5話‐襲撃者(後編)
「隊長、9人目です…。」
ミリアムが沈痛な声で告げる。
見張りをしていた兵士達の元へ向かった我々が目にしたのは、外傷もなく苦悶の表情もなく、ただ眠るように絶命した戦友の死体。
20人交替で見張りをしていた。
その20人の内、9人が息を引き取っていた。
この20人は、アックスに任せた兵士達だ。
戦時には遊撃部隊として活躍した、私の百人隊でも熟練度の高い者達…。
遊撃隊の特性上、夜間でもゲリラ活動できる夜目の利く者達…。
そんな彼等がむざむざ殺されただと…?!
争った形跡も、交戦した様子も無い。
----まるで、抗えぬ眠気に身を任せたかのような姿で、エレスの青草に身を横たえている。
「……生存者はいないか?」
ミリガン含む他の兵士達に聞く。
交替に来た20人の内、私と共にこの場には5人。
他の15人は休憩しているか夢の内にいる者達の元へ、この状況を伝えに向かわせた。
そしてこの場に残る生存者を捜している彼等からは、次々と死亡の報告ばかりが届く。
絶望的だった。
この絶望感は覚えがある。
10年前の大戦。
マルダイト城での籠城戦----
レヴォン港奪回作戦の決定直後----
サーヴァイブ将軍率いるエヴァルド主力部隊との、正面衝突----
じわり。
心の傷から、血が溢れる…。
倒れている兵士達全員の姿を俯瞰すれば、アックスが駆けずりまわっているのが目に付いた。
寡黙な巨漢・アックスは、まるで戦場で分かれた我が子を捜す様に、倒れ伏す己の部下の中から生存者を捜している。
突然の仲間の死は、兵士----もとい軍人の常だ。
今日の昼間のバレルとの戦闘一つとっても、誰が命を落としてもおかしくはなかったのだ。
今、必死に生存者を捜すアックス達。
今、焚火で暖を取り語らう兵士達。
むろん、この私でさえも。
兵士で、戦う身の上である以上は誰もが命をぶら下げて任務にあたっているのだ。
昨日も、今この場も、明日も、はるか先の未来も……。
影のように、自分のすぐ隣に、命を引き連れながら。
だから涙は出ない。
感情は乱れない。
だが心は----軋む。
怒りが湧きあがる。
彼等を、家族の元はおろか戦場で死なせてやれなかった。
……許せ、不甲斐無き指揮官を。
「全員、注目。」
厳かに告げる。
皆が一斉に立ち上がり、私を注視する。
倒れ伏す仲間に目を奪われる者は誰もいなかった。
----それが、あるべき兵士の姿。
「戦場で、倒れた仲間を気にする愚者にはなるな。」
私が父から、そしてこの百人隊全員は私から言われた、最初の言葉。
命を引き連れながら戦うという、覚悟の言葉。
「敵の正体・人数は不明。仲間への攻撃方法も不明。ただ、魔術師の可能性が高い。抵抗魔術の丸薬を飲め。朝までに再び攻撃されるのを覚悟しろ。各自、臨戦態勢。」
弔いは敵の命で。
そう決心した私の耳に、不快な爆発音が響いた。
今日の私は度し難い。
オルスの不在に----今更気が付いたのだ。
思い出したのは、初対面で縛られ、意味不明な言葉で話しかけられたこと。
そして、槍の柄で小突かれたこと。
長身の兵士は、冷静沈着で、表情に乏しくて、他の皆より若干静かに話すタイプだった。
なのに『漢字』という共通の話題を発見した後は、その印象が180度変わった。
3日間、僕は不慣れな乗馬中だというのに、オルスは傍らにへばり付くようにして羊皮紙片手に漢字を聞いてくる。もちろん彼も乗馬中だ。
