参拾捌 霊願丸の盃④
高砂組の徳頼組長は、目の前で繰り広げられる米軍組と旭日組の組長の口論を茶をすすりながら見守っている。
そしてケタケタと笑いながら口を開く。
「まったく、天下の亜米利加組も楽じゃなかばい。旭日組だけやなか、これまで色んな組から強請られとる。
──そいで今度は、ウチら高砂組からも強請られるっちゅうこっちゃ。」
何ィ?と言いながら、米軍組の古都組長は、徳頼組長を睨みつける。
「……あんなぁ、鷹居の。
ウチらは別に、今すぐカチ込んで中共組の外道ば海に沈めろっち言いよるわけやなかばい。
……そがんことしてウチのシマに流れ弾でも飛んで来たら、ウチらのシノギも終わりやけんな。
ちぃとこの霊願丸と、おまんら旭日組の船ば出して、あの外道共にカマシば入れてくれるだけでよかとたい。」
徳頼は真顔になると、煙草を取り出す。
「……そいと古都の。チャカばぎょうさん回してくれや。あン外道共に、カチコミは割に合わんと思わせるだけでよか。」
御琴が火をつけると、徳頼は大きく煙を吸い込み、そしてフゥーッと長く吐き出す。
「……ええか、もし中共組がウチら高砂組ば台湾島から叩き出さんでも、シマでドンパチばおっぱじめてウチらのシノギが止まってしもうたらどうなるか。
そがんこつになったら、亜米利加組も旭日組も、たちまち息の根が止まるばい。
……ああ、たちまちじゃ。」
徳頼は不敵な笑みを浮かべ、煙草の灰を落とす。
古都も鷹居も、何かを思い出したような顔になる。
「おまんらもよう分かっとろうが──
もし『高砂電子』が止まってしもうたら……どげんことになるか、分かるやろがい。」
──高砂電子。これは高砂組のフロント企業であり、
半導体製造のシノギで世界列島を席巻している。
これはただの高砂組の資金源というだけではない。
産業のシャブとも呼ばれ、あらゆるモノ作りが依存する半導体。
これ無しでは、電機製品は勿論、自動車や機械などあらゆる物が作れない。
そして亜米利加のチャカにも当然使われる。
亜米利加組のフロント企業も半導体を生産してはいるが…先端半導体と呼ばれるハイテクブツは、高砂電子の独壇場で、実に亜米利加組のシマでの需要の9割は高砂電子が供給している。
そしてこの事情は旭日組も同じだ。
つまり高砂電子のシノギが止まるという事は、亜米利加組も旭日組もは半導体を入手できず、あらゆるシノギが止まるだけではなく、シマの守りの要であるチャカひとつ作れなくなる。
そしてもし高砂電子を中共組に乗っ取られでもしたら、亜米利加組のシノギやチャカ作りが止まるだけでない。
中共組が半導体を独占、高性能なチャカを作れる半導体をそっくりそのまま手に入れることになる。
*****
古都組長は、神棚に柏手を打つ。
大東亜抗争の伝説的な武闘派ヤクザ、仁御津 千津太の御霊を主祭神に祀る、仁御津神社から分祀された神棚に向かい、仁御津命に中共組退散を祈願する。
神棚から御神酒を下ろし、三宝に乗せる。
3つの盃に、静かに酒が注がれる。
静まり返った座敷に、雪洞の灯りが揺れる。
窓のない座敷の壁に、怪しく影を映し出す。
「ワシら米軍組は、今この場で盃の筋を通す。
台湾島の睨み──ワシら米軍組が預かった。」
古都は静かに口上を述べる。
三宝から盃を取ると、黙礼し、口を付けて酒を喉に流し込む。
続いて徳頼に向き合うと、ゆっくりと、静かに三宝に手を伸ばし、盃を差し出す。
「……高砂組、徳頼。
おどれのシマが火ぃ吹かんよう、ウチがケツ持って睨みを利かせる。
この盃──霊願丸を動かす覚悟の証じゃ。
おどれの若い衆が身体懸けるなら、ウチも動くけェ。」
徳頼は一礼すると、両手で盃を受け取る。
盃に口を付け、酒を飲み干すと、半紙に盃を包んで懐に収める。
そして古都は鷹居に向き合う。
三宝から盃を取り上げ、鷹居の目の前に差し出す。
「古都ォ!わりゃ、一体何さらしとるんじゃァ!」
そのとき、バン!と大きな音を立てて襖が開かれる。
そこには、鬼の形相の亜米利加組・鳴門組長が仁王立ちしている。
全員、呆気に取られて鳴門組長の顔を見ている。
「古都ォ!ワシゃこがぁ盃交わすなぞ、聞いちょらんぞ!
親に相談もせんで勝手な真似さらして、何様のつもりじゃおどれはアッ!」
部屋の隅に片づけてあった灰皿を拾うと、鳴門は勢いよく古都の頭に振り下ろす。
砕けたガラスとタバコの灰が、畳の上で散らばる。
「お、おやっさん…どうか、どうかわかってつかぁさい!あのシマぁ中共組に取られたら、第一列島線が!半導体がァッ!」
古都は頭から血を流しながらも、鳴門の前に跪き、陳情を述べる。
それを、鳴門組長は一蹴する。
「あァ?おどりゃ、何をボケさらしとんじゃコラぁ!
第一列島線だァ?そがぁなモン、このワシが近平ン親父と直にナシ付けちゃるけェ、黙っとれや!
それを高砂組なんぞとこがぁ盃結びよって、あの親父がヘソ曲げたらどうケジメ付けるんじゃボケぇ!
それに半導体がどがぁしたんじゃいバカタレがぁっ!ウチのフロント企業でナンボでもこさえられるけェ、いちいち騒ぐなや!」
……お、おやっさん!ワシらのフロント企業、半導体の絵は描けても、現物をこさえるこたぁできんのじゃ!
古都は汗を垂らしながら心の中で言う。
しかし盃の上下関係が絶対のヤクザの世界。親分筋がこう言う以上、古都はその思いを通すことはできない。
そして鳴門組長は、高砂組の徳頼組長に向き直り、言い放つ。
「ワレェ!徳頼ィ!おどれもまぁ、ようもまぁ虫のええことばっか抜かしよるのォ。
テメェのシマの守くらい、テメェで通すのが極道の筋じゃろうがい!
それをウチの兄弟筋まで巻き込みよって、どげんつもりしとんじゃコラァ!
ええか、ウチらの代紋使うっちゅうんなら──守り料、キッチリ払わんかい!
チャカが欲しいんじゃったら、ゼニ出してから言えやボケェ!
ワシと近平ン親父のナシ付けに水差すような真似しよったら──その場でエンコ詰めさすけぇのォ、覚悟しとけやバカタレがァッ!」
今の高砂組は、亜米利加組との兄弟筋の盃どころか、国交盃すら持たない。
いくら第一列島線の支配権と半導体で強請ってみたところで、当の亜米利加組の親父に響かなければ、米軍組には動く筋も義理もない。
──ダメじゃったか……。
徳頼の脳裏には、弓折れ矢も尽き果て、討ち死にを果たす高砂組の若衆の姿が浮かんだ。




