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出向先は、剣と魔法と人事部でした 〜評価されなかった社会人の異世界改革〜  作者: 怪獣姫


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分からないまま、決める

 翌朝の道具屋通りは、まだ人が少なかった。


 店先の木箱に朝日が当たり、金具が淡く光っている。

 ラッジの店は、いつもより早く戸が開いていた。


「来たか」


 ラッジは、すでに帳面を開いている。

 昨日の軽口はない。商人の朝の顔だ。


「ええ」


 伊勢は頷き、リリアと一緒に店の奥へ進んだ。



「まず、俺の案だ」


 ラッジは迷いなく切り出す。


「束ね加工は“上位品”にする」


 棚から二種類の回復草を並べる。

 未加工と、束ね加工。


「値段は、はっきり分ける。

 新米は未加工。

 長期探索や、ベテランは束ね」


「数は、抑える」

 帳面を指で叩く。


「売れ残りは、損になる」


 伊勢は黙って聞いた。


 正しい。

 商人として、筋が通っている。


「……次は、あんたの案だ」


 ラッジが促す。


 伊勢は、息を整えた。


「まず――確認させてください」


 伊勢は、店の奥の卓に手を置いた。


「ラッジさんの感覚でいいので、上級者と初心者、それぞれが回復草をどれくらい買うか」


 ラッジは、一瞬だけ口角を上げた。


「商売人に“感覚でいい”って言うのは、分かってるじゃないか」


 棚の方へ視線をやり、指先で空をなぞる。


「上級者は、だいたい四人パーティだ。

 ヒーラーもいる。運び方も気をつける」


「ダンジョンで潰すのも、せいぜい一、二枚。

 無駄にする“バッファ”込みで――」


 ラッジは指を二本立てて、軽く振った。


「六枚から七枚ってところが多い」


 伊勢は頷く。


「初心者は?」


 ラッジの目が、少しだけ細くなる。


「初心者も四人が多い。

 ヒーラーはいるが……未熟だ。回復量も安定しない」


「薬草は補助で使う。

 しかも、怖いからみんなで分散して持つ」


 ラッジは、掌を広げるようにして言った。


「だが雑になる。

 潰す。濡らす。落とす。忘れる

 無駄にする量は――体感で三割くらいだな」


 伊勢が計算するより前に、ラッジが結論を置く。


「必要数は、結果的に増える。

 一人三枚相当として――」


「四人で……十六枚以上ってとこだ」


 リリアが小さく息を飲んだ。


「……差が大きいですね」


「怖いからな」


 ラッジは淡々と言った。


「初心者は、怖いから買う。

 そして怖いから、無駄にする」


 伊勢は、その言葉を一度飲み込み――静かに返す。


「なら、束ね加工の意味は、初心者にこそありますね」


「ほう?」


「例えば」

 伊勢は卓の上に、指で線を引くように見せた。


「五枚綴りにしませんか。初心者向けに」



「……もう一度、数字を整理しましょう」


 伊勢は、卓の上に指で区切りを作る。


「初心者パーティの場合、

 本来“必要な回復草”は、どれくらいですか?」


 ラッジは即答した。


「十二枚だ」


「四人で三枚ずつ。

 理屈だけなら、それで足りる」


 伊勢は、ゆっくり頷く。


「でも、実際には?」


 ラッジは肩をすくめた。


「潰す。濡らす。落とす」


「怖いから多めに買う」


「結果として――

 十六枚以上になることが多い」


 リリアが小さく頷く。


「無駄を見込んだ数量、ですね」


「そうだ」


 ラッジは淡々と言った。


「初心者は慎重だからじゃない。

 不安だから余分に買う」



「なら」


 伊勢は、ここで言葉を置いた。


「束ね加工の役割は、

 “必要数を減らす”ことではありません」


 ラッジの視線が、伊勢に向く。


「無駄を前提にしない買い方を

 提示することです」


「例えば」


 伊勢は指を立てる。


「初心者向けに、

 五枚綴りを作る」


「必要数は十二枚ですから、

 三綴りで十五枚」


 ラッジが、わずかに目を細めた。


「……三枚、余るな」


「はい」


 伊勢は、はっきりと頷く。


「それが、保険です」


「束ねてあるから潰れない。

 余分は“無駄”にならない」


「初心者は、

 “足りないかもしれない”という不安を

 三枚分で買う」


 伊勢は、そこで一拍置く。


「でも、それは――

 以前なら潰れて消えていた分です」



 ラッジは、束ね加工の回復草を手に取った。


 指先で軽く揺らす。


「……なるほどな」


「十六枚買わせる商売から、

 十五枚で“納得させる”商売か」


