玖 経済抗争②
「ほな須琴部、任したど。」
鳴門組長はそう言うと、組長室に帰っていき、テレビのスイッチを入れた。
渡世名 須琴部 尖人――亜米利加組の金庫番と言われる、経済ヤクザ──は、鳴門組長から渡された一枚の紙を手に、呆然と立ち尽くしている。
…長机には、鮮血が広がっている。
これは荒れるぞ…。
須琴部のこめかみに一筋の汗が流れ、首筋を伝い、背中へと流れてゆく。
そして派手なシャツの下の、その背の彫り物──天秤と蛇──を伝って流れ落ちていった。
鳴門組長から手渡された紙には、こう書かれている。
『相互ミカジメ料率表』
亜米利加組のシマでは、他所の組もシノギを行っている。
厳密には、他所の組はこのシマにいる売人に、ブツを卸している。
この売人は、亜米利加組に対してブツの内容や仕入れ先の組に応じてミカジメ料を支払うのだが…
鳴門組長は、このミカジメを増額するのだという。
「ウチのシマの売人ども、何しよんのんじゃ!?
他所の組からぎょうさんブツ仕入れよって、ウチのシマからゼニがダダ漏れしよるやないかッ!
そがぁなこと続けよったらのォ、ウチの代紋に泥がつくけぇ、ワシらの面子が立たんのんじゃ。
覚悟決めさせにゃならんけぇのぉ。」
須琴部 は鳴門組長の言葉を思い出す。
…おやっさん──ウチのゼニはのォ、外から入ってくるより、外に出ていく方が多い状態が正常なんじゃ。
つまりのォ、赤字じゃなきゃ話にならんのんじゃけぇ。
なんでか言うたら──亜米利加組の代紋札は『基軸通貨』じゃけぇの。
世界中があの札ば信用しとるけぇ、ウチらはゼニば回すために、あえて赤字抱えとる構えなんじゃ。
──この世界列島、いくつかのシマに分かれており、そのシマを取り仕切る裏社会の任侠組織が経済を牛耳っている。
各任侠組織は、それぞれが独自にその代紋の重みに裏打ちされた貨幣のようなもの──代紋札を発行している。
亜米利加組の代紋札は、通常『ユーエスダラー』と呼ばれ、公安にマークされている。
組の縄張りをまたいでのブツの取引には、この亜米利加組の代紋札が使われることが多い。
それがたとえ、亜米利加組以外の組同士であってもだ。
「なあ、須琴部、出ていくゼニはのォ、ミカジメでしっかり回収せんかいッ!
そしたらウチの組にゼニが入るだけじゃのうて、他の組の連中もシノギやりづらうなって、売人どもも他所から買わんようになるけぇ、ウチのシマのブツ捌く流れができるんじゃ。
他所に流れよったゼニがのォ、ウチのシマでグルグル回るようになる──そがぁなもんが、経済いうシノギの筋じゃけぇ。」
…おやっさん、ウチのシマだけじゃ、ブツ捌こうにも捌けるブツが足らんですじゃ。
それに……
ところで亜米利加組のシマのカタギはよく買い物をする。
どのくらい買い物をするかというと、亜米利加組のシノギのざっと7割はカタギへのブツの販売だ。
……カタギがブツを買いすぎて、亜米利加組のフロント企業の生産力をもってしても需要を満たせない。
とはいえ、売れるブツが無いと亜米利加組のシマの経済は終わる。
そこで、亜米利加組は他所の組にこのシマでのシノギを許している。
亜米利加組のシマの売人は、他所の組にユーエスダラーを支払い、ブツを仕入れる。
これは亜米利加組が他所の組のシマでシノギを行い、稼いでくるユーエスダラーより多い。
亜米利加組のシマからはどんどんユーエスダラーが出ていき、他所の組の手に渡ってゆく。
……実はこれは、亜米利加組の強みなのだ。
「梅傳のアホンダラがよォ、他所の組のブツを野放しにしよったけぇ、こがぁな大赤字垂れ流しよるんじゃ!
ほれ帳簿見てみいッ!ゼニが抜けすぎて、組がいくつあっても足らんわいッ!
このままじゃ潰れてまうけぇ、シノギもクソもあったもんじゃねぇ!
これで中共組とやり合うっちゅうても、ゼニがねぇんじゃ──ゼニがなァッ!
