四拾参 鰤楠会の盃①
「大韓組・高砂組・香江組・星州組──亜細亜地区の新興勢力四組立て。
どの組もスタートダッシュ鋭く、伸び盛りの脚色は衰え知らず。
将来の大舞台を賑わす有力候補として、今もっとも注目を集める存在だ。
──そう、彼らこそ、『亜細亜四小龍』の名にふさわしい!」
これは競馬紙『日刊サックス・スタリオン』の古い記事のコラムだ。
この世界列島、極道もカタギもゼニに余裕がある者は、暴力団組織やそのフロント企業の賭け札を買い、賭博を行う。
なので、暴力団組織各組の勢いは、博徒達の強い関心事だ。
「葡萄牙組・伊太利組・希臘組・西班牙組──欧州任侠界の古豪四組だが、近走はやや精彩を欠く。
スタミナ切れが目立ち、ペースを乱す場面もしばしば。
大舞台での復調が待たれるが、今は欧州連合の足を引っ張る存在となっている。
──もはや馬というより豚であり、『PIGS』の名がふさわしい。」
このような競馬誌は、相場のヤマを張るのが仕事だ。それを説得力ある言い回しで記事にすれば、売れる。
せっかちな博徒達の頭にも分かりやすくスッと情報が入っていくよう工夫を凝らす。
『亜細亜四小龍』『PIGS』などのレッテルを貼るのもそのためだ。
所詮これは競馬誌の記者が貼ったレッテルにすぎず、時期が来れば忘れ去られる。
記事に書かれる暴力団組織の側も、これを以て組の方針を決めることはない。
しかし……
「伯剌西爾組・露西亜組・印度組・中共組・南阿組。
世界列島の経済のダート戦線を賑わす五組立て。
資源のスタミナを誇る伯剌西爾組と露西亜組、爆発的な末脚を秘める印度組と中共組、そして南阿組の多彩な脚質。
内外の逆風に揉まれながらも、次代の主役候補として大舞台を狙う走りは、まだまだ目が離せない。
──その走りは大洋を駆ける鰤。その安定感は葉を広げどっしり構える楠。まさに『鰤楠』と呼ぶにふさわしい。」
この『鰤楠』というレッテルが、暴力団社会に波紋を巻き起こす。
……いち競馬誌の記者が貼りつけたレッテルが、本当に暴力団組織を結び付け、一大任侠連合を結成させてしまったのだ。
*****
雪のちらつく中、背中を丸めた人々が小走りに行き交う通りの外れに静かにたたずむ、高級料亭『五龍閣』。
黒服の強面暴力団員が出入口を固める中、『鰤楠会』を構成する各組の親分衆が高級車の後席から下りてゆく。
若衆が傘をかざし、紋付袴に身を包んだ親分が飛び石の上を歩いてゆく。
「この盃を以て、ここに集う我ら五人は兄弟となる。
これは西の外道の搾取に抗い、我らの自由を取り戻す盃。
資源も血も汗も、互いに裏切らず分かち合い、いかなる嵐にも背を合わせて立ち向かうことを誓う。
──今日より我らは、鰤の如く俊敏に、楠の如く揺るがぬ兄弟となる。」
露西亜組・裏島組長が口上を述べる。
三宝から盃を取り、一礼ののち、ゆっくりと口を付ける。
……ここでなんとかしてやらにゃあ。
裏島組長の目がぎらつく。
露西亜組は今、亜米利加組や欧州連合に睨まれ、シノギに行き詰っている。
亜米利加組やその兄弟筋からの仕入れに行き詰っているほか、油やガスなどの買い手も付かない。
今の露西亜組は中共組頼みであり、依存度はシノギを回すほどに膨れ上がる構造に陥っている。
──このままでは中共組の舎弟に成り下がりかねない。…どこか、中共組以外の組ともシノギを広げていかなければ。
露西亜組は強い危機感を持っている。
露西亜組が鰤楠会に賭ける最大の理由…それが鰤楠銀行だ。
露西亜組は今、決済に使う裏金、『外貨準備』のユーエスダラーやユーロを凍結され、他所の組への支払いができない。
支払いができなければ、仕入れもできない。
結局、決済網を露西亜組の筋にも開放している中共組に、ゼニの流れまで依存する構造になっている。
鰤楠銀行を整備すれば、露西亜組の代紋札『ルーブル』や、印度組の『ルピー』等で相互決済ができるようになり、中共組への依存を減らすことができる。
また『鰤楠会独自の代紋札』を立ち上げれば、資源に恵まれた組の集まりである鰤楠会の札ということで、そこそこ信用の強い、それこそユーエスダラー覇権に一石を投じる程度の代紋札に育て上げることができるかもしれない。
この鰤楠会は、露西亜組にとって、亜米利加組の機嫌一つで使えなくなるユーエスダラーやユーロによらないシノギと、亜米利加組や欧州連合の筋にかわる油やガスの売り先、ブツの仕入れ先を掴む機会だ。
…もっとも鰤楠会所属の最大の暴力団組織は中共組なので、より一層骨の髄まで依存することになるリスクはあるが…今の露西亜組には選ぶ余裕はない。
*****
…キィーッ!
鰤楠会の盃事が執り行われている『五龍閣』の外に、けたたましいブレーキ音が響き渡る。
何事かと首をかしげる護衛の組員達が、音のした方に駆け付ける。
……そこには一台の黒塗りの高級車が道路の真ん中、親分衆の車にぶつからんばかりの位置に止まっている。




