異世界召喚?3
幸運だったのは、この森で動物の類と出会わなかったこと。
意味するところは、自分を襲う猛獣の類がいないということ。
不運だったのは、この森に食物となるべき陸上生物がいなかったこと。
意味するところは、文字通り食べる物がいない。
僕は飢えていた。
もともと小食だったが、それは飽食が許されたかつての場所での話。
手元にある木片に、砕いて磨いた石のナイフで切れ込みを入れる。
『正』の文字が3つ。
森で気がついた日から、15日が経過していた。
初日は、思い出せば本当に苦労した。
焦燥感に身を焼かれ、叫びだしそうになる気持ちを耐えた。
森に何が生息しているかわからないのに、それをおびき寄せたくはなかった。
落葉樹の森。
捕食者は恐らく、熊・猪、日本でないと仮定して、プラス狼か。
よく、熊に出会いたくなければ歌を歌えばいいという。鈴の音を鳴らせばいいとも。
でもそれは、人を知る熊だろう。
こんな、日本か外国か、どこの森かもわからない場所に生きる熊に、その知識があてはまるとは思えない。
むしろ餌の手がかりにされるだけじゃないのかと思う。
熊は100mを7秒弱で走破する。体力も人間の比ではない。木登りもお手の物だ。
出会ったら最後、本当に死ぬ。
猪も怖かった。あれなんかは音で余計に寄って来るだろう。
豚の先祖様は、立派な牙と、体当たりを持っている。
俺の実家で、猟師が猪の体当たりを食らって死んだことがあった。
身長180オーバー、筋肉質で強面、猪や熊を狩っては家に来て、一緒に鍋をする仲の良いおじさんだった。
その人が、しっかりとした装備をしていて、不意を食らったとはいえ一撃で死んだ。
僕のように、身長も低くそこまで鍛えられていない人間などは余裕で死ぬ。
そして一番怖かったのが狼だ。
日本では、固有の日本狼は絶滅した。
だが、狼という種はまだ世界で生きている。
ここが日本ならいい。でも、日本じゃなかったら…?
熊や猪と違って、集団で来る敏捷な個体。
何より、『知識がない』相手は、本当に怖い。
そう思えばこそ、初日の僕の行動は迅速だった。
生き残りたい一心が、怠惰な文明人を急速に退化させた。
靴が無かったので、地面の石を砕いて、それで木の幹を削り取り利用した。
とはいえ、ただの歪な一枚の木の板。
わざと節くれを残して、それを親指と人差し指で挟んで使う。
地面を滑るようにして歩いた。
のろのろとして非常に遅いが、地面に転がる石で足を切り、破傷風になる方が怖かった。
猛獣が出た時、もちろんにべもなく裸足で全力疾走するだろうが、それまではこの歩き方でいい。
土が入り込んでくることだけは解決できなかったが。
初日の夜。
木のうろを見つけ出し、そこに縮こまって、震えながら朝日を待った。
体の芯から、寒さを感じた。
何度も襲われ、食い殺されるイメージに苦しめられた。
靴ずれと、豆ができ始めた足を労わるように撫で、ひたすら朝を待つ。
前述の通り、幸運だったのはこの森に動物の類と出会わなかったこと。
猛獣もいなかったので、身の安全は確保できていた。
と言っても、単純に自分の通ってきたルート上に生息していなかっただけだろうが。
この森は、多分とてつもなく広く、深い。
自分の通ってきたルートなど、森の全体像からすれば微々たるものだろうし。
それに、落葉樹の多くが木の実を落とすはずだ。
餌が豊富な立地環境で、野生動物がいないわけがないと思うが、出会わなかった事実こそが大事だ。
ありがたかった。
もうひとつ。
幸運だったのは、どうやら自分が最初にいた地点は、この森の端にあたる場所だったらしい。
三日ほど不眠で歩き続けた後、原っぱの様な地形に出られた。
見渡す限り、まばらな木々と雑草の平原だ。
気の緩みと、疲れと、不眠。
僕は初めて、声を押し殺してだが盛大に泣いた。
森という閉所から抜け出せた安堵。
森で野たれ死ぬ恐怖から、一応とはいえ脱出できたのだ。
脱水症状に近い身の上だが、それでも涙は止まらなかった。
雑草が無かった森に比べ、非常に歩き辛かったが、それでも森から抜け出せた安堵で平原の歩行にそれほど苦労はしなかった。
それよりも水が必要だったのだ。
水不足で死ぬ。
干からびて死ぬ。
森伝いに、黙々と歩く。
見晴らしのいい平原に出たが、森からは離れがたかった。
なんとなく、遮蔽物が欲しかった。
歩きながら、喉を掻いて、いもしない神に何度も願う。
川に出会わせてくれ、と。
不眠が限界に達しながら、ここに来て4日目の夕方。
水の匂いを感じた。
ふと、朦朧とした意識を空に向ける。
曇天。
雨だ!
