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出向先は、剣と魔法と人事部でした 〜評価されなかった社会人の異世界改革〜  作者: 怪獣姫


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板挟みの人事官

 回復草が足りなくなる。


 その言葉は、噂としては軽く、現実としては重かった。


 道具屋通りでは「最近よく売れるらしい」と笑い話のように交わされ、

 冒険者ギルドでは「次の遠征に持たせる分がない」と低い声で囁かれる。


 そして――供給側の現場では、すでに笑えない。



 会議室の扉を開けた瞬間、リリアは空気の重さを肌で感じた。


 窓は開いているのに、湿った熱がこもっている。

 汗の匂いではない。人の焦りが溶けた匂いだ。


 席についているのは、いつものギルド職員だけではない。


 日に焼けた採取者たち。

 服に土と草の匂いが染みついた農園の管理者。

 そして、腕を組んで壁際に立つラッジ。


 誰も雑談しない。

 誰も笑わない。


(……これが、現場の会議)


 リリアは背筋を伸ばし、いつも通りの表情を作った。

 人事局の制服はきっちり整っている。

 それが盾になると信じているわけではないが、崩すわけにもいかない。


 シャウプが、机の端を指で二度叩いて場を整える。


「始めるぞ」


 声は荒くない。だが低い。

 ギルド長としての声だ。


「状況は分かってるな」


 そう言って、全員を見回す。


 視線が一瞬リリアに止まり、次に伊勢へ移った。


「回復草の消費が増えた」


「そして――足りなくなる」


 言葉の最後が、少しだけ重く落ちる。


 誰かが咳払いをした。


「原因は、ひとつじゃない」


 シャウプは続けた。


「だが……きっかけは、あった」


 視線が伊勢に向く。


 伊勢は逃げずに頷く。


「束ね加工で潰れにくくなり、冒険者が奥へ行けるようになった。結果、消費が増えた――そういう側面はあります」


 責める声が飛ぶかと思った。


 だが、採取者の一人が首を振る。


「いや……それだけじゃねぇ」


 日に焼けた頬、目の下の隈。

 男は帽子を取って頭をかいた。


「こっちは、もう前から限界だった」


 その言葉で、会議室の温度が一段下がる。



 採取者の男が、机の上に雑に置かれた布袋を開けた。


 中には、しおれかけた回復草が数枚。

 葉脈の光は弱く、端が欠けている。


「浅層のはな……荒れてる」


 男は指で葉をつまみ、苦々しく言った。


「前より採取者が増えて、踏み荒らしてる。採りやすい場所は枯れるのが早い」


「じゃあ深層へ行けって? 無理だ。あそこは魔物の格が違う。採取だけで命を賭ける場所じゃねぇ」


 農園の管理者が言葉を継ぐ。


 手は綺麗だが、指先に土が残っている。

 机の端を強く握りしめていた。


「栽培も万能ではありません」


「回復草は、魔力の濃度と水質に左右される。畑を広げれば増える、というものではないんです」


「苗を増やすにも時間がかかる。急に増産しろと言われても――」


 言いかけて、口を閉じた。


 その「言えないこと」を、リリアは感じ取ってしまった。


(増産のための人手も足りない)


(農園にも、限界がある)


 胸の奥が少しだけ痛む。


 彼らの言葉は、どれも正しい。

 だが、正しさは、誰かを助けるとは限らない。



 リリアは膝の上で手を組みしめた。


 指先が冷たい。

 自分が緊張しているのが分かる。


(私は、人事だ)


(人を配置し、制度を動かし、現場の負担を調整する)


 そう学んできた。そう信じてきた。


 けれど今、目の前にあるのは――


 冒険者の命。

 採取者の命。

 農園の生活。

 ギルドの信用。

 道具屋の商売。


 すべてが一本の糸で繋がり、どれか一つを引けば他が引きつる。


(……板挟みだ)


 言葉にすると簡単だ。

 だが実際は、体の芯が削れていくような感覚だった。



「リリア」


 シャウプが呼んだ。


 突然だった。


 会議室の視線が、一斉にこちらへ向く。

 採取者の目。農園の目。ラッジの目。ギルド職員の目。


 リリアは、息を飲みそうになるのを堪えた。


「人事局の見解を聞かせろ」


 シャウプの声は淡々としている。

 だが、その奥に“逃げ道はない”という圧がある。


(……今ここで、私が言う言葉が)


(誰かの明日を決める)


 喉が乾いた。


 それでも、リリアは背筋を伸ばした。


「……現状のままでは、供給側の疲弊が進みます」


 自分の声が、思ったより落ち着いているのが不思議だった。


「採取者の稼働も、農園の増産も、人的リソースの限界に近い。これ以上の要求は危険です」


 採取者の男が、小さく頷いた。


 農園の管理者が、唇を噛む。


 けれど、リリアは続けなければならない。


「ですが」


 一瞬、伊勢の方を見る。

 伊勢は何も言わない。目だけで「大丈夫」と伝えてくる。


 リリアは視線を戻した。


「冒険者の生存率低下も、受け入れられるものではありません」


 空気が、張り詰めた。


 誰かが「そりゃそうだ」と呟いた。

 誰かが「でもよ」と言いかけて、黙った。


(どちらを選んでも、誰かが苦しくなる)


