4話‐野営
見張りを立てながら、交代で休息する。
バレル共の回収・焼却に思った以上の時間がかかり、止む無く野宿を強いられた。
ここから最も近いリューヒンの砦まで向かってもよかったが、少しばかり眠った方がいい。
ただでさえ走り通しの3日間だ。
柔らかな草原に身を預ける方が、石造りの砦の窮屈で肌寒い休憩スペースより、夢見がいいに違いない。
僅かな仮眠を取った後、私は水筒と携帯食料を手に、焚火を囲む一団の元へと足を運ぶ。
「眠れましたか、隊長。」
「ああ、ミリアム。久しぶりに、いい夢を見れた。寝る前に酒を飲んでいたら、もっといい夢を見れただろうな。」
「まったく、王都のエールが恋しいですね。」
共に火を囲む兵士の一人・ミリアムが、固いパンを粗食しながらそう呟く。
「女じゃなくてか?」と言うと、他の兵士達が大声で笑いだした。
ミリアムも調子に乗って、「隊長も、さぞ奥さんが恋しいでしょうね?」と返答してきたので、軽くこづいてやった。
全く、当り前だろう。生まれたばかりの娘も見たい。
「エールもだが、ビリガー鳥の肉もだな、オルス。」
「全くです。」
オルスに話を振れば、水筒から水を一口、そう答えた。
いい加減、味覚を刺激する食物にありつきたいところだ。
明日はリューヒンに寄って、マシな食料にありつくとしよう。
腰に付けた革袋から、葉巻を一本取り出す。
最後の一本だ。
これを吸いきってしまえば、あとは王都に帰還しなければ手に入らない。
内海を隔てた向こう側、大国エヴァルドのみが製造・販売している嗜好品・葉巻。
特別な種類の植物の葉を乾燥させ、香草でくるんで一本の棒状にしたもので、火を点け煙を吸い込んで楽しむ。
初めて吸ったのは、10年前の大戦の最中。
始めは喉が焼けるような感じと、むせて咳き込む苦しさしかなかったが、今ではこれがないとやっていけぬ。
ただし、高い。
私の安い給料では、せいぜい月に30本、1日1本ずつ吸えれば御の字か。
それ以上買いこめば、生活できなくなる。
妻にも怒られるしな。
紫煙をくゆらせ、一口一口を味わいながら、煙を嚥下する。
身体中に、甘い痺れが走る。
現場を任される指揮官として、痺れを誘発させる代物を嗜好品にするのはどうかと自覚はしているが、心労の溜まる仕事に、一息の清涼剤として許されてもいいだろう。
「しかし、セーヤは一体、何者なんでしょうね。」
葉巻を楽しんでいると、オルスがぽつりと呟いた。
他の兵士達も、思案顔になる。
もちろん、この私も。
「何者も何も、あいつとは言葉が通じねぇしな。」
兵士の一人が言う。
そうだ。
この3日間、意思疎通は身振り手振りでなんとか取れるようになったが、それ以上の進展は望めなかった。
言葉も、文字も通じぬ。
「だいたいあの『ラフェルドナス』に一人で、武器も持たずにいたことが不可思議だ。」
「俺達騎士だって、一人で向かうのは肝が冷える森だ。」
ミリアムが首を掻きながら言う。
そう。
そうなのだ。
『ラフェルドナス森林地帯』――――別名『上古の森』。
古代帝国期か、それ以上前から存在していると考えられし、深き森。
『何故か』動物はおろか、魔物の類でさえ『近寄らぬ』謎の森。
その、得体の知れぬ森でずっと生活していたのかとも考えたが、それもなさそうだ。
信じられないことだが、『つい最近あの森で生活し始めた』ように感じるのは、気のせいではあるまい。
昼の様子からも、バレルと初めて接触した風に見えた。
セーヤに関して、不審な点は2つある。
一つめは、黒髪黒瞳。
30年の私の生涯で、あのような身体的特徴の人間と出会ったことは一度もない。
人型の魔物――――には、どう疑っても見えん。
あれは、間違いなく、人間だ。
付近の村から出た、遺伝的な変異者――――アルビノのような――――かとも思ったが、その考えを改めざるをえない事実が生まれた。
それが、不審な点の2つめ。古代言語を習得している点だ。
存在を噂される未知なる大陸。その出身者の可能性が高い。
兵士養成学校時代に習った、簡単な古代帝国期の歴史科目に曰く。
古代帝国を築き上げた重鎮たちの祖先は、外なる大陸から大海を越えてこの地にやってきた。
ただ、5000年とも6000年ともいわれる神話の如き過去の言い伝え、私はあまり鵜呑みにはしていないが……。
「セーヤは、異人かもしれぬ…。」
私の言に、皆が動きを止める。
「異人…?どういうことです?」
「オルス、他の奴等より賢いお前なら気づくだろう?」
そう言ったらミリアムが「俺らだってエス・レス・カーン人ですよ。」と反論してきたので、笑って流しておいた。
私がオルスにだけ、本当に伝えたかったもの……。
むろん、『古代帝国言語』のことだ――――そう、言外に含ませた。
セーヤが『古代帝国言語』を習得している可能性を、私とオルス以外には教えていない。
秘匿されし文字を、そう易々と話す訳にはいかないのだ。
皆には、「召喚魔法に関係する物かもしれん」とは伝えたが。
しかし、その理由では納得しない者が出始める可能性も、ある。
命令厳守の兵士とて、人間。
話す口が、思考する頭脳がある限り、憶測と噂は必ず漏れ広がる。
懸念事項は、ここで断ち切らねばならん。
「異人…というより、異なる国、いや大陸か?その、我々の知る世界地図以外からやってきた、人間かもしれん。」
「まさか、噂される未知の…?」
兵士の一人が聞いてくる。
「うむ。お前たちも、大海の広さは知っていよう?内海でさえあれほど広いのだ。大海の先に、我々の大陸のように、群雄割拠し、様々な文化と言語を持った人間がいてもおかしくない仮説だとは思わんか?」
一様に押し黙る兵士達。
エス・レス・カーンは賢者の国。
他国より、教育水準は高い。大陸一の大図書館を構えるのは伊達ではない。
大海の彼方の未知なる大陸など、我が祖国の他はエヴァルド以外で、与太話・御伽話として一笑に付されてもおかしくはない予想だ。
オルスも押し黙っているが、他の兵士と違い、私の『異人』という表現の意図に気付いているようだな…。
流石、セラルート家の次期当主。
上級士官を約束された家柄の者が、何故現場で命を張る、私の部隊への配属を希望したのやら…。
……ん?もうそろそろ、見張り交代の時間だな。
考えるのはこれくらいにして、さっさと見張りの奴等を眠らせてやらねばな。
「さ、似合わない考え事なんかはやめて、楽しい楽しい見張りに向かうぞ。ほら、皆立て。ミリガンは、上官への不敬発言で次の交代も無しだ。」
「え?!勘弁して下さいよ!」
さっきまでの沈んだ空気から、皆一様に破顔して笑いの渦が起こる。
セーヤについては、王都で詳しい取り調べが行われるだろう。
私の立ち入る場面は、これ以上なさそうだ。
移送という職務に尽くすとしよう。
ただ、オルスだけは、見張りに向かう準備をしながらも、思案顔のままだったのが気にかかったが。
彼等は気付かない。
仲間が一人ずつ、消えていっていることに。
彼等は思いもよらない。
今日、この場が人生の幕を下ろす場になることを。
彼等は気付かない。
突然命を絶たれた時、口から声など出ないことを。
彼等は思いもよらない。
朝日を、もう二度と拝めぬことを。
展開が遅くてすみません。