3話‐エレス平原にて
異世界に召喚されたということ。
それは、かつての世界での常識・観念・価値観の崩壊を意味すると思っています。
予想不能の事態、理不尽なまでに続く苦難苦境。
それなくして、異世界は語れないのではないかと…。
この作品を書こうと思った理由の一つです。
あの森から、川から離れ、3日経つ。
僕はと言うと、何故か灰色のローブを着せられ、兜を被らされている。
重くて、気を抜けばすぐに首が左右に傾いてしまう。
傍から見れば、背の低い騎士が、立派な体躯の100人の兵士にまぎれているだけだが。
現在、金髪ジェラルド・バトラー改めザルツ(ザゥルツ?)隊長率いる100人の部隊と僕は、見事なまでにのどかな平原地帯を馬で疾走中である。
どこに向かっているのか、僕にはどのような処遇が待ち受けているのかは不明だが、人道的な扱いを祈るしかない。
今も護送のような待遇であるし、この部隊が目指す場所でも、もしかしたらザルツ隊長が何かしら取り計らってくれる気がする。ひとまずは安心していいかも。
縛っていた荒縄も、結局すぐに解いてくれたことだし。
馬に乗って3日目の現在、人生で初めての経験ばかりだった。
まず、今乗っている馬だ。
乗馬なんてしたことのある人間が、1億数千万の日本人全体で、何割ほどになるのか。
大多数が乗ったことなどないだろう。
僕も、その例に漏れず大多数側。乗ったことなんてない。
だから馬には舐められた。身長も低く、初めて間近で見る馬の巨大さにびびっていたら、鐙に足をかけた瞬間、旋回されたのだ。
無様に地面に転げ落ち、恨みがましい目で馬を見たらオルスが馬をあやしていた。
「nihdekkh,:dufwe.:」
何事かを僕に言うが、表情と口調の柔らかさから推測するに、「心配するな」とか「怖がるな」とかだろうか?とりあえず僕を励ましてくれているのだと思う。
てか、もしあれで「馬にも乗れないのか?無様だね。」なんて言われてたら、人間不信に陥る。
馬は非常に賢い動物だと聞いたことはあった。
そして、非常に臆病な一面も持っているとも。
初対面の人間を怖がっただけかもしれない。
そう思って、今度はいきなり乗ろうとせず、まず馬の前面に向かう。
(よく戦国武将が、自分の馬に語りかけていたとか…)
なにもしないよりマシ。これで乗馬しやすくなれば僥倖と、面長の顔面に手を当て、優しく撫でる。
鼻息の荒かった馬が、少しずつ少しずつ、穏やかな呼吸になる。
…いけるかもしれない。
馬の、黒いつぶらな瞳を見据え、伝わるはずのない人語で語りかける。
「さっきは、いきなり乗ろうとしてゴメン。どうか、背中に乗らせて下さい。」
しばしの見つめあい。
と、馬がわずかに首を振って、傾けた。
……今度は、ゆっくり。
鐙にしっかり足を乗せ、思いっきり身体を持ち上げて跨る。
(乗れた!!)
人も動物も、礼儀無い者は信頼されないものなのかもね。
後ろで、オルスが笑っていた。といっても、微笑み程度の小さな笑みだが。
この人には槍で突かれたが、『漢字』の一件以降は打って変わって僕に優しくしてくれる。
漢字を知っている僕を、同好の志と思っているからか?