 そう思った瞬間、胸の奥がきしんだ。



「なら、どうする」


 シャウプが問う。


 答えはすぐには出ない。

 誰もがそれを知っている。だからこそ、沈黙が痛い。


 リリアは、手のひらに爪が食い込んでいるのに気づいた。


(痛い)


(でも、痛みは生きている証拠だ)


 そんなことを考えてしまう自分が、少し怖い。


 沈黙を破ったのは伊勢だった。


「供給を増やす、以外に」


 伊勢の声は穏やかで、しかし揺れていない。


「供給の“使い方”を変える、という選択肢があります」


 採取者の男が眉をひそめた。


「使い方?」


「はい」


 伊勢は頷く。


「回復草は“使う前提”で消費されます。ですが、“使わないで済む状況”を増やせれば、結果として消費を抑えられます」


 農園側が口を挟む。


「そんな都合よく……」


「都合よくはありません」


 伊勢は即答した。


「だから、仕組みとして作る必要があります」


 ラッジが、壁際で腕を組んだまま言う。


「金にならねぇ話だな」


 その声は相変わらず軽い。

 だが、目は軽くない。


 伊勢はラッジを見た。


「短期では、そうかもしれません」


「長期では、違います。生き残る冒険者は装備を更新する。準備に金を使う」


 ラッジは何も言わなかった。

 ただ、口元がわずかに動く。否定ではない。


 会議室の空気が、少しだけ動き始めた。


 けれど、リリアはその動きに、安堵だけは感じられなかった。


(これで解決……ではない)


(むしろ、これから決めなければならない)


 ギルドが、供給側の負担を背負うのか。

 誰が責任を持つのか。


 それは、人事の仕事の核に触れる。



 シャウプが、深く息を吸った。


 その呼吸が、やけに大きく聞こえた。


 ギルド長の肩が、わずかに下がる。

 重さを一度体の中に落とし込んでから、言葉にするような仕草だ。


「……今日のところは、ここまでだ」


 場がざわめく。


 採取者は不満げに口を開きかけ、農園側は不安そうに視線を彷徨わせる。


「結論は、俺が持ち帰る」


 シャウプは短く言った。


「お前らの言い分は分かった。だからこそ、軽い答えは出せん」


 その言い方は、

 「今すぐ決める」という宣言ではなく、

 「逃げない」という宣言に聞こえた。


 リリアは、胸の奥が少し熱くなるのを感じた。


(……ギルド長は、逃げない)


 それが分かったからだ。



 会議が終わり、人が散っていく。


 採取者たちは低い声で何かを話し、農園管理者は資料を抱えて足早に去る。

 ラッジは最後まで残り、帳面に目を落としてから、何も言わず出ていった。


 リリアは、椅子に座ったまま動けなかった。


 制服の襟元が、少しだけ苦しい。

 胸が詰まる。


(私は、正しいことを言ったのか)


(それとも、正しさを並べただけか)


 誰も答えてくれない。


 伊勢が、ゆっくりと近づいてきた。


「……大丈夫ですか」


 その声が、少しだけ柔らかい。


 リリアは、笑おうとして失敗した。


「大丈夫、です」


 言いながら、自分の声がわずかに震えているのに気づく。


「正しい判断をしたつもりです」


 視線を落とす。


「でも……誰かが無理をしている」


 伊勢は、すぐに慰めなかった。


 少しだけ間を置き、言う。


「それを見ないふりをしなかった」


 その一言が、胸に刺さった。


「人事としては……それだけで十分です」


 リリアは顔を上げた。


 伊勢の目は、変わらず真っ直ぐだった。

 評価でも同情でもない。


 ただ、同じ現場に立った人間の目だった。


(……この人は、逃げない)


 その事実が、なぜか怖くて、少しだけ安心した。



 外に出ると、夕暮れだった。


 ギルドの壁に長い影が伸び、石畳が橙色に染まっている。

 遠くで冒険者の笑い声が聞こえた。生きて帰った声だ。


 リリアは、息を吐いた。


「……今日は」


 言葉にすると、急に疲れが重くのしかかってきた。


「少し、疲れました」


 伊勢は小さく笑った。


「私もです」


 並んで歩く。

 肩が触れない距離。だが、離れすぎてもいない距離。


 リリアは、ふと気づく。


 いつもなら、歩幅を合わせるのは自分の方だった。

 今日は、伊勢がわずかに歩調を落としている。


(……気遣い)


 その事実に、胸がまた少しだけ熱くなる。


 けれど、すぐに冷たくなる。


(まだ、何も終わっていない)


 今日の会議は、結論ではなかった。

 むしろ、結論を先延ばしにしただけだ。


 リリアは、心の中で呟いた。


(私は、どちらを守りたい)


(冒険者? 採取者? 農園? ギルド?)


(……全部だ)


 それが傲慢だとしても。


 夕風が吹き、制服の裾が小さく揺れた。


 リリアは足を止め、空を見上げる。


 赤い空は綺麗なのに、

 胸の中は、少しも晴れていなかった。


 ――答えは、まだ出ていない。


 だが、答えを出さなければならない。


 その重さだけが、

 確かにリリアの肩に乗っていた。

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