「ええ」


 伊勢は否定しない。


「量は一枚減ります。

 ですが」


 声を落ち着かせたまま、続ける。


「余分が無駄にならないし、次のクエストに持ち越せる」


「さらに」


 ここで、伊勢は一歩踏み込む。


「余りを持って帰ってきたら、

 手数料込みで、また五枚綴りを作れるサービスにするのです。」


 ラッジが、ふっと鼻で笑った。


「……道具屋から離れなくなるな」


「はい、

 初心者は、“次もここで買えばいい”と思える」


 リリアが、静かに補足する。


「安心の導線、ですね」



 ラッジは、しばらく黙って考えた。


「俺の案と、真逆だな」


「上級者向けに単価を上げるんじゃない」


「初心者の不安を、仕組みで囲い込む」


 伊勢は、視線を逸らさない。


「初心者が生き残れば、中級者になります」

 中級者は、また別の道具を買う」


 ラッジは、ゆっくり笑った。


「……面倒な商売だ」


 だが、その笑いは、否定ではなかった。


「いいだろう、両方試す。数字で見る」


 

 帳面を閉じる音が、店の奥で乾いて響いた。


 ラッジは、そのまま表紙に手を置いて動かなかった。

 親指で角をなぞり、人差し指で軽く机を叩く。

 考え事をしているときの癖だ。


「……数字はな」


 独り言のように呟く。


「まだ、何も言っちゃいねぇ」


 伊勢は、黙ってそれを待った。

 今は、言葉を足す場面ではない。


 ラッジは顔を上げ、店内を見回す。


 未加工の回復草。

 五枚綴りにした束ね加工。

 上級者向けに試作した上位品。


 棚に並んだそれぞれを、

 順番に、ゆっくりと目で追っていく。


「上級者向けは、単価が読める」


 視線を戻さずに言う。


「初心者向けの五枚綴りは……

 数は出るかもしれねぇが、

 手間も、読みづらさも増える」


 そこで、ようやく伊勢の方を見た。


「正直に言えば」


 一拍置く。


「どっちが正解かは、

 俺にも分からねぇ」


 伊勢は、ゆっくり頷いた。


「私も同じです」


 リリアが、少しだけ目を瞬かせる。


 伊勢は続けた。


「だからこそ、

 試す価値があると思います」


「分からないまま、

 決めることもありますから」


 ラッジは、鼻で小さく笑った。


「……嫌な言い方をするな」


 だが、その声に苛立ちはない。


「商売人はな、

 本当は“分からない”って言葉が一番怖い」


「それでも――」


 棚から五枚綴りを一束取り、

 指先で軽く叩く。


「無駄に潰れて消えるよりゃ、

 まだ筋は通ってる」


 束を戻し、帳面を抱え直す。


「よし」


 その一言は、短く、重かった。


「両方、やる」


 伊勢が顔を上げる。


「上級者向けは、上位品として」


「初心者向けは、五枚綴り

 売り場も、説明も分ける」


 帳面を机に置き、指で二つの場所を示す。


「数字で見る」


「合わなきゃ、止める」


「合えば、続ける」


 それだけだ。


 伊勢は、深く息を吸い、静かに頷いた。


「……十分です」


 ラッジは肩をすくめた。


「公平じゃねぇぞ」


「俺は、儲かる方を残す」


「それで構いません」


 伊勢は即答した。


「判断するのは、帳面ですから」


 ラッジは、その言葉を聞いて、

 一瞬だけ口角を上げた。


「お前な」


「商売の話をしてるくせに、

 どこか“人の顔”を見てる」


 伊勢は、否定もしなかった。



 店を出ると、昼の光が通りに満ちていた。


 冒険者たちが行き交い、

 武器の金属音と、笑い声が混じる。


 これから向かう者。

 生きて帰ってきた者。


 ラッジは、店先からその背中を見送っている。


「……面倒な商売だ」


 ぽつりと呟く。


 だが、その声には、

 投げやりな響きはなかった。



 石畳を歩きながら、リリアが口を開く。


「結果が出るまで、落ち着かないですね」


「ええ」


 伊勢は正直に答えた。


「ですが」


 一歩、歩調を緩める。


「分からないまま、

 決めなければならない場面もあります」


 リリアは、横顔を見る。


 評価表には書けない。

 だが、確かに――

 責任を引き受ける人の顔だった。


 伊勢は、心の中で考える。


(生存率を上げる商売が、

 本当に正しいのか)


(それとも――

 商売は、別の答えを出すのか)


 風が吹き、

 道具屋の軒先の布が静かに揺れた。


 答えは、

 まだ帳面に書かれていない。


 だが――

 売り場は、もう作られた。

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