7話‐ギルド脱出(後編)
どうしても動かしてしまいそうになる左腕を、極力意識して動かさないようにして、真っ暗闇なギルド本部内を移動する。
初めから隻腕だと思い込まなければ、パズによって施された治療が無駄になってしまいそうだった。
魔力で形成された淡く発光する仮初の左腕は、一見完治しているように見える。
けどそれは、パズが人並み外れた魔法師だという証だ。
根元から爆ぜ飛んだ部位を、一昼夜でここまで復元できる方がおかしい。
「奇跡級」の称号に違わない彼の医療技術に、素直に感謝の念を覚える。
今はまだ、これはあくまで仮初の左腕。
使用は絶対禁止。
その言いつけを破って使ってしまえば最後、「レグオンの100人殺し」だった私には二度と戻れなくなる。
純粋に戦闘を、人を殺すのを生業としているのなら、隻腕では駄目なのだ。
だから絶対安静だと言われたのに、今の私は、それを無視してこうやって走っていた。
何故危険を冒してまで私は走っているのか……。
上手く、答えられない。
割に合わない仕事なんて、傭兵と同じで暗殺者にとっても忌避すべき対象だっていうのに。
――――それに、不用意に本部内を移動していてあの異界人・セーヤと出くわしてしまったら、バドルモア様からの命令を無視することになるのにね。
だけど、命令を遵守することは別にして、妙な胸騒ぎがした。
「直感」「予感」といった勘の類だけど、私はそれをかなり信頼していたりする。
嫌な予感だ。
不穏な空気が、今も肌を強張らせている。
人殺しを生業として10年。
無数の命を奪う血みどろの世界で生き残ってきた。
勘とは、そういった緊張感と経験の中で磨き上げられた反射神経であり、鋭敏に研ぎ澄まされた本能。
その私の勘が伝えてくる。
間違いなく、夜更けのこの屋敷の中で、誰かが戦っている。
先の治療室、私ほどの手練でなければ聞き漏らしていただろう、微かに聞こえた硬質な音。
あれは恐らく、古代帝国期の魔術である「壁」で何らかの魔術を防いだ衝撃音だ。
異界人を召喚した魔術師・ロイハルトから、古代帝国期の魔術を学んで体得できた暗殺者はたった2人。
ギルド長・バドルモア様と、私・ブランデ。
西領とは異なった象形文字とかいう部類の、”文字1つが意味を内包する”古代帝国語を完璧に思い浮かべられなければ使用できない、秘匿されし魔術体系。
膨大な文字数と同音異義語の多さがネックになって、付け焼刃の短期講習では結局私達しか体得できなかった。
また、体得と言っても私は「爆」「斬」「壁」の3つ。
バドルモア様はその3つの他にもう幾つか。
はっきりいって、少なすぎる。
戦闘技術を売りにしているというのに、冗談の様な結果だと自覚はしているけど、でも、それも致し方無いと思いたい。
線を組み合わせた図形を見せられて、「これはこういう音で、こんな意味がある」と言われて、そう幾つも記憶できるものか。
ともあれ、私の勘が正しければ、「壁」を行使したのはバドルモア様。
では、バドルモア様は誰と戦っている?
暗殺者ギルドという職種柄、敵は多い。多過ぎる。
勘のみで行動している現状で、敵を絞り込むのはどだい無理。
だからこそ、選択肢は狭まる。
暗殺者ギルドに敵が多いのは確かだけど、このレグオンが自由都市として独立を保っていられるのは、この街に暗殺者ギルドという抑止力があればこそ。
暗殺者からの報復は、筆舌に尽くし難い代物だ。
誰も、あの大国・エヴァルドさえこの街に、このギルドに手を出したがらない。
私も何度か報復の任務で他国へ派遣されたし、他国がどれだけこのギルドを畏怖しているのか身を以て知っている。
ギルドを狙った外部組織からの攻撃ではないとすれば、残る可能性は異界人・セーヤのみ。
異界人ならば、バドルモア様を強襲する目的なんて、一つしかないだろう。
(……仇討ち目的、か。バドルモア様に単身乗り込むとか、本当、あの異界人はどうかしてる。)
身体に染みついてしまった暗殺の技術。無音での疾走。
全身を脱力させ、体重が無いイメージを脳内で仮想し、爪先だけで着地して走る。
前のめりに倒れこむ力と、前方に真っ直ぐ走る力を掛け合わせる事で、通常の走法に比べれば圧倒的に軽やかで疲労も蓄積しない。
これに魔力を付与すれば、それこそ風のような速度で走る事が出来るが、今は少しでも左腕の完治に回したいのでやめておく。
それに魔力を使わずとも、私は全身凶器なのだしね。
そういえば、この走法を教えてくれたのはバドルモア様だった。
――――ふん。
過去を振り返るなんて、私らしくもない。
過去の思い出も、経験して学んだ事も、体得した技術も、生きている”今”がなければ意味が無い。
死んでしまえば価値を失うから、過去を振り返るのは死に際だけでいいのだ。
そう思って浅く息を吐き、さらに走る速度を上げた。
音の聞こえた方向と、執務室のある方向は同じ。
ならそこが目的地だろう。
それほど広くもないギルド本部。
他の皆が寝静まっている最中の屋敷内。
何か得体の知れない焦燥感に急かされて、私は執務室へと駆けた。
息が、荒い。
今になって震えてくる脚で、僕が殺した男に近付く。
目の前の、街を見渡せる大きな窓から差し込むのは、もう沈みかけた月の光。
その光に、上半身と下半身を断たれたバドルモアの死体が照らされている。
