陸拾参 梨花富会の盃④
畳の上に三宝が立てられ、16個の白磁の盃が並ぶ。
三宝の上には旭日組の代紋を刻んだ木札が置かれている。
旭日組の和泉組長が、静かに座に着く。
その隣には、星州組の竜城が並ぶ。
対面には亜世安会の面々、中共組、大韓組の組長も顔を揃えている。
伯帯庇亜組の湯豊野組長と、馬来亜組の羽田上組長は、立会人として上手に座し、この盃を見届ける。
「本日ここで、我ら16名は兄弟となる。
──村加の海峡は、我ら兄弟が睨みを利かせることで、修羅の門ではなく我ら兄弟を守る城門へと生まれ変わる。
この盃は、『海賊』から我らの海を取り戻す盃なり。」
和泉は、厳かに口上を述べる。
三宝から盃を取り、口を付ける。
和泉はちらりと上座の湯豊野と羽田上を見る。
……まあ、事情は分かっとるけェの。じゃがのォ……逃げられる思うなや。
伯帯庇亜組と馬来亜組。ここは村加海峡に近すぎる。というか、接している。
梨花富会が直接海域を見廻るのではないとは言え、権謀術数渦巻くヤクザ社会。他所の組とシマの守に関わる盃を交わしたとあれば、『外患誘致だ!指詰めろ!』と騒ぐ輩は必ず出てくる。
この不参加の判断は織り込み済みだ。
……こっちからは、押しかけ女房みてぇに『海賊』の情報ガンガン送りつけちゃるけェのォ。
おどれはキッチリとタマぁ取りに行けや。
和泉は不敵な笑みを送る。
「兄貴。この盃、謹んでお受けいたします。
我ら兄弟、『海賊』からこの海を取り戻し、共存共栄を図る所存に存じます。」
星州組の竜城は、和泉から盃を受け取り、その中身を喉に流し込む。
「竜城ィ。わりゃこの会の総裁受けェ。
わしゃ顧問に退かしてもらうけェ。」
唐突に和泉が隠居を宣言する。…梨花富会は立ち上がったばかりだと言うのにだ。
座敷にどよめきが走る。
「のォ、立ち上がり早々に驚かして悪ィのォ。
じゃけんどのォ、ちぃと地図おっぴろげて見てみいや。
遠く離れたワシより、星州組が総裁張っとる方がよかろうがい。ま、ワシも口とゼニは出さしてもらうがのォ。
……竜城ィ。うまいことやれや。」
和泉はそう言うと、扇子を広げてパタパタと自分の顔を仰ぎ始める。
……やってくれるのォ、兄ィ!
竜城は苦笑いを浮かべ、梨花富会に参加する親分衆に盃を下ろしてゆく。
中共組の錦組長が竜城の下へ盃を受けに来た。
和泉と目があう。
……フン、悪ィのォ、錦ィ。先越さしてもろたでェ!
和泉はほくそ笑む。
梨花富会は旭日組主導の任侠団体だ。
顧問に退いて院政を敷くとはいえ、実質、村加海峡を旭日組の作り上げた秩序で支配するということだ。
旭日組にとって『海賊』より恐ろしいのは、中共組だ。
村加海峡の力の空白に乗じて、中共組がここを押さえるようなことになれば、旭日組はそのシノギを中共組に握られることになる。
旭日組の存亡を懸けた外交戦に、旭日組は勝利したのだ。
錦は、一瞬眉間に皺を寄せる。
……フン、これで勝ったと思うんじゃねぇぞ。精々テメェらの動向を抜いてやっから、覚悟しな。
今でこそ亜米利加組と双肩をなす巨大暴力団組織である中共組も、20年前のこの当時はまだ発展途上のいち地方組織に過ぎなかった。
旭日組に対抗して、村加海峡の『海賊』対策の別組織を立ち上げる余裕もなければ、参加する組を集める貫目も足りていなかった。
しかし、中共組がここに参加するメリットは、中共組自身が大きな利益を受ける村加海峡の安定だけではない。
梨花富会は参加する組の間で情報を共有する組織だ。
将来、中共組が第一列島線をかけて対峙する暴力団組織の動向を、この情報ネットワークを通じて知ることができる。
……和泉ィ。お前の天下、いつまでも続くと思うなよ。
*****
そして20年の時が流れる。
ブツを満載した旭日組の密輸船、『第弐開運丸』は、静かに東へ進む。
新月の夜、海を照らす月は無く、星明かりだけが海面を照らしている。
「ワレェ!おどれ、死にさらせボケぇ!」
遠くの方で伯帯庇亜組の組員の怒声が響いた気がする。
「ギャッ……!ちょ、マジでやめてくださいって……!
ホントもう、分かりましたから……帰りますんで、許して……ぐ、ぐほぁッ……!」
続いて銃声の後、トクリュウ闇バイトの『海賊』の断末魔が響いた気がする。
「兄貴、ビール持ってきましたわ。…キンキンに冷えてまっせ。」
旭日組の若衆が、甲板上でチャカを構える武夫の下に、ビールを持ってくる。
20年分の皺を顔に刻んだ武夫は、部屋住みを卒業したばかりの若衆、纏に振り向く。
「おどりゃ、たるんどるのォ…どりゃ、一杯もらおか。」
武夫は結露して水滴の滴るグラスを受け取る。
口を付けずに武夫は言う。
「気ぃ抜くなや。チャカ位は持っとけや。」
そう言うと武夫は、グラスを逆さにして海面にビールを注ぎ込む。
纏は、突然の武夫の奇行に驚く。
「政ァ…。ここ抜けたら一杯やるっちゅう約束、果たせんかったのォ。」
武夫は、海面に注ぎ込んだビールの泡が、星明かりに照らされて消えていくのをじっと見つめていた。
波音が静かに甲板を撫でる。
「……ワシがのォ、あん時、もうちぃと早う気づいとったら……。」
武夫は言葉を切る。
グラスの中身はもう空だ。
武夫はそれをそっと甲板に置く。
「纏ェ!」
「はい、兄貴!」
「この海はのォ……ただのシノギの通り道やない。
ワシらが兄弟の命で守っとる、血の通った道じゃ。
おどれも、よう覚えとけや。」
──梨花富会が立ち上がった後、『海賊』の被害は目に見えて減った。
毎年のように死人が出ていた程に治安が悪かった村加海峡。
今は、小競り合い程度はあっても、死人が出ることは稀だ。
そしてこの梨花富会の成功を見て、会員も増えた。特に亜米利加組が参加したのは大きい。
村加海峡は、代紋の睨みの利いた、安全な海となり、各暴力団組織のシノギを支えている。
「……はい、兄ィ!」
纏は、慌ててポケットからチャカを取り出し、ガチャリとスライドを引いた。
そして背筋を伸ばして答える。
武夫は再び海を見つめる。
星明かりの下、波間に揺れる泡が、あの日旭日組の代紋に包まれ、水葬に送られた政のように、静かに消えていった。
──その夜、村加海峡は、静かだった。




