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出向先は、剣と魔法と人事部でした 〜評価されなかった社会人の異世界改革〜  作者: 怪獣姫


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肩書きを、外した夜

 街が、ようやく静まり始めた頃だった。


 昼間の喧騒が嘘のように、

 通りにはぽつぽつと灯りが残るだけになる。


 ギルドの裏口を出た伊勢は、深く息を吐いた。


(……今日は、長かったな)


 終わったわけではない。

 だが、確実に一山は越えた。



「……伊勢様」


 背後から、少しだけ硬い声がした。


 振り返ると、リリアが立っている。


 制服はきちんと整っている。

 表情も、いつも通り落ち着いている。


 だが――

 指先だけが、わずかに落ち着きなく動いていた。


「どうしました?」


「その……」


 一拍、間を置いてから。


「今日の件で、

 少しお話を聞きまして」


 伊勢はすぐに察した。


「ギルド長から、ですか」


 リリアは小さく頷く。


「シャウプ様が、

 ラッジさんの件で動いたのは……」


 視線を逸らし、続ける。


「伊勢様が、

 事前に言葉をかけていたからだと」


 伊勢は、ほんの少し驚いた顔をした。


「そこまで話しましたか」


「はい。

 “あれは背中を押された結果だ”と」



 沈黙。


 夜風が通りを抜け、

 リリアの髪をそっと揺らす。


「あの……」


 リリアが、意を決したように口を開いた。


「もし、お時間がありましたら」


 深呼吸。


「今日のこと、

 少しだけ労いの場を……」


 一瞬、言葉に詰まる。


「飲みに、行きませんか」


 どこか事務的で、

 それでいて不器用な誘い方だった。


 伊勢は、すぐに微笑んだ。


「ぜひ」


 即答だった。


 リリアは、ほっとしたように肩を落とす。


「……よかった」



 店は、ギルドから少し離れた小さな酒場だった。


 木の扉を開けると、

 柔らかな灯りと、落ち着いた空気が迎えてくれる。


「こちらで、よろしいでしょうか」


「ええ。静かでいいですね」


 二人は向かい合って腰を下ろす。


 最初の杯は、軽めの酒。


「……では」


「お疲れさまでした」


 小さく音を立てて、杯が触れ合う。



 しばらくは、

 本当に“労い”の時間だった。


 ギルドの対応。

 現場の混乱。

 シャウプの判断。


「正直、

 胃が痛かったです」


 そう言ってリリアが苦笑すると、

 伊勢も同じように笑った。


 杯が空になり、

 自然に二杯目が来る。


 三杯目も、

 特に意識せずに。



 ふと、伊勢は気づいた。


(……結構、飲んでるな)


 時計を見る。

 思ったより時間が経っている。


 リリアは、

 頬がほんのり赤い。


 だが、声ははっきりしていた。


「……ねえ」


 その一言で、

 敬語が消えていることに気づく。


 伊勢は、何も言わなかった。


「伊勢ってさ」


 呼び方も、自然だった。


「こんな状況なのに、

 ちゃんと眠れそう?」


「……どうでしょう」


「私はね」


 リリアは、杯を持ったまま言う。


「今日は、

 久しぶりに肩の力が抜けた」



「……正直に言うと」


 少し声を落とす。


「もうだめかと思った」


 杯の縁を指でなぞる。


「人事として、

 正しいことは言えたと思う」


「でも……

 何も救えない気がして」


 伊勢は、黙って聞いていた。


「そんなときに」


 顔を上げる。


「後から聞いたの」


「伊勢が、

 陰で動いてたって」


 少し照れたように笑う。


「……ずるいよ」


 伊勢は、思わず苦笑した。


「そんなに飲む人だとは、

 思っていませんでした」


「え?」


 一瞬、きょとんとした顔。


 そして、吹き出す。


「ひどい」


「これでも、

 かなり抑えてるんだけど」


「そうなんですか」


「そう」


 少し胸を張る。



「私ね」


 リリアは、少しだけ身を乗り出す。


「お酒入ると、

 敬語も、人事官も、消える」


「だから……

 今の私は、ただのリリア」


 伊勢は、視線を逸らしながら答える。


「……その方が、

 話しやすいです」


 リリアは、満足そうに笑った。


「よかった」



 気づけば、杯はもう何度も重なっていた。


 空いた皿。

 少しだけ乱れた髪。


 店を出る頃には、

 夜はすっかり深まっている。


 街灯の下、

 二人は並んで歩いた。


 距離は、いつの間にか近い。


「……今日は」


 リリアが、ぽつりと言う。


「本当に、救われた」


「人事としてじゃなくて……

 私として」


 伊勢は、ゆっくり頷く。


「それなら、よかったです」


 リリアは足を止め、

 少しだけ勇気を出した声で言う。


「……また、飲みに行こう」


 伊勢は、迷わず答えた。


「ぜひ」


 その返事に、

 リリアは安心したように笑った。


 肩書きを外した夜は、

 思っていたよりも長く、

 そして、温かかった。

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