(……死顔まで、笑ってるのか。)
始めて地下牢で会った時と同じく、僕に殺された時まで、この男は柔和な笑みを浮かべていた。
別に僕は、この男にもがき苦しんで死んで欲しかった訳じゃない。
仇を討つのが目的だった。
だからどんな顔で死んでいようが、そんなことはどうでもいい。
どうでもいいのに、何故か悔しくて、腹立たしくて、やりきれなかった。
――――いいさ、目的の半分は果たしたんだから。
初めて…ではない。
二度目だけど、人をこの手にかけてしまった。
それを後悔していないし、するつもりもない。
後悔するような軟弱な性根はもう捨てた。
戦わなければ、抗わなければ、この異世界では生き残れない。
自分の身を守れない。
結局、なんでこの男が僕をこの世界に召喚したのか分からず終いだったけれど、碌な目的じゃなかったはず。
僕の持つこの力――――漢字の魔法――――が理由なら、この世界にとって有益なものじゃなかっただろう。
そう考える事で、自分の殺人を正当化するつもりもないが。
自分は天才ではないのだ。
回転の速くない頭でごちゃごちゃと考えるのではなく、シンプルな目的を予め決めてから動く。
それが成功したから、例え”運良く”でも”偶然”でも成功したから、僕はこうして目的を果たし生き延びられた。
それでいい。
今後しなければならない事は死体からアクセサリー類を回収し、この都市から脱出すること。
追手がつくだろうから、なるべく遠くへ行き、元の世界へ帰る方法を探す。
――――ああ、もう一つあった。
無意味かもしれない。けれど、ザルツ隊長達の墓碑を刻まないといけない。
彼等の亡骸がどうなっているか分からないが、あの草原へなんとかして戻りたい。
(ザルツ隊長、オルス、アックス、イリガン、僕を保護してくれた皆。……仇は、討ちました。)
床一面に広がった血や体液を避けてしゃがみ、バドルモアの左耳と喉に手を伸ばす。
……よし。
僕の手には、二つのピアスとネックレス。
これで完全に、当初の目的を果たした。
立ち上がって、未だ軽いままの自分の身体を確認する。
「肉体強化」を使ってまだ5分も経っていない。
どうやって解除するのかはわからないけど、むしろ今はこのままの状態がいい。
窓から飛び降りて、夜が明ける前に都市を脱出しなければ。
多分、都市の周りは壁か堀が張り巡らされているはずだから、この状態じゃないとお忍びで都市を抜け出せないだろうし。
ネックレスを見に着けて、初めて耳に穴を開ける怖さに怯えながらピアスを着ける。
不思議な事に、痛みは無かった。
「肉体強化」状態だと、痛みも感じない――――というより、ある一定に達しない痛みは軽減されているのだろうか。
非常に有難かった。
バドルモアの死体を跨いで窓を開く。
その大きさの割に、思ったより軽く開いたけど、これも今の状態だからか?
腕力も上がっているのだろうか……。
ふと、ガラスに映る自分の顔を見る。
自分の顔を見るという当たり前な事。
それが、そんなことが、一ヶ月ぶりだと気付いた。
髭はもとからほとんど生えない性質なので無いが、髪は伸び、幾分やつれてこけた頬の自分が映る。
別人の様な、その顔付き。
無性に悲しくなり、涙腺が緩んだが、涙は抑え込む。
今は、前に踏み出せ。
とにかく、前へ踏み出せ。
窓からバルコニーへと出る。
外の空気は冷え冷えとして、でもかすかに暖かい。
今は、とにかく、ただただ前へ踏み出せ。
狭い助走スペースを一気に詰め、そして僕は眼下の石畳に向かってバルコニーから飛び降りた。
――――バタンッ
…え?
――――タッタッタッタッ
……え?
視界
隅
女?
銀髪
銀髪?
女
草原
夜
オルス
血
肉
速
ザルツ
脚
「≪貫け≫ぇっ!!」
…………え?
ピアス
言語変換
女
魔法?
光
こっち
来る
空中
自分
左脚に
光
――――ドシュッ
………っ!!!!
刺刺刺刺刺刺刺刺
自分
熱熱熱熱熱熱熱熱
左脚
痛痛痛痛痛痛痛痛
太腿
貫貫貫貫貫貫貫貫
「……!…っぎ!……っ!!」
左脚
激痛
バランスが
落ちる
地面に
石畳に
いくらこの状態
頭
もろに
死にたくない
死んでたまるか
「――――っざけんなぁぁぁ!!!」
崩れた身体のバランスを無理やり直す。
空中で一回転!
二度と出来ない芸当を、ただ生きる一心で成功させる。
――――ダンッ
「~~~~……っっっっ!!」
軽い身体でも、それは軽いと感じているだけなのは、分かっていたのに。
痛みは、身体へのダメージはなくなるわけじゃない。
場違いな事に、そうやって冷静に分析している自分がいた。
「肉体強化」――――決して、僕の身体が鉄になったのでも、鋼になったのでもないらしい。
――――ブシュッ
着地と同時に、貫通痕の出来た左脚の太腿から噴き出す血。
脳天まで突き抜ける激痛。
視界が、真っ白になる。
――――タンッ
目の前に、誰かが降り立つ音がした。
バドルモアじゃないのは確か。
じゃあ、誰だ?
視界の隅に映ったのは、女だったように思う。
敵だ。
逃げ――――
「≪貫け≫。」
活動報告の宣言を破ってしまい、申し訳ありませんでした。
2章のサブタイトルをいくつか変更しましたが、2章の各話の内容は変わっておりません。
無用な混乱を招くかとは思いましたが、これからの展開をより良くする為の措置です。