腹を括る、その前に
ギルド長室の扉が閉まると、外の喧騒が一気に遠のいた。
シャウプは椅子に腰を下ろし、深く息を吐く。
机の上には、会議で使われた資料がそのまま残っていた。
「……まだ、何も決まっちゃいない」
独り言のように呟く。
向かいの椅子に座る伊勢は、黙ってそれを聞いていた。
今は、口を挟む時間ではない。
◆
「供給が追いつかない」
シャウプは、指で資料を叩く。
「冒険者を止めるわけにもいかない」
「採取者にも、農園にも、これ以上の無理は言えん」
眉間に深い皺が寄る。
「――だが、動かなきゃ破綻する」
その言葉には、焦りよりも重さがあった。
伊勢は、しばらく沈黙したあと、静かに口を開く。
「ギルド長」
「何だ」
「今の時点で、
完全に正しい選択肢はありません」
シャウプは顔を上げる。
「分かってる」
「分かっているから、
ここにいる」
◆
「ですが」
伊勢は、言葉を選んだ。
「“間違いを減らす選択肢”はあります」
シャウプは、視線を逸らさず聞く。
「冒険者を止めない」
「供給側に無理をさせない」
「その両方を守ろうとすれば――」
伊勢は、はっきり言った。
「ギルドが前に出るしかありません」
シャウプは、低く唸った。
「それは……
責任を全部、俺が被るということだ」
「はい」
伊勢は否定しなかった。
◆
「失敗すれば」
シャウプは続ける。
「冒険者からも、採取者からも、
文句が来る」
「最悪、信用を失う」
伊勢は、少しだけ身を乗り出す。
「それでも」
一拍。
「今、誰も決めなければ、
もっと多くの人が困ります」
シャウプは、拳を握りしめた。
しばらく、何も言わない。
窓の外で、旗が風に揺れる音がした。
◆
「……伊勢」
シャウプが、低い声で言う。
「お前は、怖くないのか」
伊勢は、少し考えてから答えた。
「怖いです」
即答だった。
「でも」
言葉を続ける。
「誰かが決める瞬間に、
誰かの隣に立つことはできます」
「それが、私の役目です」
シャウプは、その言葉を噛みしめるように目を閉じた。
◆
「……分かった」
短い言葉だった。
だが、そこに迷いはなかった。
「供給の“使い方”を変える」
「情報を整備する」
「撤退基準を共有する」
「ギルドが、冒険者の動きを“導く”」
シャウプは、机に手をつく。
「結果は、俺が引き受ける」
伊勢は、静かに頷いた。
「はい」
◆
「だがな」
シャウプは、伊勢を見た。
「この策は、
まだ足りない」
伊勢も理解している。
「……ええ」
「誰かが協力しなければ、
現場は回らない」
シャウプは、ため息をつく。
「道具屋が乗るかどうかも、
まだ分からん」
伊勢は、否定しなかった。
「はい」
「賭けですね」
「そうだ」
シャウプは、苦笑した。
「久しぶりに、
胃が痛くなる決断だ」
◆
その頃、廊下の窓際。
リリアは、一人で外を眺めていた。
空は、少しずつ夕焼けに染まり始めている。
(結論は……まだ)
だが、不思議と胸の締め付けは弱まっていた。
そこへ、シャウプが現れる。
「リリア」
「……はい」
「今日の判断」
一瞬、身構える。
「よくやった」
それだけだった。
だが、その一言で、胸の奥がふっと軽くなる。
「お前は、
全部を見た」
「だから、
決める役目は俺がやる」
リリアは、深く息を吐いた。
「……ありがとうございます」
(任せていい)
初めて、そう思えた。
◆
ギルドの外。
伊勢とリリアが並んで歩く。
空は、昨日より少し暗い。
だが、足取りは重くなかった。
「……まだ、大変ですね」
リリアが言う。
「ええ」
伊勢は答えた。
「でも、
動き出しました」
リリアは、伊勢を見る。
その横顔には、逃げない覚悟があった。
まだ、協力者は揃っていない。
まだ、成功も見えていない。
それでも。
決断だけは、下された。




