分からないまま、決める
翌朝の道具屋通りは、まだ人が少なかった。
店先の木箱に朝日が当たり、金具が淡く光っている。
ラッジの店は、いつもより早く戸が開いていた。
「来たか」
ラッジは、すでに帳面を開いている。
昨日の軽口はない。商人の朝の顔だ。
「ええ」
伊勢は頷き、リリアと一緒に店の奥へ進んだ。
◆
「まず、俺の案だ」
ラッジは迷いなく切り出す。
「束ね加工は“上位品”にする」
棚から二種類の回復草を並べる。
未加工と、束ね加工。
「値段は、はっきり分ける。
新米は未加工。
長期探索や、ベテランは束ね」
「数は、抑える」
帳面を指で叩く。
「売れ残りは、損になる」
伊勢は黙って聞いた。
正しい。
商人として、筋が通っている。
◆
「……次は、あんたの案だ」
ラッジが促す。
伊勢は、息を整えた。
「まず――確認させてください」
伊勢は、店の奥の卓に手を置いた。
「ラッジさんの感覚でいいので、上級者と初心者、それぞれが回復草をどれくらい買うか」
ラッジは、一瞬だけ口角を上げた。
「商売人に“感覚でいい”って言うのは、分かってるじゃないか」
棚の方へ視線をやり、指先で空をなぞる。
「上級者は、だいたい四人パーティだ。
ヒーラーもいる。運び方も気をつける」
「ダンジョンで潰すのも、せいぜい一、二枚。
無駄にする“バッファ”込みで――」
ラッジは指を二本立てて、軽く振った。
「六枚から七枚ってところが多い」
伊勢は頷く。
「初心者は?」
ラッジの目が、少しだけ細くなる。
「初心者も四人が多い。
ヒーラーはいるが……未熟だ。回復量も安定しない」
「薬草は補助で使う。
しかも、怖いからみんなで分散して持つ」
ラッジは、掌を広げるようにして言った。
「だが雑になる。
潰す。濡らす。落とす。忘れる
無駄にする量は――体感で三割くらいだな」
伊勢が計算するより前に、ラッジが結論を置く。
「必要数は、結果的に増える。
一人三枚相当として――」
「四人で……十六枚以上ってとこだ」
リリアが小さく息を飲んだ。
「……差が大きいですね」
「怖いからな」
ラッジは淡々と言った。
「初心者は、怖いから買う。
そして怖いから、無駄にする」
伊勢は、その言葉を一度飲み込み――静かに返す。
「なら、束ね加工の意味は、初心者にこそありますね」
「ほう?」
「例えば」
伊勢は卓の上に、指で線を引くように見せた。
「五枚綴りにしませんか。初心者向けに」
◆
「……もう一度、数字を整理しましょう」
伊勢は、卓の上に指で区切りを作る。
「初心者パーティの場合、
本来“必要な回復草”は、どれくらいですか?」
ラッジは即答した。
「十二枚だ」
「四人で三枚ずつ。
理屈だけなら、それで足りる」
伊勢は、ゆっくり頷く。
「でも、実際には?」
ラッジは肩をすくめた。
「潰す。濡らす。落とす」
「怖いから多めに買う」
「結果として――
十六枚以上になることが多い」
リリアが小さく頷く。
「無駄を見込んだ数量、ですね」
「そうだ」
ラッジは淡々と言った。
「初心者は慎重だからじゃない。
不安だから余分に買う」
◆
「なら」
伊勢は、ここで言葉を置いた。
「束ね加工の役割は、
“必要数を減らす”ことではありません」
ラッジの視線が、伊勢に向く。
「無駄を前提にしない買い方を
提示することです」
「例えば」
伊勢は指を立てる。
「初心者向けに、
五枚綴りを作る」
「必要数は十二枚ですから、
三綴りで十五枚」
ラッジが、わずかに目を細めた。
「……三枚、余るな」
「はい」
伊勢は、はっきりと頷く。
「それが、保険です」
「束ねてあるから潰れない。
余分は“無駄”にならない」
「初心者は、
“足りないかもしれない”という不安を
三枚分で買う」
伊勢は、そこで一拍置く。
「でも、それは――
以前なら潰れて消えていた分です」
◆
ラッジは、束ね加工の回復草を手に取った。
指先で軽く揺らす。
「……なるほどな」
「十六枚買わせる商売から、
十五枚で“納得させる”商売か」
「ええ」
伊勢は否定しない。
「量は一枚減ります。
