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出向先は、剣と魔法と人事部でした 〜評価されなかった社会人の異世界改革〜  作者: 怪獣姫


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9/13

数字が、動き始める

 変化は、音もなく忍び寄った。


 冒険者ギルドの掲示板に貼られた新しい告知。

 ラッジの店先に増えた、たった一枚の札。


 それだけだ。


 誰も騒がない。

 誰も「何かが変わった」とは言わない。


 だが――

 帳面の中だけは、正直だった。



 朝の道具屋は静かだ。


 まだ冒険者の足音もなく、

 金属の擦れる音も聞こえない。


 ラッジは一人、帳面を開いていた。


 窓から差し込む光が、紙の上をなぞる。

 指先で行を追い、

 時折、無意識に眉間に皺を寄せる。


「……おかしいな」


 声に出してから、

 自分で苦笑した。


 数字そのものは、悪くない。

 むしろ、想定よりいい。


 上級者向けの上位品は、狙い通りの層が買っている。

 無駄は少ない。


 だが――


 視線が、五枚綴りの項目に落ちる。


「……減らねぇ」


 呟きは、乾いた空気に溶けた。


 回復草の総売上量が、

 ほとんど減っていない。


 いや。

 よく見れば、わずかに増えている。


 ラッジは、ゆっくり椅子に背を預けた。


(束ねたら無駄が減って、

 量は落ちるはずだった)


 それが、商売人としての読みだった。



 昼過ぎ、店に人の気配が戻る。


 伊勢とリリアが扉をくぐった。


「どうですか」


 伊勢の声は、いつも通り落ち着いている。


 ラッジは答えず、帳面を差し出した。


「見ろ」


 二人が覗き込む。


 伊勢の目が、数字の並びを追い、

 ほんのわずかに細くなる。


「……減っていませんね」


「ああ」


 ラッジは腕を組んだ。


「減ると思ってた。だが、減らねぇ」


 リリアが、静かに口を開く。


「無駄が減ったのに……ですか?」


「そこだ」


 ラッジの視線が、棚へ向く。


 束ね加工の回復草。

 手に取れば、潰れないことが一目で分かる。



「考えられる理由は、いくつかあります」


 伊勢は、帳面から目を離さず言った。


「一つは……」


 言葉を選び、続ける。


「初心者が、前より奥へ行くようになった」


 ラッジの眉が、わずかに動いた。


「……安全になった分、か」


「はい」


 伊勢は頷く。


「潰れない。

 余っても無駄にならない」


「だから、

 “もう一歩”を踏み出せる」


 リリアが、思わず息を吸う。


「行動範囲が……」


「広がった」


 ラッジが、低く言った。



 だが、それだけでは終わらなかった。


「もう一つある」


 ラッジは、入口の方を顎で示す。


「初心者がな……」


 少し、言いにくそうに言葉を探す。


「勧めてる」


「勧めてる、ですか?」


「“これ、潰れねぇぞ”って」


 ラッジは、鼻で短く笑った。


「安心すると、人は喋る。

 喋って、連れてくる」


 伊勢は、黙り込んだ。


(想定していた……

 だが、ここまでとは)



「商売としては」


 伊勢は、慎重に言葉を置く。


「悪くありません」


「悪くねぇ」


 ラッジは認めた。


 だが、すぐに続ける。


「だがな」


 一拍。


「想定と違う」


 その言葉に、商人としての警戒が滲んでいた。



「生存率は?」


 リリアが、真っ直ぐに尋ねる。


「上がってる」


 即答だった。


「死ぬやつは減った。

 帰ってくるやつが増えた」


 リリアは、胸の前で小さく手を組む。


「……それは、良いことです」


 ラッジは、すぐには頷かなかった。


 帳面に視線を落とし、

 ゆっくりと言う。


「商売としては、な」


 そして、顔を上げた。


「次の問題が出た」



「在庫だ」


 棚を指す。


「回る。

 だが、減らねぇ」


「消費は増える。

 供給は、変えてねぇ」


 伊勢は、静かに息を吐いた。


「……詰まりますね」


「ああ」


 ラッジは、笑わなかった。


「このままだと、

 回復草が足りなくなる」


 店の外で、冒険者の笑い声が聞こえた。


 生きて帰った声だ。


 その音が、

 今は少しだけ重く感じられた。



「伊勢」


 ラッジが、低い声で呼ぶ。


「お前の言った通りだ」


 伊勢が顔を上げる。


「生存率を上げる商売は、

 確かに回る」


 一拍置いて、続ける。


「だが……

 回りすぎる」


 伊勢は、視線を落とした。


(これは、

 “良い問題”だが、

 簡単じゃない)


「次は」


 静かに言う。


「供給側ですね」


 ラッジは、ふっと息を吐いた。


「面倒な話だ」


 だが、その声には――

 どこか、楽しげな響きが混じっていた。



 店を出ると、夕方の風が通りを抜けた。


 冒険者たちが、今日も帰ってくる。

 生きて。

 笑って。


 ラッジは、店先に立ち、その背中を見送っていた。


 しばらく黙ったまま、

 ぽつりと言う。


「……悪くねぇ」


 伊勢が、振り返る。


「何がですか」


 ラッジは、視線を逸らしたまま答えた。


「生きて帰る客が、増えるのは」


 それだけだ。


 だが、伊勢には分かった。


 それは――

 商人としてではなく、

 一人の人間としての言葉だった。


 風が吹き、

 軒先の布が、静かに揺れた。


 数字は、まだ結論を出していない。


 だが。


 人の顔を見る商売が、

 ここに生まれ始めていた。

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