陸拾 梨花富会の盃①
夜の帳が下り、闇の中に波音が響く。
……これは20年程前のことだ。
ブツを満載した旭日組の密輸船、『開運丸』は、静かに東へ進む。
新月の夜、海を照らす月は無く、星明かりだけが海面を照らしている。
──ここは村加海峡。
伯帯庇亜組、馬来亜組、星州組のシマの間を通る、細長い海峡だ。
その全長は1000㎞近くにも及ぶが、幅は狭いところでは3㎞もない。
「おう、政ァ!ここは油断ならん修羅場じゃけェ、気ィ抜くんじゃ無ァぞ!」
チャカを構えた旭日組の若衆、武夫が、真剣な顔で舎弟に警戒を促す。
「……今日は酒はやめとけ。ここを抜けたら一杯やろうやないかい!」
「……兄ィ、さっき裏の方で音がしよったけェの、ワシがちぃと様子見てくるけェ、ここ頼んますわ。」
ガチャリとチャカのスライドを引き、初弾を薬室に叩きこんだ弟分の組員、光政が、懐中電灯を手にコンテナの裏手に向かう。
その顔には、緊張が漲っている。
──ここもまた、『チョークポイント』の隠語で呼ばれる海の要衝だ。
海の戦いには滅法強い旭日組の組員ではあるが……それでも、『チョークポイント』でのドンパチは、旭日組に分が悪い。……これまで何人もやられている。
チョークポイントを『守る者』と『通る者』とでは、『守る者』が圧倒的に有利だ。
まず第一に、船の通り道は『守る者』に完全に把握されている。
陸の上を走れない船は、陸と陸の間の海峡を進むしかない。つまり、通り道は決まっている。
『守る者』にすれば、その通り道に隠れて待ち伏せすることも、罠を張ることも、奇襲をかけることも容易だ。
地の利も『守る者』にあり、『通る者』は巧妙に隠されたチャカや伏兵からの神出鬼没の攻撃にビクビク怯えながら通過することになる。
そしてここでは速度が出せない。狭く、浅く、曲がりくねった海峡で速度など出そうものなら、ぶつかるか座礁するかで『守る者』の攻撃を受けるまでもなく動けなくなってしまう。
また、攻撃を受けても回避行動を取ることもできない。
『守る者』を圧倒的優位に立たせるチョークポイント。
圧倒的な海の上での強さを誇る旭日組であっても、ここでは格下相手に不覚を取り得る。
……それこそ、装備の面でも練度の面でも組織力の面でも全く劣る、『海賊』のような連中であっても。
パァン!
闇夜に銃声が響く。
弾き飛ばされたように見廻りに行った光政がのけぞり、甲板に倒れて動かなくなる。
「……うぉっ、当たったっす!命中確認入りましたァ!」
気の抜けた声が聞こえる。
「政ァ!……おどりゃ、ようもウチの兄弟を!
イチ!ミノル!手ェ貸せ!カチコミじゃぁ!」
銃声と、兄貴分の武夫の怒鳴り声を聞きつけ、甲板に旭日組の若衆、忠一と実が飛び出してくる。
コンテナの陰に身を隠し、銃撃戦を始める。
「ワレェ!おどりゃどこの組の者じゃい!」
見えない敵目掛けて発砲しながら、武夫は怒鳴り声をあげる。
「あー、自分らトクリュウっス。組とか所属ないんで、そっち系の話はノータッチで。
で、タタキの案件あるって聞いて来たんスけど──とりま、通行料だけ置いてってもらえます?」
気の抜けた返事が返ってくる。
この海域に出没する『海賊』は、特定の暴力団組織に所属しているわけではなく、闇バイト感覚のカタギの若者が手を出すケースがほとんどだ。
「こんバカタレぇ!おどりゃ、ワシらが誰か分かって手ェ出しとんかコラぁ!
このまま無事に帰れる思うとったら、大間違いじゃけェのォ!」
「あー、知らねっす。自分そーゆーの関係ないんで。マジどうでもいいっス。
……で、このコンテナっスけど、鍵もらっといていいスか?」
チャカをバンバン撃ってくる闇バイト海賊の後ろで、別な闇バイトの男がコンテナをガチャガチャ揺すっている。
「カタギ崩れが極道舐め腐りよって、ブチ殺したるけェのォ!なめさらすなや、外道がァ!」
武夫の放った銃弾が、コンテナを揺すっていた男の足をカスる。
「うげっ……っつーか、ヤバいっス、普通に痛ぇ……!
……あー、血出たんで、自分もう撤収っスわ。お疲れっしたー!」
『開運丸』に乗り込む際に使った鈎縄を伝い、コンテナを揺すっていた男がダルそうに帰っていく。
「あー、ちょい待ちっス。自分、今まだ撃ち合い中なんすけど……。
……ま、いっか。今日はもう撤収で。自分も帰るっスわ。」
そう言うとチャカを撃っていた男も、鈎縄を伝って帰っていく。
「待たんかいワレェ!ワレら旭日組の船に手ェ出したら、どうなるか身に刻ませたるけェ!」
忠一はパンパンと海面目掛けて発砲するが、夜の闇に紛れた『海賊』の姿はどこにもない。
ここは『海賊』の地元であり、地の利は向こうにある。
全弾を撃ち尽くし、スライドストップしたチャカを忠一は忌々しげに引っこめる。
『守る者』が圧倒的優位なチョークポイントである村加海峡。
問題は今、ここを『守る者』がどこの組なのかハッキリしておらず、守りの空白地帯になっているということだ。
そして空白は何らかの形で埋められるのがこの任侠の世界の力学だ。
今、この空白地帯を埋めているのは、どこの組にも属さないゴロツキのような連中だ。このような連中には任侠の道理は通用しない。
そしてそのような連中にも、分け隔てなく『守る者』の優位を提供するのが、この『チョークポイント』だ。
「政ァ!おい政ァ!
なんでこんなとこで寝とるんじゃ!目ェ開けぇやコラァ……!」
武夫の慟哭が響く。
人の命は重い。そんなものは綺麗事でしかない。
『海賊』が出没するからと言って、安全な豪州組のシマを通るルートに変更すると、シノギは成立しない。
密輸に1週間以上の遅れが出るし、燃料や人足の経費が数億イェン余計にかかる。
それよりひとたび『海賊』の被害に遭った場合の損金の方が大きい?それなら保険会社を強請ればいい。
人命は重いが、金銭よりは軽いのだ。
『海賊』が出ようが、村加海峡を迂回するという選択肢は無いのだ。
このように、広い海の上であっても、船は野放図に海を駆け巡るのではなく、その通り道というものは大抵決まっている。そしてそこの安全こそがシーパワー系暴力団のシノギの生命線だ。
このような船の通り道を、ヤクザ用語で『シーレーン』と呼ぶ。
そこに今日もまた、若者が一人、水葬に流される。




