玖拾漆 亜米利加県の分断②
話は20年ほど前に遡る。
「旦那ぁ!後生じゃけェ、もうちょっとだけ踏ん張ってつかぁさいや!
……ワシぁ明日から、どうやってメシを食ってけばええんじゃぁ!!」
骨の髄まで染みるような寒さの中、吹き荒ぶ風が工場の門を煽りギィギィと音を立てている。
……その門の前で、鎖と南京錠を手にしたくたびれたスーツの男の足に、油の染み込んだツナギを着た男が縋りついている。
スーツの男は、涙をこらえ、歯を食いしばりながら、無理に笑顔を作っている。
「あァ……譲治や。おどれには今まで随分世話になったのォ。
……見てくれや。ワシも下手ぁ打ちよったけェのォ。親父から引き継いだこの『小熊工業』、潰してしもうたわい。
……海の向こうで、中共組の筋の会社が工場回してこさえたブツをワシらんところで大安売りしよるからのォ。ワシらじゃどうにもならん。
達者でな、譲治。……今まで、ようワシについてきてくれた。」
そう言うと、小熊社長は財布を出し、最後に残っていた皺くちゃのユーエスダラー札を渡す。
そして門扉に鎖をかけ、南京錠で閉鎖した。
錆帯町。ここは、鉄くずと油の匂いが染み付いた、かつての『ブツづくりの街』だった。
しかし今、その面影はない。
この当時、亜米利加組は、二次団体の民主組を出身母体とする小浜組長が四十四代目体制を引いていた。
大社造の見事な屋根の下におさまる世界列島。その列島各地に調和の手をかざし、差し伸べる千手観音の彫り物をその背に持つ、稀代の渡世人。その考え方もまた、彫り物に象徴されるように、亜米利加県や中国県、露西亜県といった各都道府県の垣根を取り払い、世界列島全体で一つ屋根の下、調和をもって共存共栄を図るという思想の持ち主だった。
「ええかワレェ──どの県にも、それぞれ得意なシノギと苦手なシノギがあるんじゃ。
中国県はのォ、安うてそこそこのブツをようけこしらえるのが得意な筋じゃ。
ほいでウチらのシマ、亜米利加県は、ITやらゼニの流れを操るんが天下一品よ。
苦手なシノギは無理して自分のシマでやらんでもええ。
人もブツもゼニも、県境なんぞ気にせんと自由に行き来できりゃ、どの県の衆も、みぃんなええ思いができるんじゃけェ──それが筋の通ったシノギのやり方よ。」
小浜組長は語る。
「じゃけぇのォ──あがぁチマチマしたブツづくりは、中共組の筋のフロント企業にでも任しときゃええんよ。
ワシらはそいつらのブツをジャンジャカ買うてやりゃええ。
そのかわり、ウチのシマの若い衆はのォ、シノギ叩き直して、ウチらの得意なブツをこさえて、逆に中共組に売りつけちゃればええんじゃ。
……気に食わんのなら、連中と正面から勝負して、競り勝ちゃええ。
──出来るモンならのォ。」
その言葉のまま、小浜組長は、他所の組とのヒト、ブツ、ゼニの流れの障壁を取っ払った。
そして小浜組長の狙い通り、亜米利加県の経済は大いに潤った。ITやら先端技術を中心に、大手フロント企業のシノギはこれまでになくよく回り、シマはゼニで溢れた。
それと同時に、中共組も莫大な利益を得た。
一山当てた中共組は、チャカや船を買い漁り始めた。
フロント企業、中共造船のドックに、他所の筋から仕入れた、使い古しの『空母』が入ってきた。
「ホント、小浜の親分様様よ。……で、宇克羅組から買ってきた『空母』、ありゃ使えそうか?早う叩き直してやらんかい。」
溶接機を片手に、中共造船の社員はみるみると逞しい船に叩き直してゆく。
そして、暴力団組織としての力をさらに蓄えてゆく。
それを、小浜組長はニコニコと微笑みながら見つめる。
「ええかワレェ──ドンパチっちゅうモンはのォ、シノギでガッチリ財布握っとりゃ、そもそも起きんのんよ。
ゼニが回っとりゃ、誰も命張ってまで揉めよう思わんけぇの。
ええことじゃろがい。中共組があがぁ立派なチャカ揃えよるっちゅうんは、そんだけ潤うとる証拠じゃけぇのォ──ワシらも、そっからどうゼニ引っ張るか、考えりゃええんよ。」
そして小浜組長は、世界列島各地の組とのシノギをどんどんと加速させてゆく。
