に寄せるとやさしく最期に一言呟き、ゆっくりと右手を上げて頭を軽く撫でた。でもそれが精一杯の力を振り絞ったのだろう、それを終えると彼は静かに……。
佐竹君とはほんの数十分前には路上で会話していたんだ、にもかかわらず今は……。ああ、彼に対する様々な感情がこみ上げてくる。それでも私は瞼を閉じ上から強く押さえた。
その時だ。間が悪いことに佐竹君の両親が来た。彼はたった今死んだ。だから彼らは最期を見届けてはいない……。
……と言うことは彼を知っている人の中で、この一部始終を見届けたのは私だけ?
「あっ、あ……」
もう感情を抑え込めない。
「ああ……」
だから――彼の手のひらを強く握り、叫んだんだ!
「何で目の前で……。ねぇ、目を覚ましてよ……佐竹君!」
辺りに漂う重苦しい空気。私はその空気を、誰よりも、誰よりも強く感じていた。