器用なことを…。そう思いつつ、鞍とずれる内股の痛みに苦しみながらオルスの質問に答えた。
野営中は、初めて握る羽ペンで、初めて扱う羊皮紙に、知っている漢字を何文字か書いた。
オルスは、漢字を二文字三文字組み合わせて使う言葉を知らなかったみたいで、教えてあげたらすごい驚いてた。
その驚いた顔が似合わな過ぎて笑ってしまったけども。
馬を見ながら、『馬』。
ダッシュしたのち、『疾走』。
槍に刺された風に演じて、『痛』。
自分の名前の、漢字表記。
そして、彼の食料を分けてもらったあとに、彼に手を合わせて、『感謝』。
『感謝』――――教えてあげた漢字の中で、オルスが僕に最初に使ってくれた日本語だった。
羊皮紙に書いた、僕の教えた漢字を指差し、僕の方を指差し、自分に指差して、僕のしたように手を合わせた後で。
「nedygfdksx感謝miedhn.。」
聞き取れないこの世界の言葉の中に、不釣り合いな「感謝」という言葉を交えて。
久しぶりに聞く、日本語だった。
「教えてくれて、ありがとう。」
そんな風に言ってくれたのかは、正直わからない。
「感謝」の意味が正確に伝わったのかも確かめられなかったし。
でも、嬉しかった。
言葉は通じなくとも、心は通じた。そう、思った。
その、オルスが----
粉々に砕けた鎧が四散する。
僕を担いだままの相手は、また「壁。」と呟く。
こちらに勢いよく飛んできた鎧の破片が、見えない壁に当たったみたいに防がれる。
いや。
破片だけじゃない。
赤い赤い血も。
引き締まった腕も。
羨ましいくらい長い脚も。
へし折れた槍と剣も。
3つに割れた、オルスの頭も。
暗い色の脳味噌を、撒き散らして。
僕を助けに来てくれた、オルスという兵士が、木っ端微塵に爆ぜたのだ。
「オ……ルス…が…?」
死んだ。
目の前で、爆ぜた。
「サテ、行キマス。」
誰のせいで?
僕か?
----そんなわけ、あるか。
「舌噛ミマス。話ス、駄目デス。」
こいつの、訳のわからない攻撃で、死んだ。
もっと、通じ合えたかもしれない、そんな人を。
----こいつが殺した!!
おお、神よ。
天の最高神・アンセヴェルよ。黄泉の神・ヤタルヴェコンよ。
なぜまだ年若いオルスを、天上界へ召し給うた…!!
私はアックス達と爆発音の元へ駆けつけた。
一体何の冗談だ?!
あの、鎧とも肉塊ともつかぬ屑は、オルスではないのか?!
ぐじゅり。
右足が何かを踏む。
エレス平原の、柔らかい青草の感触ではない。
目を、地面に、向ける。
桃色の、艶々とした細長い肉の、管。
……ああ、これも覚えがある。
戦場で幾度となく見たぞ。
人間の、腸だ。
オルスの腸だ。
最早一目瞭然。
目の前の黒づくめが、セーヤを担ぎあげている。
そしてその黒づくめの前には、四方に飛び散ったオルスの亡骸。
オルスは、セーヤを助けようとしたに違いない。
身体が動いた。
手に持つ槍が唸る。
込める力は、昼間のバレル共とは比べものにならない。
貫け!!
風を切り裂き、劈く音を鳴らし、槍が黒づくめに向かう。
と、投げた槍と同時に、私も相手に接近する。
地を蹴る。
抜刀。
黒づくめはセーヤを投げ捨てた。
黒のローブが翻り、両手に短剣が生える。
二刀の短剣使い。
正規の兵士が扱う短剣ではない。
暗殺者ギルドか!!
槍が短剣に弾かれる。
だが、貴様の目の前には私がいるぞ。
逆袈裟に切り上げる。
肉を斬る手ごたえはない。
黒色のローブだけが切り裂かれた。
瞬間、夜の闇に銀の糸が波打つ。
(女?!)
