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二章

 毛足の長い、赤色の絨毯。その上に敷かれた白い布の上に並んでいるのは、ファルリンが見知っているものばかりだ。

 例えば、右側の少し離れたところにある銀の腕輪。あれは婚約の際、父が母に贈ったものだ。目の前に置かれた首飾りは、結婚当日に母が身につけたもの。見える範囲にはないが、同じ日に使った髪飾りなどもあるのだろう。十五の誕生日に両親から贈られた首飾りと耳飾りが、窓から届く光でキラリと輝いている。

 攻め入られ、敗れたのだから文句を言う筋合いはない。わかってはいるが、現実を見ると悔しさが込み上げた。

 それでも、ファルリンは前を見つめ続ける。

 ずらりと居並ぶ兵士の中に、リューグナーの英雄もいたからだ。褐色や茶の多い中で、金茶の彼の髪は嫌でも目立つ。

「では、功績の大きい者から順に名を呼ぶぞ」

 リューグナーの王が告げた、最初の名は「クレト」だ。

 誰が出てくるのか。緊張と不安で張り裂けそうな心臓を抱え、結果を見ていられずに目を閉じた。

 暗闇に包まれると、耳が冴えてしまう。規則正しい足音が、意識しなくとも耳に障る。

 ゆるゆると目を開けた時、近づいてくる男が見えた。

「さあ、クレト。お前は何を望む?」

 低いがよく通る王の声は、意地の悪いからかいを含んでいる。

「俺が欲しいのは、イステラーハの王女だ」

 答えがわかっていたのか、背中側から鼻で笑う音が聞こえた。

 体を硬直させたファルリンにかまうことなく、王の許可を待たずにクレトは近づく。

 羨ましいくらい、癖のない金茶色の髪。太陽の光を存分に浴びて揺れる、木々の葉のような瞳。冷静に見れば、整っている端整な顔立ち。こんなに特徴的な男が、他にいるとは思えない。

 当たり前という顔で、クレトはファルリンを荷物のように抱き上げる。そのまま、足早に部屋を後にした。


 ファルリンが連れていかれたのは、お世辞でも綺麗とは言えない兵士宿舎だった。薄汚れた石造りの外壁は、元の色がわからない。雨風にさらされて、まともな手入れもされていないのか、ところどころ欠けている。それでも、幸いなことに、今すぐ崩れる心配だけはなさそうだ。

 直前に小綺麗で立派な宿舎を見かけただけに、あまりの落差にため息も出ない。

「あ、隊長! お帰りなさい!」

 男の子の声がして、ファルリンは辺りを見回す。

「ねえねえ、その子ってもしかして、新しい子なの?」

「ああ。だが、戦場には出ないぞ」

「うん、わかってるよ。だって、女の子は剣を持って戦うんじゃなくて、僕たちが守るんだもんね!」

 自信に満ちた可愛い声が断言すると、クレトが彼の頭をなでた。

 体をよじっているファルリンに気づいたのか。クレトはそっと地面に降ろしてくれる。

「あ、そうだ。えっと、初めまして。僕はロイクと言います。お姉さんのお名前を教えてください」

 向き合ったとたん、ロイクは愛らしい笑顔で名乗った。つられて、ファルリンもぎこちない笑顔で名乗り返す。

「私はファルリンよ。よろしくね」

「可愛い名前だね!」

 ロイクは栗色の髪を揺らして首を傾ける。心を和ませるやわらかな笑顔は、まるで天使のようだ。腰に下げた小さな剣だけが、彼の雰囲気とそぐわない。

 十歳になったかどうか。下の妹と変わらないくらいの彼が、あんなに大人びたことを言っている。そうと知って、ファルリンは息を詰まらせた。

「お姉さんの部屋は、隊長の隣なの?」

「そうなるな」

「じゃあ、僕も近くだね!」

 嬉しそうなロイクを見ていると、自然とファルリンの頬も緩む。

 今いる場所がどこか、忘れてしまいそうになる。

『お前がノードゥス教の教義に反して自害しようが、こちらは一向にかまわない。ただし、お前が死んだ時点で、イステラーハはリューグナーの奴隷だ。お前が生きている限り、イステラーハの民には人として生きて死ぬ権利を与えてやる。……さあ、お前はどちらを選ぶ?』

