玖拾捌 亜米利加県の分断③
「何じゃいこりゃあ!アガリはこれっぽっちかいのォ?あァ?」
小浜組長の怒号が飛ぶ。
「申し訳ねぇです、おやっさん……。
じゃけんどウチの義理先はのォ、労組の筋じゃけぇ、ゼニがぎょうさんある訳でも無ぁて……。
精一杯やっとるんじゃがのォ……。」
民主組の若中が畳に頭を擦り付けて詫びる。
「やかましいんじゃボケェ!ワレ、親に口答えしよるんかコラァ?あァ!?
……まぁ、言うて連中も、無い袖は振れんけぇのォ。はて、どがぁしたもんかいのォ。」
小浜組長を悩ませる問題。それは民主組に集められる上納金が思うように集まらないことだ。
亜米利加組の次期組長を決める民主主義神社の縁日、大統領選祭。
これにはとにかくゼニがかかる。
組長候補がカタギ衆にモンモンを晒し、啖呵を切って威嚇することで親分としての貫目を見せつけ、貫目を認められた方が清めの酒の奉納を受ける祭なのだが、彫り物の墨がぼやけていたり啖呵がカタギ衆一人一人に響かなければ、勝ち目はない。
対する共和組は、ゼニのあるカタギ衆が義理先だけに、スポンサーが太く、ゼニに糸目をつけない祭の演出が可能だ。
民主組も、どこかゼニのある太い義理先を確保せねば……。
小浜組長は坊主頭をポリポリ掻きながら考える。
とは言え、既存の太い義理先……クルマ屋や、ガソリンスタンド、それにチャカ屋等は、共和組がガッチリと押さえている。
民主組の任侠道と対立する部分も多く、鞍替えは難しいだろう。
「のォ……どっかにおらんかいのォ?最近ぽっと出てきた成金での、共和組とは筋が合わん、ゼニ持っとる太てぇ連中がよ。」
「あぁ、おるにはおるんですがのォ……。
じゃけんどおやっさん、あれはちぃとクセが強ぅてのォ……。」
「ほ〜ん?そりゃ一体、どがぁ連中じゃい?」
小浜組長に問われた若中は、言いにくそうに目をそらす。
何じゃいワレェ、早よ言わんかい!と促され、渋々口をひらく。
「……知紺町の連中ですわ、おやっさん。
じゃけんど、あれはちぃと変わりモンの集まりでしてのォ……。
筋通すんも一筋縄じゃいかんけぇ、盃交わすんは覚悟要りますけぇの。」
──知紺町。近年、亜米利加県で急成長を遂げているテック関連の企業が集まる町だ。
しかし、この街でシノギを張る社長衆は、一癖も二癖もある突き抜けた人間が多い。
基督組からの盃を土台にした、親父とお袋と子供という家族の縁は基督如来の権現である家須の親分から盃を下ろされることによって結ばれた神聖な物という伝統的な家族観、汝隣人に一宿一飯の恩義を与えよという考えを土台にした地元コミュニティーの重視……こういった、伝統的な亜米利加県の価値観が通らないのだ。
SDG教団からの盃が土台の、多様性、LGBT、環境保護、移民の受け入れ……一言で言うと、意識が高いのだ。
「ほう、それがナンボのもんじゃい。SDG教の連中から盃もろて、『意識高う』しちゃりゃ、知紺町の成金どものケツ持っちゃれるっちゅう訳かい?
……よかろうがい。ほんならワシらも、盃通して『意識高う』行っちゃろやないかい。」
こうして、小浜組長はSDG教団からの盃を受け、民主組の義理先を、『意識高い』カタギ衆と再定義した。
元々義理と人情で弱者を救う任侠道を核とする民主組は、この『意識高い』雰囲気とも親和性が高い。
知紺町の社長衆は一にも二にもなくこの小浜組長の意識高い系民主組と盃を交わし、民主組の財布を支える太いスポンサーになった。
そればかりでなく、都市部のエリートや大学など、『意識高い』カタギ衆からの支持を得られるようになった。
そして、SDG教団の教義に即した政策をどんどんと打ち出してゆく。
……そう、この時、民主組は変質した。
もはや民主組は義理と人情で弱者に寄り添う労働者の味方ではなく、SDG教団の教義に則って意識を高く持ち、亜米利加組を一段高い次元へと引き上げる、意識高い系暴力団となったのだ。
……小浜の親分や。極道が宗教の片棒を担ぐ、てのォ。そりゃ一見、理想を叶える早道に見えるわな。
じゃがの……宗教に理想を預けた瞬間、極道は現実を見る眼ぇを失うんじゃわい。
共和組の重鎮だった渡世人、満豊は、やるせない気持ちで小浜組長の盃事が行われている座敷の別室で、ちびりちびりと酒を舐めている。
SDG教団に限らず、総じて新興宗教の指導部の志はアツい。既存の枠組みに限界を感じ、新しい思想で世の中をよくしてやりたいと本気で思っている。……だが、理想を掲げる反面、地に足がついていない。
これを現実と折り合いを付け、上手に社会に定着させるには、時間と、権力を握る者──極道の睨みが必要だ。
丁度良い例が、基督組と羅馬組の関係だ。
今でこそ亜米利加県や欧州地方の文化の土台となった基督組も、最初は理想ばかり追い求めている、現実離れした新興宗教団体、切支丹だった。
その理想を、社会の色々なところで折り合いを付け、妥協しながら調整し、しっかり地面に足の付いた現実的な基督組の任侠道として焼き直す過程は、当時欧州地方をシメていた羅馬組が徹底的に監視し、抗争を繰り広げながら、徐々に現実的な視点で熟成させていくというものだ。
そう、権力を握る極道は、アツい志を持つ尖った奴のブレーキ役となり、秩序を保ちながらゆっくりと社会に取り入れていく位の、一歩引いた立場で冷静に見守るくらいが丁度良い。
しかし本来ブレーキ役になるべき民主組は、想いはアツいが検証不足な、理性と考察ではなく理念と情熱が主成分の新興宗教のSDG教団と一緒になって、カタギ衆に布教していくという。
……こりゃ、ブレーキの無ぁ単車にまたがって山道突ッ走るようなモンじゃわい。
せやかてのォ……。
満豊は、小指を欠いた自分の左手に目を落とす。
前回の大統領選祭で小浜組長に敗れ、ケジメとして詰めた指だ。
今の亜米利加組の組長は小浜だ。満豊は今や稼業も引退しており、この場にはカタギの一般客として来ているだけだ。この流れを止めることはできない。
カタギが熱狂し、そしてカタギの上に立つ極道もまた同じ方向で熱狂したときに起きるもの。
それは、イデオロギー化だ。SDG教団の理念が無批判で政策化され、それに対する意見は理屈ではなく『善悪』という感情の次元で評価される。
政策は極端化し、対話は通じなくなる。
そして互いに『善』と『悪』のレッテルを貼り、分断が始まる。