相手は女だった。
長い銀髪が風に靡く。
……待て、知っている。
暗殺者ギルドに属する、二刀と魔術を操る銀髪の女アサシン。
確か名は----
「…ブランデ。」
銀髪の向こうの、酷薄な瞳が鋭くなる。
「…初対面のはずだ。」
冷え冷えするような声だ。
相手の押し殺した殺気が、冷気の様に私の肌に突き刺さってくる。
「貴様を知らん軍事関係者はおるまい。レグオンの『100人殺し』。」
放り投げられた僕は、背中から地面に落ちた。
一瞬止まる呼吸。
急いで立ち上がろうと、右手を地に着け----
ぐち。
生温い、柔らかな感触を手の平に感じた。
握りしめ、それを月明かりに照らす。
丸く光る物体。
マルスの、眼球だった。
……おかしいな。
普通、この状況だと、吐いていて然るべきじゃないのか…?
初めて見る死体に、内臓に、びびって竦み上がるんじゃないのか…?
おかしい…なんで…
気色悪いよ。
眼球片手に、僕は……
「…オルス……。」
なんで、泣いてるんだ…?
よし。
意図した通りだ。
私の特攻で、セーヤを黒づくめ----ブランデに放り投げさせた。
これでセーヤに攻撃は当たらん!
心おきなくやらせてもらうぞ、暗殺者め。
私達兵士の戦い方を!
「イリガン!!」
私の合図で、背後から30の人影が躍り出る。
イリガン弓兵部隊だ。
「全体、放てぇ!!」
イリガンの号令と共に、30の矢が過たずブランデを襲う。
その正確無比な矢を、動体視力と純粋な戦闘能力だけで捌き切るブランデ。
まさに人外の業。
異端の戦士たる暗殺者だ。
「アックス!!」
ならば、我々凡人の「集」の強さを見せつけてやる。
矢を捌き切ったブランデの真後ろに、天を衝くような巨漢が現れる。
怒りに震えるアックスだ。
手に持つ戦斧が、ブランデの頭部に向かう。
一瞬の虚をついた攻撃を、しかし今度は反射神経で避けた。
つくづく恐ろしい身体能力だ。
だが……やはり避けてくれたな。
何かに気づいたように。
ブランデが、跳ね返るように顔を背後へ。
そこには、衝突しそうな程に接近した「私達」がいる。
夜間に、自軍より圧倒的少数の敵を超近距離で襲撃する場合、武器を捨て徒手空拳で相対した方が成功しやすい。
弓は捌かれる。
武器で向かっても同士討ちの可能性がある。
ならばこその「素手」。
魔術師相手にどうか、という作戦だが、既に私を含む全員が対抗魔術の丸薬を摂取済みだ。
戦術級魔術ならいざ知らず、並大抵の魔術は高確率で無効化できる。
ゆえに。
私達は身を守る鎧のみで、ブランデに突貫した。
最も突出していたミリアムの拳が避けられる。
2人、3人とかわされた。
が。
ようやく届くぞ。
メキィ。
私の右拳が、ブランデの顔面を貫いた。
鼻を折り、歯を砕いた感触。
右拳を振り抜く!
鮮やかな弧を描いて、女体が吹っ飛んでいった。
「捕えろ!!」
兵士達が、地面に叩き付けられぴくりとも動かぬブランデに向かう。
こやつを許すつもりはない。
然るべき対処を取った後、私が直々に斬らせてもらう。
不甲斐無き自身の弱さを嘆くのは、その後だ。
ザルツ隊長達が戦っている。
オルスを殺した黒づくめ----銀髪の女と。
弓矢での攻撃。
巨漢のアックスの、斧。
それらを難なくかわしていた女。
人間の動きではなかった。
少なくとも、今まで自分が出会ってきた人間の中で。
涙で滲む視界の中、ザルツ隊長のパンチが女を吹っ飛ばしたのが見えた。
恐ろしい音がした。
ぐちい。
めきい。
その両方が交わった音だ。
吹っ飛ばされ、地面に投げ出された女はぴくりとも動かない。
おかしい。
何かが、おかしい。
何故使わない?
オルスを殺した、あの攻撃を----
その考えが頭をよぎり、ぞくりと悪寒が背中を走った。
本能の警告。
理屈じゃない、確信とも言える直感。
「近付くなぁ!!」
その叫びは、遅く。
「爆。」
再び僕の目の前で、人間がはじけ飛んだ。