4話‐世界の意思
「少し、お遊びが過ぎると思われますが…。」
失神させた晴哉を、部下に運ばせた後の執務室。
アーニャはバドルモアに対して苦言を呈する。
もちろん、先刻の晴哉に対する彼の態度だ。
晴哉は気付いてはいなかったが、アーニャもバドルモアと同じ、言語変換の働きを持つピアスを身に着けている。
彼女の豊かな金髪に隠れて見えなかっただけで、アーニャは先程の会話を全て理解していた。
その上で、彼女なりに思う所があった。
「ごめんごめん。私としたことが、念願の代物を手中に収められたから、年甲斐もなく興奮してしまったようだ。」
悪びれることもなくバドルモアは言う。
「……それにしても。異界人の彼からしたら、先の会話の内容は到底――――」
「信じられるわけもないだろうね。私が彼の仇だということは痛い位に理解できたみたいだけど。」
心底嬉しそうに笑うバドルモアを見て、余計にアーニャは納得できなくなる。
バドルモア――――西領に君臨する闇の暴力の象徴・暗殺者ギルドの首領。
召喚術を利用して晴哉をこの世界に呼び出し、彼を利用して再びの世界大戦を目論む狂者。
その計画を知る者は、ブランデ・パズを代表とする暗殺者ギルドの実力者数名、秘書であるアーニャ、そして晴哉の召喚を成功させた異端の魔術師・ロイハルトのみ。
晴哉は、この世界を何も理解していない異邦人。
ならば、もっと穏便に彼を利用すればいいではないか。
わざわざ彼の敵になる必要はないのではないか。
何も知らない赤子に、拭い消せないトラウマを抱かせて、露程もメリットはないのに。
「賢くないとは思うよ、私自身。」
暗殺者とは、人の思考の機微を読むに長ける。
アーニャの抱く不可解さを、空気で感じたのだろう。
バドルモアは彼女に自身の考えを語り始めた。
「さっきの会話なんて、会話以前の問題だろうね。愚かな進め方をした。それは、私が一番理解している。」
「では何故?」
あえて、あのように意味不明なやり取りをしたのか。
バドルモアの表情から、柔和な笑みが消える。
「”世界に対して有害な計画”は、本当に成就すると思うか?」
質問の答になっていない一言。
だがアーニャは知っている。
一見答に聞こえずとも、彼は先に「答の核心」を口にする男だ。
「歴史を振り返ればいい。――――例えば、圧倒的な力を有しながら、緻密で完璧な作戦と戦略を用意しながら、西領統一という計画の成就にあと一歩の所で頓挫したエヴァルド帝国なんかはどうだ。何故、10年前の大戦で彼の帝国は失墜し、王国に成り下がった?」
彼は問う。
「中立国であったエス・レス・カーンに侵攻した愚断かと。五賢者の一人・リヴァルスを筆頭に、エス・レス・カーンの魔術師隊は世界最強。踏まなくともよかった虎の尾を、あえて踏んだ帝国側の傲慢さの結果では?」
彼女は返す。
「そうだね。帝国は西領統一に執着した。あそこで自軍の軍事力を慢心し、賢者の国へ侵攻しなければ、少なくともエス・レス・カーンを除く西領の他国全てを併呑できただろうに。」
――――だが。
彼は言葉を切る。
「再び歴史を振り返ろう。10年前のエヴァルド帝国はもとより、100年前のアンゼルード皇国。140年前のオーブランド王国。200年以上前のホーデン・ヴァーグ帝国。全て、この西領全土を統一するに不足無い大国達。しかし、長い歴史の中で、この西領全土を統一できた国は一つとして存在しない。どの大国も、統一戦争の最終局面で頓挫した。後世に名も伝わらぬ英雄の活躍や、小国の思わぬ抵抗や足掻き、内部分裂、そして理由は違えどその本質は同じ。”戦乱が長引きそうな選択をした結果”西領統一の計画は成就しなかったという事実。」
アーニャは、口を挟まない。
彼の言葉を、その言葉の裏に込められた何かを、聞き漏らさぬ様に。
「私の勝手な考えだがね。”世界”には”意思”が存在していると思うんだ。中々浪漫溢れる考えだろう? 大抵の人間は、運命や宿命なんてものは「神の意思」とほざくが私はそうは思わない。神は天上におわすと言う。ならば、地上のいざこざになぜ口をはさむ。神が真の全能者ならば、そもそも初めから争ってばかりの人間を創造するものか。」
「……”意思”を持つ方は「神」でなく、我々人間の争いで直接的に不利益を被る側――――つまり”世界”だと?」