……しかし、割を食ったのが錆帯町など、中共組の筋から流れ込むブツと競合するブツを作っているところだ。
小浜組長は「得意なITやら先端技術にシノギ組み換えちゃえばええんよ」と簡単に言うが、昨日まで図面を読んでフライス盤に向かっていた譲治のような男に、コードを読んでパソコンに向かえと言われても、ンなモン出来るわけがない。
結局中共組の筋から流れてくる安価なブツと価格競争などできるはずもなく、『小熊工業』のように閉鎖の憂き目にあった工場が続出した。
それに対する救済は、ない。
「民主組の親分さんじゃけぇのォ──ゼニの無ぁワシらみてぇな衆の暮らしも、ちぃとはマシになる思うとったんじゃが……。
なんでこがぁことになりよったんじゃ……。
ウチは、じいちゃんの代からずっと民主組にケツ持って貰うとったんじゃがのォ……。」
小熊社長に渡されたなけなしのゼニを握りしめ、譲治はフラフラと暖簾をくぐった。
熱燗を煽りながら、違和感とも怨嗟ともつかぬ声をこぼす。
「おォ、譲治サン。ええとこにおるじゃねぇか。」
隣の席に、白スーツの男がどかっと腰を下ろした。
胸元に煌びやかなバッジ──亜米利加組の代紋。フロント企業、亜米利加生命の男だ。
「保険料も払えねぇで飲む酒は、さぞかし喉越しええんだろうなァ?あァ?」
「……あァ、保険屋さんかい。払おう思っとるが……何分、あそこまで保険料が上がっちまったらのォ……
悪いが今日のところは帰ってくれんか?こっちは工場が潰れて、今朝から無職じゃ……」
「ガタガタ抜かすなやコラぁ!
払うもん払わんやつが『会員』面して酒飲んどんじゃねぇッ!!」
怒号とともに、譲治がチビチビやっていた徳利がむしり取られ、そのまま頭にぶっかけられる。
「あぁ熱っっつ!」
叫び声を上げる譲治。店の親父は奥でガタガタ震え、他の客はテーブルの下で息を潜めている。
──小浜ケア。
これは、小浜組長が打ち出した医療救済の看板政策だ。
ヤクザ医師の取り立てがえげつないこの亜米利加県では、保険なしの診療は身ぐるみ剥がされるに等しい。
だからこそ、誰もが高額な保険にしがみつく。
だが、ゼニのないプータローには保険料が払えない。
そこで小浜組長は、こう怒鳴った。
「何ィ?保険も無ぇ、みっともねぇボケがこがぁぎょうさんおるんかい!
……ええかワレェ!保険に入っとらんボケどもには、ウチの若い衆が挨拶に行くけぇ覚悟しぃや!
なにィ?ゼニが無ぇ?ほいなら組から補助出したるわいッ!
──オウよコラァ!ワシらはやれるんじゃけェ!肚ァくくってついて来んかい!」
その声に震え上がり、貧乏な衆も保険加入へ雪崩れた。
ただしその補助金の『肩代わり』をしたのは──すでに保険に入っている働き者だ。
結果、保険料は跳ね上がった。
それだけではない。
この小浜ケアの保険は、『自己負担』がべらぼうに高いのだ。
風邪程度の病気では保険が下りず、結局自己負担になる。
つまり、高い保険に入り直しても、軽い病気は結局自腹になる。
重病になった時だけ役に立つ、半端な守り。
それが小浜ケアであり、譲治のような『ギリギリ中間層』が一番苦しむ仕組みだった。
しかも──。
今の譲治は失業者となり、収入は絶たれたが、親から受け継いだ家と、ローンで買った車、そして婚約者との結婚資金に貯めた貯金がある。
補助金がたくさん出るレベルまで『どん底』に落ちておらず、車や家を持っているだけで補助は雀の涙。
「ワレぇ、ええ車乗っとるのォ……
明日、ウチの筋が査定に行ったろか……あァ?」
白スーツの男は吐き捨て、大股で店を後にした。
譲治は、先ほど頭からぶっかけられた酒をぽたぽた滴らせながら、かすれ声でつぶやく。
「……なんでじゃ……なんでワシがこんな辛ぇ目に……。
民主組はワシらの味方じゃなかったんか……?」
自然と涙が頬を伝い、酒と混じり合う。
『平等』を掲げ、義理と人情で労働者に寄り添うはずの民主組。
だが、最も割を食ったのは譲治のような、『ゼニがないわけではないが豊かでもない労働者』だった。
譲治の胸には、静かに、しかし確実に、民主組への失望と怨みが根を張り始めていた。