 リューグナー王国へ連れて来られ、真っ先に王から宣言された。

 働き手の男たちを戦で失い、必死に生きなければならないイステラーハの民たち。彼らを思うと、自分が楽になるために、死ぬわけにはいかない。

 戦の報償として、装飾品や衣服などと同列に扱われても。ファルリンには、ここで生きるしか道はないのだ。

「あなたの部屋に案内しよう。ロイクも、そろそろ勉強の時間だな」

「じゃあ、お姉さん、手をつないで一緒に行こうよ!」

「ええ、いいわよ。ロイクくんが案内してくれるの?」

「任せて!」

 拳で胸を叩いたロイクは、スッと左手を差し出した。数度瞬いた後、ファルリンは彼の手に右手を乗せる。

 懸命にエスコートしてくれるロイクに、心は久しぶりに凪いでいた。


 宿舎の最上階、一番奥の部屋。そこが、ファルリンに与えられた個室だ。隣はクレト、その隣にロイクがいる。

 外観は薄汚い印象しかなかった宿舎も、中は不満を抱かない程度に整えられていた。

 床には、色鮮やかな織りで厚めの絨毯が敷かれている。二つある窓には、防寒用の毛織物がかけられていた。隣室との壁には暖炉があり、中央辺りにはテーブルとソファが置かれている。ドアには、中から鍵がかけられるようになっていた。

 ついでに寝室も覗いてみたが、天蓋つきのベッドだ。着替えを入れるチェストも、鏡台も、洗顔用のぬるま湯を置くための台も見える。

(櫛は、途中で買ってもらったものがあるから……あとは着替えね)

 リューグナーに着いてから、湯殿に放り込まれて磨かれ、着替えさせられた。脱がされた服や靴は、まだ返してもらっていない。

 この国独自なのだろうか。首元が開いた長袖のチュニックは厚めの生地で、太ももの半ば辺りから両側に切れ込みが入っている。丈も、膝よりやや長い程度だ。赤茶色のチュニックの下に、白いアンダースカートを履いている。それでも、足が涼しすぎて落ち着かない。ふくらはぎの中ほどまでしっかり覆われたなめし革の靴も、一人ですんなり履ける自信がなかった。

 慣れ親しんだ服でなければ嫌だ。そんなことを言うつもりはない。

(なるべく早く、布と裁縫道具だけ手に入らないか聞いてみようかしら)

 それがあれば、必要なものを自分で作れるのに。

 中身を確かめるため、チェストの引き出しを上から順に開けてみる。

 一番上には、今着ているチュニックの色違いが五枚と、白いアンダースカートが同じ数だけ。二段目には、白いリネンのエプロンと、帽子のようなものが数枚ずつ。三段目には下着類が入っていて、四段目は空だった。

(やっぱり、早めに布と裁縫道具だけは欲しいわ)

 出来上がっているものを買うばかりではやっていけないし、欲しいものがない可能性もある。あちこち探し回るより、作った方がずっと早い。

 早速頼んでみようと、ファルリンは部屋を出た。


      ‡


 翌日の朝食後、クレトが部屋を訪れた。

「昨日頼まれたものだが、俺ではよくわからん。街へ連れていくから、あなた自身で選んでくれないか?」

「連れていってくださるならそうします」

「そうか。では、行こう」

 歩き出したクレトは、ファルリンが普通に歩いていても追い越せそうな速度だ。それでも隣に並ぼうとは思えず、数歩後ろを黙ってついていく。

 今日の服は濃い青色を選んだ。何の偶然か、クレトの着る丈の短いチュニックも似たような色だった。

「隊長、出かけるんですか?」

「街へ行ってくる」

「ごゆっくりー」

 クレトに声をかける相手の、顔も名前も覚えていない。ただ、彼がクレトの指揮する隊の一員であることだけ聞いていた。幼いロイクも、やはりクレトの隊に所属している。

 リューグナーの英雄。

 その名にまつわる噂しか知らなかった。そんなファルリンでも、クレトが部隊の人間に信頼されていることはわかる。信頼に足る人間であることは、感情を抜きにすれば理解できた。