「その通り。確かに歴史上、数多くの大国の計画を喰い止めて来たのは人間の力、人間の意思だ。だがしかし。計画とは、隠されて秘密裏に進んで然るべき。何故外部へ漏れる? 何故その情報が、偶然にも英雄成りえる人物や国に届く? そして戦乱を長引かせる愚かな選択をした大国は、ことごとく計画の裏をかかれて、あるいは逆に利用されて、史実に敗者として遺される――――」
「世界が、その計画の成就を望まぬからですか?」
「そうだろうね。世界だって、戦争を長引かせない選択をする者には追い風を吹かせるだろうに。 ――――まあ、私の計画はどう考えても世界に害悪なものだからね。計画を頓挫させる為に、世界の意思は抵抗してくるだろう。ならば最低限の計画を除いて、あえて無計画に遊ぶことにしたよ。彼を個人的に利用する計画は放棄し、彼個人の動きを利用して世界大戦に持ち込んでやるさ。」
溜息で一端この話を止め、バドルモアは椅子から立ちあがる。
その手には、1枚の紙切れ。
「見たまえ。世界が意思を持つ証明だ。」
アーニャに渡されたそれは、数日前、ザルツによってエス・レス・カーンに送られたはずの機密書類。
晴哉の重要性と西領への危険な影響を警告する文書。
そしてこれを奪ったのは他でもない、アーニャ自身だった。
奪った当初は、運悪く計画が露呈しそうになった事に冷や汗が出たが――――
「…確かに。今の話しをふまえて見ると、正直私も鳥肌が立ちます。」
今度は、人知の及ばぬものに対する恐れから鳥肌が立つ。
「私もだよ、アーニャ。余裕ぶった言葉や態度でいるけどね、やはり私も大戦を起こす計画が頓挫するのは避けたい。――――計画はあくまで計画。予想が外れることも想定してこそ、だ。だがラフェルドナスに召喚されることは想定済みだったのに、ロイハルトが行方知れずなど想定外だった。あそこでロイハルトが晴哉を回収できていれば、こんな風に賢者の国と晴哉を接触させる事態も起こらなかった。…とはいっても、この機密書類を奪えたことで未遂に防げたがね。」
君のおかげだ。そう言ってバドルモアは微かに微笑む。
ありがとうございます。アーニャは礼を述べると、機密書類を彼に返した。
彼の口から漏れる僅かな詠唱。そして、彼の手から書類へと鮮やかな炎が走る。
機密文書は、祖国へその情報をもたらさぬままに灰へと変わった。
件の召喚魔術を行った紅髪の男・ロイハルトは、暗殺者ギルドの構成員50名が全力で行方を捜索している。
が、未だにこれという手掛かりは見つかっていない。
晴哉を召喚する為、最も召喚できる可能性の高かったラフェルドナスへと一人で赴いた彼をこの1ヶ月弱に見た者はいないかった。完全に、いなかった。
ロイハルトの、目立ち過ぎる紅色の髪がその役目を果たしていないのは、世界側からの意趣返しだろうか。皮肉なものだ。
しかし、世界には意思があるという前提。
バドルモアの考えに、言葉に、アーニャは肯定も否定もできない。
ただ、思うしかない。
このバドルモアという男は、狂っている。
計画を立て、その計画を放棄するという矛盾した態度で、しかし最後には望みを成就させるつもりなのだから。
それでも、何だろう?
狂った彼に、全く嫌悪感も猜疑心も抱かない。
逆に彼女は、自分の身体の奥底から湧き立つ快楽とも快感とも言える昂りを自覚していた。
そしてそれが、バドルモアへの忠誠だと改めて気付くのにそう時間はかからなかった。
「先の見えないのは私も同じだぞ? 世界の意思も、これでは対処の取り様がないだろうな。」
バドルモアは再びその顔に柔和な笑みを浮かべ、窓の外の峰に沈んでいく太陽を見つめる。
「……とはいえ、さすがに最初の予想は当たるだろうね。」
彼は確信している。
アーニャに命令してバドルモアが晴哉を強制的に黙らせた理由は、ザルツ達の仇討ちで凝り固まった彼に魅力を感じなかったことと、黙らせた後に目覚めた彼がどんな行動にでるかが楽しみだったこと。
ただ1度頭を冷やしてやれば、聡い彼のことだ。
「これ」を奪いに来るはずだ――――
硬質的な音を立てて、バドルモアは首から下げたネックレスを弄ぶ。
古代帝国研究者のロイハルトが見つけた『古代帝国期の遺産』。
大いなる古代のアーティファクト。
それが、彼とアーニャの持つピアスとネックレスの正体。
これらが見つかったから、彼は計画したのだ。
再びの、世界を巻き込む大戦を。
異界人を召喚させる、尊大な計画を。
超展開、申し訳ありません。言い訳はしません。
出来る限りの修正をした結果が今作ですから…