ですが」
声を落ち着かせたまま、続ける。
「余分が無駄にならないし、次のクエストに持ち越せる」
「さらに」
ここで、伊勢は一歩踏み込む。
「余りを持って帰ってきたら、
手数料込みで、また五枚綴りを作れるサービスにするのです。」
ラッジが、ふっと鼻で笑った。
「……道具屋から離れなくなるな」
「はい、
初心者は、“次もここで買えばいい”と思える」
リリアが、静かに補足する。
「安心の導線、ですね」
◆
ラッジは、しばらく黙って考えた。
「俺の案と、真逆だな」
「上級者向けに単価を上げるんじゃない」
「初心者の不安を、仕組みで囲い込む」
伊勢は、視線を逸らさない。
「初心者が生き残れば、中級者になります」
中級者は、また別の道具を買う」
ラッジは、ゆっくり笑った。
「……面倒な商売だ」
だが、その笑いは、否定ではなかった。
「いいだろう、両方試す。数字で見る」
◆
帳面を閉じる音が、店の奥で乾いて響いた。
ラッジは、そのまま表紙に手を置いて動かなかった。
親指で角をなぞり、人差し指で軽く机を叩く。
考え事をしているときの癖だ。
「……数字はな」
独り言のように呟く。
「まだ、何も言っちゃいねぇ」
伊勢は、黙ってそれを待った。
今は、言葉を足す場面ではない。
ラッジは顔を上げ、店内を見回す。
未加工の回復草。
五枚綴りにした束ね加工。
上級者向けに試作した上位品。
棚に並んだそれぞれを、
順番に、ゆっくりと目で追っていく。
「上級者向けは、単価が読める」
視線を戻さずに言う。
「初心者向けの五枚綴りは……
数は出るかもしれねぇが、
手間も、読みづらさも増える」
そこで、ようやく伊勢の方を見た。
「正直に言えば」
一拍置く。
「どっちが正解かは、
俺にも分からねぇ」
伊勢は、ゆっくり頷いた。
「私も同じです」
リリアが、少しだけ目を瞬かせる。
伊勢は続けた。
「だからこそ、
試す価値があると思います」
「分からないまま、
決めることもありますから」
ラッジは、鼻で小さく笑った。
「……嫌な言い方をするな」
だが、その声に苛立ちはない。
「商売人はな、
本当は“分からない”って言葉が一番怖い」
「それでも――」
棚から五枚綴りを一束取り、
指先で軽く叩く。
「無駄に潰れて消えるよりゃ、
まだ筋は通ってる」
束を戻し、帳面を抱え直す。
「よし」
その一言は、短く、重かった。
「両方、やる」
伊勢が顔を上げる。
「上級者向けは、上位品として」
「初心者向けは、五枚綴り
売り場も、説明も分ける」
帳面を机に置き、指で二つの場所を示す。
「数字で見る」
「合わなきゃ、止める」
「合えば、続ける」
それだけだ。
伊勢は、深く息を吸い、静かに頷いた。
「……十分です」
ラッジは肩をすくめた。
「公平じゃねぇぞ」
「俺は、儲かる方を残す」
「それで構いません」
伊勢は即答した。
「判断するのは、帳面ですから」
ラッジは、その言葉を聞いて、
一瞬だけ口角を上げた。
「お前な」
「商売の話をしてるくせに、
どこか“人の顔”を見てる」
伊勢は、否定もしなかった。
◆
店を出ると、昼の光が通りに満ちていた。
冒険者たちが行き交い、
武器の金属音と、笑い声が混じる。
これから向かう者。
生きて帰ってきた者。
ラッジは、店先からその背中を見送っている。
「……面倒な商売だ」
ぽつりと呟く。
だが、その声には、
投げやりな響きはなかった。
◆
石畳を歩きながら、リリアが口を開く。
「結果が出るまで、落ち着かないですね」
「ええ」
伊勢は正直に答えた。
「ですが」
一歩、歩調を緩める。
「分からないまま、
決めなければならない場面もあります」
リリアは、横顔を見る。
評価表には書けない。
だが、確かに――
責任を引き受ける人の顔だった。
伊勢は、心の中で考える。
(生存率を上げる商売が、
本当に正しいのか)
(それとも――
商売は、別の答えを出すのか)
風が吹き、
道具屋の軒先の布が静かに揺れた。
答えは、
まだ帳面に書かれていない。
だが――
売り場は、もう作られた。