 ただ、どんな理由があったとしても、国へ攻め込んだことだけは許せない。

 考えながら後を追っていたファルリンは、クレトが城門へ真っ直ぐ向かわないことに首を傾げた。

「荷物が増えてもいいように、馬で出る」

「え……」

 二日間の慣れない乗馬で、まだ体のあちこちが痛む。少し無理をして、平気な顔で歩いてみせるが、馬は遠慮したい。

「慣れれば、歩くより楽だぞ。少々重いものを買っても気にしなくていい」

 それが彼なりの気遣いだと気づくまで、いくらか時間を要した。

 今歩くのがつらいのは、その慣れない乗馬のせいだ。欲しいのは布とちょっとした道具だけ。二人いて、抱えきれないほどの大荷物を予定しているわけではない。

「街の外れへ出向いても、日暮れまでにゆっくり戻ってこれるぞ」

 必死に利点を挙げている彼に根負けし、ファルリンは「わかりました」と告げる。

「その代わり、毎日乗せてくださいね。そのくらいしなければ、慣れませんから」

「ああ、任せておけ」

 笑うと幼く見えるのか、はたまた笑顔が実年齢相応なのか。ファルリンには判断がつかなかった。

 馬に乗せられ、クレトの両手が手綱を握る。ファルリンが馬の首にしがみついたのを確かめ、クレトは馬を走らせた。

 厩舎から城門を抜け、街へ。

 まともに見るリューグナーの王都は、感嘆のため息がこぼれた。真っ直ぐで広い、石畳の道。木造の家々は背が高く、奥に長い建物が連なる。道の角にある家は石造りで、木造の家の倍はありそうだ。どの家も、窓や屋根の部分に華やかな装飾を施している。

 城門から直進すると、いきなり開けた場所に出た。正面の家々はぼやけてよく見えず、左右に並ぶ建物の看板もはっきりと見えない。

「ここが広場だ。朝や夕方には市が立ち、時には公開処刑も行われる」

「公開、処刑……」

「庶民の少ない楽しみだ。嫌なら見なければいい」

(やはり、リューグナーの英雄なのね)

