四拾捌 北方領土を巡る抗争②
これは80年程前、克里米亜島の海を望む高級料亭、『遣田苑』。
障子越しに潮騒の伝う奥座敷に、亜米利加組・英吉利組・蘇連組の幹部が集う。
「のォ、吉富の。…そんなぁもいい加減、腹ぁ括って大東亜共栄会の外道共をシゴウしたらんかいのォ。」
亜米利加組の琉津辺組長が、蘇連組の吉富組長に言う。
当時亜米利加組は太平洋で大東亜共栄会と血で血を洗う大抗争を戦っていた。
──大東亜共栄会は、太平洋を覆うように支配を広げ、海の天下を取っていたほか、ユーラシア本州でも高砂組と激闘を繰り広げ、ハートランドを押さえかねない『ランドパワーの力を持つシーパワー系暴力団』という手の付けられない暴力団組織で、早晩『覇権国家』に変貌しかねない、亜米利加組にとって恐怖でしかない存在だった。
これまで亜米利加組は大東亜共栄会と組員同士の銃撃戦を繰り広げる傍ら、カチコミをかけてフロント企業の玄関先に手榴弾を投げ込み、カタギの家を放火して回るなど、任侠道を外れたなりふり構わぬ攻撃を仕掛けてきたが…まだ大東亜共栄会は音をあげない。
大東亜共栄会を叩き潰すには、亜米利加組の力だけではどうしようもないのではないかと思い始めており、泣きついた先が蘇連組だった。
「なァ、琉津辺の兄弟。…お前も分かってんだろうよォ。ウチは今それどころじゃねぇ。簡単に言ってくれんなよ。
日寅の外道のタマぁ取ってくるまでは、チャカも兵隊も動かせねぇ。
…それに、大東亜共栄会の連中とは、盃もあるからなァ。」
吉富の返事はつれない。
──蘇連組は、亜米利加組の助太刀どころではない。
仏蘭組を下し、欧州地方全域を版図に収め、蘇連組のハートランドに手を伸ばしているもう一つの『覇権国家』候補の巨大暴力団組織…独逸組と、抗争状態にある。
ランドパワー系暴力団同士の抗争は激烈を極め、多くの組員がドスのシミとなり散っていった。
蘇連組が大東亜共栄会との抗争にも手を出せば、西と東で『覇権国家』に王手をかけた武闘派ヤクザ組織と対峙することとなる。
独逸組との抗争で疲弊した手負いの蘇連組には、とてもそんな余裕はない。
そして蘇連組は、大東亜共栄会と『不可侵盃』を結んでいる。
これは兄弟の盃のような、疑似血縁によりお互いの危機は自分事として助け合うというほどのものではないが、『お互い喧嘩しないようにしましょうね』という程度の友好の盃だ。
この盃を水にして喧嘩を吹っ掛ければ、任侠の世界では『外道』のそしりは免れない。
「吉富や。まぁ、そない言わんと、琉津辺の兄弟、助けたってくれや。
外道との盃なんか、水に流したかてアンタが外道になるわけやあらへんやろ。
今すぐとは言わへん。独逸組の外道、ブチのめした後でかまへん。……あの外道、長うは持たんやろ。
……せやけどなァ、タダで兵隊出してくれっちゅうんは、ワシらかてよう言えんわ。
──何が欲しいんか、言うてみィや兄弟。」
渋る吉富に、英吉利組の須藤院組長が押しを入れる。
極道の世界、受けた義理は返すのが当たり前だ。
蘇連組の力を借りるなら、差し出すものが要る。
……もっとも、それを差し出すのは亜米利加組でも、英吉利組でもない。
「ったくよォ……しょうがねぇなァ。
じゃあまずだ、樺太はウチがもらっとくぜ。あそこはよォ、前の大東亜共栄会との出入りん時ゃウチのシマだったんだよ。
それとだ──『千島』も寄越しな。
……まぁ、兄弟のよしみってことでよ、それでウチの若い衆、出してやんよ。」
吉富は、大東亜共栄会の北の外れのシマを要求した。
例えば日本島の東半分を寄越せとか、もっと途方もない要求が出てくることを覚悟していた琉津辺組長は、拍子抜けする。
「なァ、そがぁなモンでええんかい、兄弟。ワシらはブチ助かるけぇのォ。
……ほじゃけど後からやっぱしあそこも寄越せ言うてくるんはナシじゃけぇな、わかっとるじゃろ?
ほいじゃぁ──盃、いこかい。」
よっこらせと腰を上げ、床の間の三宝に手を伸ばす琉津辺組長。
その後ろ姿を、不安げな表情で、亜米利加組の若頭、張江 徹が見つめる。
(……おやっさん、やめてつかぁさいや。そりゃ吉富ン親父の──罠じゃけェ!
おやっさんが今、盃結ぼうとしとる相手はのォ……明日の敵なんじゃけェ!
大東亜共栄会どころの話じゃなかろうが!
あれは──正真正銘の覇権国家になりかねん外道なんじゃけェ!)
張江は心の中で叫ぶ。
──蘇連組は、今は亜米利加組と共闘する兄弟筋だ。
しかし、ただの暴力団組織ではない。…『ハートランド』と呼ばれる地域を、ほぼその手中に収めているのだ。
『ハートランドを制した組は、世界列島そのものを呑み込む』──かつて英吉利組の重鎮だった、松木田 春雄はこう言った。
独逸組や大東亜共栄会を倒した後、『覇権国家』に一番近い暴力団組織になる組が、この蘇連組であり、それはつまり亜米利加組と敵対する運命は決まっているということだ。
(……今の蘇連組はのォ、使いもんにならん港しか持っとらんけぇ、海への道は閉ざされとるんじゃ。
じゃけんど──もしあいつらが『千島』を手に入れよったらのォ……太平洋への『蓋』が、バチンと開いてまうんじゃけェ!)
張江は祈るような視線を琉津辺組長を投げかける。
しかし、極道の世界、親分の決定は絶対だ。
親分がやると決めた以上、子分がそれを覆すことはできない。
──亜米利加組にとって幸いなのは、蘇連組には抗争の際にまともに使える港が碌にないということだ。
どの港も、冬の間は凍ってしまって使い物にならなくなるか、欧州の兄弟筋のシマの庭先をビクビク怯えながら通っていかなければ大洋に出られないか、最果ての地の何もないところでとても使い物にならないような立地にしか、港がない。
ユーラシア本州の東の外れ、オホーツク海に面した『裏塩町』の港もそうだ。
ここから太平洋に出るには、大東亜共栄会が睨みを利かせる『千島』の島と島の間を通って抜けていくしかなく、抗争の際にはここの船はオホーツク海に塩漬けになっているしかない。
しかしもし蘇連組が『千島』を得てしまえば……蘇連組は、この『裏塩町』の港を拠点に、何者も恐れることなく、太平洋に出ていくことが可能となる。
これはつまり、『覇権国家』の資質をもつ暴力団組織が、大洋へのアクセスを得て、亜米利加組の海の覇権を揺るがすことになりかねないということだ。
「我ら兄弟は共に独逸組、そして大東亜共栄会に立ち向かう。
この盃は、その覚悟の証。」
三宝に置かれた三つの盃に清酒が注がれる。
そして琉津辺組長は口上を述べ、盃に手をかける。
──張江若頭の懸念をよそに、この歴史的な『遣田盃』は交わされる。
そしてその懸念は、現実のものとなり、その後80年間、亜米利加組を苦しめることとなったのだ。