限界をとうに越している身体と精神が、水にありつける歓喜に打ち震えながら。
だけど、本能が告げる。
『身体を冷やすな』
森伝いに歩いてきたことが味方した。
天から水が、盛大に降り始める前に、木々の傘に非難することに成功した。
木々の傘から手を伸ばし、汚れを洗い落しながら、雨水を飲んだ。
むさぼるように、何度も飲んだ。
限界だったのだろう。
そこから、僕の意識はない。
目が覚めた時、雨はもう止んでいた。
一体どれほど眠り込んでいたかはわからないが、地面の渇き方を見るに、一昼夜か。
以前よりクリーンになった意識を総動員させて、今度は腹を満たすものを探す。
平原の雑草についた露で喉を潤しながら、川を目指す。
動物に出会えなかったのなら、もう魚しかない。
川に出会えなかったら死ぬしかない。
削った木の幹を噛んで空腹をまぎらわし、川と出会えたのはそれから1日後のこと。
ガリガリになった腕で川の水をすくう。
生水など毒だが、このまま死ぬよりはマシだ。
腹を下すのを覚悟で、川水を嚥下した。
実家にあるような川だった。大きくもなく、でもそれほど小さくもない。
石の丸みから、ここは下流域だろう。
釣りなど門外漢なので、大きな岩に石をぶつけて魚を気絶させる方法で漁をした。
数は雀の涙ほどだが、それでも取れたことに変わりはない。
初めての食事を、久しぶりの食物に喉がむせる中、噛みしめる。
火など起こせないので、生のまま、身だけを食べた。
生臭さなど気にならない。
ただ、感動していた。
生きる術をようやくつかんで、食事のありがたさに胸を打たれて、ただただ感動していた。
気がつけば、もう15日もたつ。
意識がある時の体感で15日だから、もしかしたらそれ以上かもしれないが。
栄養失調気味だとは思うが、飲み水、食物は確保でき、それなりの余裕は生まれた。
未だに火だけは起こせない。
が、よくよく考えてみれば生魚を食べないとビタミンを補給できないので、むしろこのままの方がいいのかもしれない。
石のナイフで大抵の作業はできるし、今はもっぱら弓を作って一日を過ごしている。
もう一度、森に入ろうと思うのだ。
川近くに自生していた木に、活用できそうな蔓を見つけた時に思いついた。
ナイフと蔓のおかげで、サンダルもどきのような靴ができたのも大きい。
歩行しやすくなったし、動物を探しに森に入ることもできそうだ。
木の実なんかもあるかもしれない。
弓はまだ完成していないが、心なし順調に、今の環境が好転しているように感じる。
この何処かもわからぬ土地で、僕は生きている。
自信が芽生え始めているのだ。だからこそ、それを生かすのは今だと思う。
「よし!」
不細工だが、試作品としてはまずまずの出来の弓をかかげ、空を仰ぐ。
「絶対、生き残る!」
それは、自分への激励であり宣言。
日常に帰るために、生き残ってやるのだ。
そう、決心した矢先だった。
「lsjdhfoiyhbd!!!」
「っ!?」
聞きなれない声……声?!
間違いない、人の声?!
立ち上がる。
自分がいる川辺より、何段も高い崖上に、彼等はいた。
こちらを見下ろす、幾人もの姿。
銀色に光る鎧。
手にした槍。
腰に差す剣。
そして、兜をしていないその顔は、どうみても白人のもの。
「……外国?の映画撮影かな…?」
もちろん、それが誤解なのは、もうしばらくしてからわかったが。
ようやく次から本編です。