ウチの代紋で戦うっちゅうんなら、まずはゼニの流れっちゅうモンを締め直さんかいッ!」
…おやっさん、組の帳簿っちゅうもんはのォ、カタギの家計簿とは訳が違うんじゃ。
ゼニは減っとるんやなか──流れとるだけじゃけぇ。
他の組とゼニでやり合うっちゅうんなら、今みたいな赤字の状況じゃなきゃ話にならんのんじゃ。
もし黒字になったら──そん時は、ユーエスダラーの終わりじゃけぇの。
ユーエスダラーの流れを整理する。
亜米利加組のシマのカタギがしこたまブツを買い、ユーエスダラーを売人に支払う。
売人は他所の組にユーエスダラーを支払う。
他所の組はどんどんユーエスダラーを蓄えていく。
つまり、亜米利加組が『赤字』ということは、『世界列島にユーエスダラーが供給されて、各組に行き渡らされている』ということなのだ。
さて、ユーエスダラーを手にした他所の組だが…そのユーエスダラーを亜米利加組のフロント企業、『亜米利加銀行』に預金する。
他にも、他所の組が亜米利加組のシマにフロント企業を設立する等の際にもユーエスダラーが使われる。
すると、亜米利加組の手元にユーエスダラーが帰ってくる。
これをカタギに再流通させているので、亜米利加組からユーエスダラーが枯渇することがない。
仮に枯渇しても、印刷すればよい。
そしてカタギに再流通したユーエスダラーはまた消費に回り、それがまた他所の組のシノギを通して世界列島を循環する。
「それでのぉ、おやっさん──ウチらには亜米利加組銀行っちゅうもんがあるじゃろうが。
各組がみな口座を持っとるけぇ、もし喧嘩があるっちゅうんなら、その口座をピシャリと凍結してしまやええんじゃ。
それになぁ、他所の組がユーエスダラーで支払いする時ぁ、必ず亜米利加組銀行を経由せにゃならんけぇ、そこを止めてしまやええ。
そうなりゃ、その組は他の組との決済ができんようになって、ゼニの流れが止まる──つまり、干からびて死ぬっちゅう話じゃけぇのぉ。
……ウチの組の『黒字』いうんはのぉ、世界列島にばら撒いとるユーエスダラーが、最終的にウチに引き上げられとる状態のことなんじゃ。
そがぁなもんは、ユーエスダラーを『武器』として使えんなるっちゅうことじゃけぇ──ウチらがやっとうのは、ゼニの流れで他所の組のタマぁ握る構えなんじゃけぇのぉ…。」
須琴部は勇気を出して鳴門組長に説明した。
しかし…
「…須琴部、おどれ、何ィ言いよんかわからんのんじゃ。
『黒字』っちゅうんはのぉ、他所の組からウチにゼニが流れ込んどるっちゅう話じゃろが。
そがぁなもん、ええことに決まっとるやろうが。何がいけんのんじゃ。
ほんならこの『相互ミカジメ』──これがまた、ようできとる案じゃけぇのぉ。
筋も通っとるし、ゼニも回る。
……おどれ、本気で分かっとるんか?わしぁ聞いとるんで。」
須琴部は、言い返すことが出来なかった。
そこへ、義理先への挨拶から英尊が戻ってきた。
「おやっさん、只今戻りましたけぇ。
……おっ、兄弟、お前もおったんか、こりゃまた奇遇じゃのォ。
……なんやそれ?そがぁなモン、どこで拾うてきよったんじゃ?」
英尊は須琴部の手から『相互ミカジメ料率表』を取り上げる。
「…どれどれ……なんじゃこりゃ!?旭日組に英吉利組、欧州連合に豪州組──全部ウチの兄弟衆じゃろうがッ!
おやっさん、目ぇ覚ましてつかぁさいッ!
5年前はのォ、中共組がイキり倒しとったけぇ、ヤキ入れて兄弟を中共組の外道から引き離す意味があったんじゃ。
じゃが今──兄弟にこんな仕掛け打ったら、それはもう、事実上の縁切りじゃけぇ。
兄弟が逆に中共組に付いてしもうたら、どうすっとんじゃ!?
……そん時は、ウチらが孤立するけぇ──ゼニも、信も、全部持ってかれるんじゃ。」
英尊がまくしたてるうちに、鳴門組長のこめかみにみるみると青筋が浮き上がってゆく。
「ワレェ!英尊!おどれ、親に向かってそのクチの利き方は何じゃコラッ!?
ワシに盾突くいうんはのォ、よっぽどの覚悟持って言うとるんじゃろうなァ……あァ!?
……おい萬洲、道具持ってこんかい。
英尊──わりゃ破門じゃ。
エンコ詰めて、ケジメつけんかいッ!」
その日、英尊副部長は組を去っていった。
……床の間の畳には、血を拭いた痕が残っていた。




