四拾弐 露西亜組と中共組の闇取引④
……うぉおッ、閃いた!
ガシャン!
安藤は長机を拳で叩く。
長机の上のまな板と匕首が飛び跳ね、音を立てる。
「お、おやっさん……!
あ、あの……こ、今のままじゃ、ウチ……中共組に呑まれちまいます……。
こ、これは……宇克羅組の外道がウチに盾突いてドンパチになっちまった以上、ど、どうにも避けられねぇ構造でして……。
で、でも……ウチの代紋札、ル、ルーブルが、も、もっと強けりゃ……な、なんとか……なる、はずです……。
………………たぶん。」
──武闘派ヤクザではない安藤、肝心なところで微妙に自信がない。
気合を入れ直す。
「……おやっさん、『ルーブル』の価値はですね……。」
安藤の説明を聞いた裏島組長は勢いよく立ち上がる。
長机の上に置いてあった匕首はその勢いでガチャリと長机から落下し、安藤のズボンを切り裂いてあと少しずれていたら大ケガでは済まないところに落ちる。
ぅおほぉ!と変な声を出して足を引っ込める安藤に、裏島は大声で指示を飛ばす。
「おい安藤!……ちィと、『欧州瓦斯』のガキ共呼んでこいや!
……俺が筋の通し方ってモンを教えてやっからよォ!」
そう言うと裏島組長は上着を脱ぎ、彫り物をさらけ出す。
氷原を割り、立ち上がる大熊。
その爪は大地を抉り、背後には凍てついた大河が流れている。
夕暮れに染まる赤い空には一つの赤い星が光り、左肩には鉄槌を振う鍛冶神、右肩には鎌を構える農耕神が神々しい後光と共に彫られている。
『幻影の匠』の二つ名を持つ巨匠、巌乃富 鉄藏の会心の作は、権威を象徴し、帝国の幻影を映し出すような、幻想的なまでの美しさを放っていた。
1時間後。露西亜本家の駐車場に黒塗りの高級車が止まる。
拉致されてきた『欧州瓦斯』の役員が、ブルブルと震えながら黒服の組員に囲まれ、裏島の前に連れてこられる。
この会社は、欧州連合のフロント企業で、露西亜組のガスの買い手だ。
……もっとも、露西亜組のガスそのものが欧州連合を構成する組からソッポを向かれている上に、ノルドストリームも使えなくなったので、最近はめっきり取引が減ってしまってはいるが……。
「夜分すまねぇなァ、理事さんよォ。
ウチの親分がお待ちかねだからよォ、ちぃとここ座ってもらってよォ、腹割って話、さしてもらおうじゃねぇか。」
ドスの効いた組員の声に、役員は泣きそうな顔になっている。
裏島組長は勢いよくタバコの火をガラス灰皿に押し付け、立ち上がる。
ツカツカと欧州瓦斯の役員の隣に歩み寄ると、大きく息を吸い込み、勢いよく啖呵を切る。
「遅かったじゃねぇかテメェ、コラァ!
いいか、ありがてぇ話をしてやっから、耳カッ穿ってよく聞けや。
……露西亜組はなァ、たとえウチに盾突く外道だろうがよォ、広ォい心でガス売ってやってんだよ、そりゃ分かってんだろうなァ、コラぁ!」
窓にはまった防弾ガラスが音圧でガタガタ震える。
彫り物をさらけ出して怒声を放つ裏島組長の剣幕に、欧州瓦斯の役員は恐怖のあまり失神寸前となっている。
「……これまではなァ、そんな外道共の筋も道理も通ってねぇ代紋札でも、任侠の道に則って受け取ってきてやったんだ。
だがなァ──金輪際もう止めだ。
いいかテメェ、コラぁ!
露西亜組に盾突く外道はよォ、ウチからガス買うんならウチの札、『ルーブル』で払いやがれ!
それが筋ってモンだろうが、コラァ馬鹿野郎!」
欧州瓦斯の役員は震える手で財布を取り出すと、札を取り出す。
しかし…それは『ユーロ』だった。
欧州瓦斯の役員は目から涙を流しながら、気まずそうに引きつった笑いを見せる。
「……何ィ?ルーブル持ってねぇだとォ?
テメェ、ウチの代紋舐めとんのかコラァ!指詰めさすぞオイ!
……と、言いてぇとこだがよ、露西亜組は仁義を重んじる組よ。
いいかコラぁ、『露西亜瓦斯銀行』にユーロでも何でも持って来いやァ!
そしたらウチがルーブルに両替してやっからよ、それでガス代払いやがれ、クソッタレぇ!」
欧州瓦斯の役員は張子の虎のようにカクカクと首を縦に振っている。
裏島組長の要求を呑んだことで、ようやく欧州瓦斯の役員は解放された。
──安藤の奇策。それは『露西亜瓦斯銀行』を使い、露西亜組の代紋札である『ルーブル』の価値を吊り上げるというものだ。
露西亜組には、ガスを掘るフロント企業の『露西亜瓦斯』がある。
ここだけは例外的に、ユーエスダラーやユーロ等、貫目の高い組の代紋札を使ってガス代金を受け取ることを許されている。
今でこそノルドストリームも破壊され、露西亜組依存からも脱却しているが、宇克羅組との抗争が始まった当初、欧州連合はガスを露西亜組に依存していた。
露西亜組にカネを払えなければ、ガスの元栓を閉められる。
亜米利加組はブツクサ文句を言っていたが、結局この『露西亜瓦斯』だけは凍結を免れたのだ。
しかし……いくら『露西亜瓦斯』がユーエスダラーやユーロを受け取っても、制裁を受けており自由に使うことはできない。文字通りの宝の持ち腐れとなる。
そこで、欧州瓦斯には、まずはユーロを『露西亜瓦斯銀行』に持って来させる。
『露西亜瓦斯銀行』はユーロをルーブルに両替して欧州瓦斯に渡す。
欧州瓦斯はそのルーブルで『露西亜瓦斯』に代金を支払う。
『露西亜瓦斯銀行』が受け取ったユーロは、所属する金融ヤクザが金融市場で売り払い、ルーブルを買い支えて価値を吊り上げる。
要は強制的にルーブルに両替させることで、ルーブルの需要を作り出し、その価値を無理矢理吊り上げるのだ。
こんなものは、気休めでしかないし、焼け石に水だ。
ルーブルの価値を守る効果はほとんどないし、仮に守れたとしても中共組への依存体質が改善する訳がない。
それでも、他に打てる手は何もない。そんなことは裏島にも分かっている。
精々、『那統会の嫌がらせには屈しない』というパフォーマンス程度の効果しかない。
しかし、裏島には、これにかけるしかなかったのだ。