 人が死ぬことを、何とも思わない人間なのだ。いや、死にゆく者を楽しげに見ているのかもしれない。

 体が震え、そっと馬の首に身を寄せる。

「あなたには、朝夕の市がいいな。確か、他国の珍しい布なども売っていたはずだ」

 冷淡で冷酷な人間。そう思わされた直後に、優しい人なのかもしれないと考え直させる。そんなクレトの言動が、ファルリンには理解できなかった。

「朝の市は終わっているから、戻る前に夕の市を見ようか」

 決定事項の確認。そう感じられる口調でクレトに言われ、思わず振り返ってしまった。彼はどことなく楽しげで、穏やかな表情をしている。

「では、昼食になるものを買ってから街を出よう」

「あ、あの!」

 意思を疎通させるつもりがないのか。勝手に話を進めるクレトに、ファルリンは懸命に口を挟む。

「どこへ行くのですか? 私は、布と裁縫の道具があればそれで十分なのですが」

「気分転換だ」

 思ってもみなかった理由に、唖然とさせられた。

 口を薄く開いて目を見開いているファルリンに、クレトは笑みを向ける。

「俺が行きたいんだ。あなたには悪いが、つき合って欲しい」

 どうして。

 わけを聞きたい。けれど、言い出せなかった。

 彼が何をしたいのか。自分をどうしたいのか。何一つわからず、落ち着かない。

「……わかり、ました」

 覚悟を決め、ファルリンは馬の首にギュッとしがみついた。


 広場の露店で昼食を買って、街の外に出た。どこまでも広がる緑色の絨毯に、ファルリンは身を起こして周囲を見回す。

 イステラーハには砂しかなかった。数少ない植物は貴重品で、求婚する時に鉢植えを渡せる人は裕福と見なされたほどだ。

 物語か想像の中にしか存在していなかった風景が、今目の前にある。

 体の奥から湧き上がる高揚感を、どうしても抑えきれない。

「降りて歩いてみても、いいですか?」

 ファルリンの申し出に、クレトは小さく笑った。そしてすぐに、ファルリンを馬から降ろしてくれる。

「好きなだけ歩いてくれ。時間はいくらでもあるからな」

 頷いて、ファルリンは草の中を歩く。

 踏みしめる地面は足が埋まらない。水分を含み、しっかりと固まっている土だ。飛び跳ねても足元が崩れず、それが無性に楽しくて、ファルリンは何度か跳んでみる。

 素足に触れる草がくすぐったい。吹き抜けていく風は涼しくて、むせ返るような青臭い匂いが鼻につく。

 故郷では、夢よりも遠いものばかり。

「陸続きでも、こんなに違うのね」

「ここは、陸地の中心だからな。もっと北へ行けば、夏のわずかな間だけ雪解けの訪れる土地もある」

「雪に包まれた国コリエンテね……いつか、見てみたいわ」

 最も北にあり、大地は常に白い雪で覆われている、雪の王国コリエンテ。その話は物語で読んだことがある。だが、実際の雪を見たことのないファルリンには、絵を見てもよくわからなかった。

 思い出せるイステラーハの大地を、綺麗に白く染め上げても。きっと、実際のコリエンテとは違うのだろう。

「……もし、機会があれば、連れていこう。ただし、あなたは相当着込まなければ耐えられないぞ。リューグナーの比ではないからな」

 低く笑うクレトの服は、よく見れば袖が肘を越えた辺りで終わっている。手首まできっちりと覆われているファルリンとは、大違いだ。

(この人は、もっと北の方で暮らしていたのかしら?)

 風が吹くたびに、クレトは気持ちよさそうに目を細める。ファルリンはというと、肌寒さで時折身を震わせてしまう。

「さて、このままここにいるか? それとも、他へ行くか?」

「他、ですか?」

「花の咲く丘に、風の心地よい森。あとは、小さいが水浴びのできる湖もあったな。あなたはどこへ行ってみたい?」

 欲張りと、自分でも思う。けれど、挙げられた場所をどれも見てみたい。

 口の両端を持ち上げて、彼は黙って返事を待っている。

「どれも、行ってみたいのですが……」

 予想どおりに答えてしまったのか。思い切り噴き出したクレトに、ファルリンは恥ずかしくなって背を向けた。

 オアシスはあったが、他はイステラーハにはなかったものだ。あると聞けば、見たくなるに決まっているではないか。

「一度に全部は回れないからな……今日は丘へ行くか」

 きょとんとしてクレトを見れば、馬のそばに立って手招きしていた。

 彼は時々、リューグナーの英雄らしからぬ言動を取る。それがあまりに意外で、どうしても慣れなくて、いつも瞬き数回の間固まってしまう。

 クレトも乗り、馬を少し走らせる。何本か生えている木の一本に馬の手綱を結び、彼は少々急な斜面を無言で上っていく。相変わらずのんびり歩いてくれるため、ファルリンでも息切れすることなくついていけた。

 足を進めるごとに、足元に花が増えていく。白、赤、ピンクに薄い青色。淡い紫色やオレンジ色も見える。花の形も様々だ。

「わぁっ!」

 ファルリンは思わず感嘆の声を上げ、花を踏まないようにそっと足を踏み出す。花の少ない場所を探し、強引に両手と両膝をついた。

 間近で見た花々は、甘い香りのするものもあれば、草の匂いが強いものもある。小指の爪より小さい花の隣で、人差し指の長さと変わらない大きさの花が咲き誇って。

「リューグナーには、こんなに素敵な場所があるのね!」

「気に入ったか?」

「ええ、とても! まるで夢の中にいるみたい!」

 風に揺れる花に触れ、顔を近づけて匂いを嗅ぐ。気になる花を見つけては、別の花を踏まないようにゆっくりと移動する。

 夢中になって花を追ううちに、太陽が西へ傾いていた。

「今日はそろそろ戻ろう。じきに市も出る頃合いだ」

「……そう、ですね」

 声にも表情にも、名残惜しさが露骨に表れている。それに気づいたクレトが心底おかしそうに笑い、ファルリンは口を尖らせた。

「そんなに気に入ったなら、また来ればいい。ただし、森や湖に行ってからになるが」

「また、連れてきてくれるのですか?」

「あなたが来たいと望むなら」

 当たり前のこと。そんな顔で微笑むクレトを見ていられずに、ファルリンは彼から視線を少しだけ逸らした。

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