……そんなわけないよな、多分。
隊長の前ではないし、公私をわきまえる事務的人間だからって可能性の方が高そうだ。
あんまり深く考えるのも詮無いけど…。
馬に乗った後は、オルスが自分の灰色のローブを僕に渡してきた。
どうやら着ろってことらしい。
次いで、少し痛んだ兜。武骨な鉄の兜は、フルフェイス型で視界も狭く、息苦しく、何より重かった。
サイズも少々大きいのでぶかぶかしている。
自分達の装備を貸す意味を完全には理解できないが、川原で見つけた小汚い少年を、馬に乗せて着飾らせてくれるのだ。
改めて考えてみれば、寛大な処置じゃないだろうか。
今になって、有り難く感じる。
彼等がどのような目的でこの場所に来ているのかは知らないが、軍事行動なのは間違いない。
そんな命を懸けた任務の最中、お荷物にしかならない僕をこうして扱ってくれている(見方によれば保護してくれている)彼等に、感謝の念がふつふつと湧いてきた。
「オルス。」
オルスが、こちらに顔を向ける。
呼び捨てなのは申し訳ないが、こちらの言語で「Mr,」がわからないから仕方ない。
「ありがとう。サンキュー。メルシー。謝謝。」
感謝の言葉をいっぱいのべる。笑顔で、友好的なことを言っているアピールも忘れずに。
オルスも、何とはなしに僕が感謝の句をのべているとわかったみたいだ。
「utnds.」
どういたしまして、か?
あいにく、やっぱりまだ発音を聞き取れないけど。
そうこうして出発して、冒頭の3日目である。
初めての経験はまだある。
乗馬は、痛い。すごく痛い。
鞍は硬く、舗装されていない道を疾走するのだから、振動が股間にモロにくる。
あと、鞍と内股の皮がずれるのだ。
昨日の夜に確認してみたら、皮がめくれて血が滲む箇所がいくつかあった。
このまま順調にいけば、内股の皮全てはがれるんじゃないか?
乗馬の大変さを身をもって知る。
同じ服、風呂に入っていないという不衛生な今、細菌やウイルスに侵されないか非常に心配だ。
川にいたころの水浴びが懐かしい…。
今日もまた、乗馬の痛みに耐えながら疾走中。
街道とおぼしき道が、だんだん広くなってきた。
町か、村。とにかく人の住む圏内に踏み入れたのかもしれない。
まだ平原と丘陵のみの視界だが、平原の雑草が牧草のようなものに変わってきている。
家畜の放牧用のものか。
やっぱり、そこかしこに人の手が入り込んだ気配がする。
思えば、本当に長かった。
体感しただけで18日間。
一人であの森と川で過ごしてきた日々。
そして、馬に揺られながら、言葉も人種も違う人達にまぎれ、疾走する日々。
この3日間で、オルスとはジェスチャー込みで何度か会話した。
時折『漢字』の音読みを聞いてくるので、答えてあげれば、懐の羊皮紙の余白に新たに書き足している。オルスは兵士だけど、勉強が好きなタイプかもしれない。
他の兵士よりも事務的な雰囲気は、彼が文系だからか?
それなりに、友好関係は築けていると思う。
ザルツ隊長には、他の隊員の名前を教えてもらった。
発音しずらい名前も多々あったが、概ね名前は覚えられた。
ただし。イマイチ名前と顔が一致しない。同じ名前の兵士も複数いるし。
白人なので、顔が一緒に見えるのは仕方ないだろう。僕はモンゴロイドだ。
ふと思い起こせば、この世界に順応している自分に、心底驚く。
気が狂いそうになる夜は何度か越えたが、それよりも好奇心に震えていた。
自分が、まるで、誰かの描いた物語の主人公であるかの様な錯覚。その、高揚感。
現実は小説より奇なり。
浮かれていた。
そう、僕は浮かれていたのだ。
ランナーズ・ハイの気持ち。
ただ、『幸運にも何も起らなかっただけ』なのに、自力で生き残ったのだと信じて疑わない、傲慢な自負。
ここはどこだ?
過去の中世ヨーロッパか?
