四拾四 鰤楠会の盃②
「只今頂戴いたしましたこの盃、確かに胸に刻みます。
ここに集う兄弟衆と盃を交わした以上、シノギは分かち合い、道は共に切り拓く。
誰ひとり欠けても五龍の力は立たず、互いに背を預けてこそ嵐を越えられる。
ゆえにこの中共組、この身を鰤の如く俊敏に走らせ、楠の如く根を張り、今日よりひとつ屋根の下、鰤楠会を支える兄弟として生き抜く覚悟をここに誓います。」
続いて中共組の近平組長が口上を返し、盃に手をかける。
……鳴門の馬鹿野郎め。テメェらの天下は終わりだ。首洗って待ってろ。
亜米利加組の鳴門組長の顔を憎々しげに思い浮かべながら、盃の中身を飲み干す。
これまでの世界列島の秩序は、圧倒的な力を持つ亜米利加組が同じく圧倒的な力を持つ欧州連合の各組や、旭日組等と盃を結び、自分たちに都合よく作り上げてきたものだ。
この秩序に呑み込まれることを、中共組はヨシとはしない。
その秩序を受け入れること…それは現状の裏社会の勢力図を変更することなく受け入れるということだ。
──それはつまり、背中合わせのシマの巨大暴力団組織・露西亜組の力に怯え、亜米利加組とその兄弟筋の支配する太平洋の海の恐怖に震え続けること。
中共組は筋金入りのランドパワー系暴力団だ。
いかに露西亜組が中共組依存を強めようと、北に緩衝地帯も無しに強力な暴力団組織があるのは脅威でしかないし、いかに平時のシノギでは太平洋を自由に通行できようと、その太平洋をシメるのが世界最強の暴力団組織であることには海でその組織と隣り合っていることと同義であり、本能的に安心できない。
その為にはこの亜米利加組の秩序に立ち向かう必要があるが、いかに中共組といえど単独で挑めば潰される。
では鰤楠会を巨大な第三勢力に育て上げることができれば……ここを起点に、『中共組の秩序』を広げていくことができる。それは同時に、ここで盃を交わす露西亜組もさらに中共組に依存させ、包み込む。
……もっとも鰤楠会所属の印度組とは半抗争状態で結束には課題があるし、鰤楠会が目立つほどに亜米利加組とその兄弟筋との摩擦は大きくなる。
それでも、中共組は止まることが出来ない。……これは、太古の昔から続いた、陸と海の恐怖から逃れることができるチャンスなのだ。
そして更に、高砂組との抗争の事もある。
高砂組のシマ、台湾島にカチ込んだ時点で、亜米利加組や旭日組等の、西の筋とのシノギは潰されることになる。
鰤楠会の盃は、仮にそうなった後でもシノギの命脈を絶やさないための命綱でもあるのだ。
*****
ガチャリと高級車のドアが開く。
ガラの悪いいかにも暴力団員風の男達が5人、降りてくる。
「いやァ、ええ店じゃのう、兄貴ィ!」
馬鹿でかい声で若い方の男が年嵩の男に話しかける。
「バカタレ!外では『課長』ッち呼ばんかい!」
年嵩の男は蹴りを返す。
「オウ……この門構え、ええじゃないか。
柱の一本一本に、年季と誇りが染みついとる。」
そして年嵩の男はこれまた馬鹿でかい声で感心したように言う。
もう一人の男はトランクをゴソゴソ漁って何やら大荷物を取り出す。
そしてこの集団はツカツカと『五龍閣』に向けて歩き出す。
*****
「……謹んでこの盃、頂戴させてもらうばい。
ばってん、ウチは誰の舎弟にもならんけんね──そこはよう覚えとってもらわにゃ困るばい。
この盃もなァ、五分の兄弟分ちゅうより、一分一分の義理やけん。
ばってん、兄弟衆との絆ば軽う見るような真似は、ウチは絶対せんけん。」
印度組の茂出組長の口上には、先の二人と比べ、あまり熱がこもっていない。
茂出組長は横目に中共組の近平組長を睨む。
そして盃を取ると、その五分の一ほどだけを口に流し込む。
……好き勝手はさせんけんのう、近平。ウチがおるっちゅうこと、忘れとらんやろな。
正直、この鰤楠会は印度組にとって、有難迷惑な一面がある。
元々印度組は一本独鈷の任侠組織であり、他の組と盃を結ぶことはない。
それだけに、亜米利加組の筋とも露西亜組の筋ともどちらとも変なしがらみは無く、どちらとも上手にシノギを回してきている。
それだけではない。
印度組は世界列島の要衝に根城を構える巨大な暴力団組織であり、これがどちらかの組と盃を結ぶことになれば裏社会の勢力図はひっくり返る。
亜米利加組に対しては『露西亜組に付くぞ』とカマシを入れ、露西亜組に対しては『亜米利加組に付くぞ』と言い、両方の組を強請ってきた。
これはカマシだからこそ有効なのであり、今回のようにあまり鰤楠会に入れ込むと亜米利加組と敵対しかねない。
しかし……印度組には鰤楠会との盃を無視できない理由がある。
それが中共組だ。
中共組は印度組と抗争状態にある、隣のシマのランドパワー系暴力団だ。
もしも中共組が鰤楠会を牛耳り、鰤楠会全体で印度組と敵対してきたら……印度組はシノギを失うどころでは済まない。
この盃は印度組にとって、鰤楠会で中共組が妙な事をしないよう睨みを利かせるという大きな意味がある。