未だに、その可能性を捨てきれないでいた僕は、本当に甘かった。
思い返せ。
アルファベットを使用しない白人がいるものか。
思い返せ。
あの森の、現実離れした雰囲気を。
思い返せ。
この3日間、何故ザルツ隊長たちは、この平原地帯を過度に警戒して疾走している。
馬の嘶きが、合図だった。
平原の彼方――――右方から、何かがやって来る。
黒い、無数の塊達。
遠吠え。
雄叫び。
そして、けたたましく打ち鳴らされる、鉄の音。
「nilufzutg7!!!」
兵士の一人が叫ぶ。
全員が右へ倣う。
槍が整列し、人馬が陣を形作る。
ザルツ隊長が兜を被る。
オルスが、僕を守るように前へと進み出た。
思い返せ。
自分の今、いる場所を。
奇なる場所を。
現実は、小説より、奇なり。
「隊長!バレル共です!」
イリガンが叫ぶ。
ようやくおでましか、祖国の地を汚す魔物共め。
セーヤを移送する手前、交戦したくはないが、殲滅せねば付近の町村に被害が出る。
叩ける時に叩かねば、延々と蔓延るだけだ。
「右方注目!」
私の号令に、右辺の部隊30騎が馬首を、バレル共へ向ける。
指揮はイリガンだ。
2クリーク先も見通せる私の目には、約50匹程の奴等の群れ。
「アックス!左方を警戒しておけ。オルスは後方を警戒しつつ、セーヤを護衛して待機。」
「「は!」」
イリガン指揮下の30騎が、馬に備え付けた軽弓に矢をかけて待機。
イリガンの合図待ちに入る。
バレル50匹程度、それで半数以上は消えるだろう。
相手との交戦まで残り1クリークを切った。
「放てぇっ!!」
イリガンの号令が飛ぶ。
熟練された兵士による、間髪入れない連投に、次々と奴等が沈む。
的にならぬよう、群れが散らばり始めるが、もう遅い。
『魔物』などと大層な名称を与えられてはいるが、所詮狼犬にも劣る知能の持ち主。
地力が人間より多少優れているだけの、本能で動く生物。
我等は、我等の様な人間は、一糸乱れぬ統率と戦略立った動きの兵隊だ。
到底敵うものかよ。
大人しく地に還れ。
「槍兵前へ!」
私も兜を被る。イリガン達が撃ち漏らしたバレル共の殲滅を開始する。
イリガン達が退いた前面に、私に率いられた30騎が新たに躍り出た。
奴等の数は最早20にも満たない。
野盗の方が、まだ持ちこたえられただろう。
「突撃!」
静かに、しかし猛々しく、バレルに向かって突撃する。
槍の穂先を醜悪な的へ向かって放つ。
私の投槍の強大な威力に、巻き込まれるように2匹3匹と、一辺に刺し貫かれた。
即座に抜刀し体勢を整えてみれば、最早バレルの群れは全て、地に伏していた。
まだ息があるものも、部下が次々と槍で処理している。
「…やれやれ。」
あっけないほどに、一息の戦闘で全てが終わった。
アックスの方を振り返ると、横に首を振っている。
左方からの襲撃はなし。
オルスも同じくだ。
どうやら、本当に闇雲に向かってきただけの一団らしい。
自分が先ほど投げた槍に近づき、一気に引き抜く。
3匹の肉の塊が、重々しく地面に落ちた。
…腕が鈍ったか。5匹を狙ったんだが…。
まあ、この腕が振るわれない程度には、平和になったってことで納得するかね。
「矢を回収したら、こいつらを集めて焼却するぞ。」
槍を担ぎ、そう命令する。
この程度の働きなら、何の問題もないのだ。
セーヤの方を見る。
兜を被らせたから、表情まではわからぬが、震えているのは間違いない。
…つくづく、あいつはおかしい。
この低級バレル共など、この大陸で生きる者皆が周知の生物。
童に童女ならいざ知らず、あいつは少なくとも20代に届くか届かないかのはずだ。
この程度で、今さら何を恐れる?
お前は、あの『ラフェルドナス森林地帯』にいたではないか。