参拾陸 霊願丸の盃②
雪洞の揺れる灯りを屈折させ、キラキラと輝いて見える大判のガラス灰皿でタバコの火を消すと、高砂組の徳頼組長は畳みかける。
「これはなァ、ウチだけの問題やなか。おまんの兄弟筋にも、いずれ火が回る。
この島ァ守らんかったら、太平洋で亜米利加組の代紋の睨みが効かんようになるばい。
……霊願丸ば、ワシらの海に通してくれんか。
ウチの若衆が身体ァ張るには、こん船の睨みが要るとたい。」
座敷は静まり返る。
──台湾島の防衛に絶対に必要なもの。それは、亜米利加組の極道船団だ。
高砂組の海上鉄砲玉に欠けているもの…それは『面』での制圧と物量だ。
高砂組はピンポイントでの攻撃では無類の強さを発揮するが、圧倒的な物量で面制圧をしてくるであろう中共組を撃退する力はない。
これが出来るのは、亜米利加組の二次団体、米軍組の持つ、『空母打撃群』だ。
米軍組 古都組長は、逡巡する。
…台湾島の失陥は亜米利加組とその兄弟筋が太平洋の覇権、ひいてはシノギを失うことを意味する。
そして防衛に加勢すればおそらく中共組の野望を打ち砕くことはできる。
…膨大な犠牲の上に。
古都達の乗っている霊願丸。
これは海の上と沿岸ならどこにでも、空から鉛弾を叩きこむことができる。
陸上の若衆も、洋上の極道船も、空からの攻撃には基本的に脆弱であり、敵にとってはこの霊願丸を基軸とした空母打撃群は地図の上の制約を書き換えるチート兵器であり、地獄の鬼より恐ろしい。
──問題は、中共組も同じような物を持っていることだ。
旭日組も動員すればおそらく紙一重の差で亜米利加組が勝つが、おそらくこの霊願丸は海の藻屑と消える。
そうなると今度は千島の隙間から太平洋をチラチラ覗いている露西亜組への睨みが効かなくなるばかりか、亜米利加組の貫目が下がり兄弟筋の組との盃の重みが変わりかねないが…それでも台湾島は渡せない。
…古都の答えは決まっている。
「……ワシらにとっても痛手にゃ違いなかろうがのォ。
じゃが、台湾島があン外道共の手ぇに落ちるん思うたら、ここで引くわけにゃいかんのんじゃ。
背中は預けたけぇのォ、鷹居ィ。」
古都は、隣で酒のつまみにコロッケを頬張っている旭日組の鷹居に話しかける。
「……カチ込むんか徳頼ィ?」
古都の問いに答えず、咀嚼しながら鷹居は言う。
「……カチ込むんなら、ワシは芋引かせてもらうけェの。
台湾島のドンパチは、ウチにとっても他人事じゃあ無ァ。
じゃがのォ──最近、暴追の連中がやかましゅうていけんのんよ。」
鷹居はゴホゴホとむせ、喉を叩きながらコロッケを嚥下する。
「中共組がウチのシマに土足で踏み込んできたっちゅうんなら、そりゃあウチも若いモン出してタマぁ取りに行くけどのォ……
他所の組の喧嘩に、ウチが首突っ込むわけにはいかんのんよ。
……そがぁな世間の風が吹いとるけェの。」
鷹居はペロペロと手のひらを舐めながら、涼しい顔で隣の古都に目をやる。
「なァ、そんなぁも忘れちゃおらんじゃろ。
──こりゃ、先代からの因縁じゃけェ。…極道なら、ケジメはキッチリ付けてもらうで。」
*****
これは今から80年程前のこと。
旭日組の前身、大東亜共栄会は泣く子も黙る武闘派ヤクザ集団だった。
そして起きた亜米利加組との抗争。
亜米利加組は大東亜共栄会を完膚なきまでに叩き潰し、トドメにアトミックチャカを弾いて壊滅させた。
その抗争の後、亜米利加組は大東亜共栄会を解体。
その中核団体だった旭日組が二度と抗争を仕掛けられないよう、徹底的に弱体化させた。
「暴力団を、利用しな〜い!
暴力団を、恐れな〜い!
暴力団に、金を出さな〜い!
旭日組、はんた~い!
旭日組を、ぶったおせ~!」
ここは旭日組本家。
窓の外には、暴追活動家のシュプレヒコールが飛ぶ。
「朝から晩までまっこと、やかましいのォ。」
旭日組々長 佳出 茂作は、葉巻を吹かしながら不機嫌そうにしている。
──この暴追運動に従事する活動家を育て上げたのは、亜米利加組だ。
亜米利加組は旭日組が二度と力を付けることの無いよう、暴追活動家を援助したばかりではなく、裏社会を牛耳っていた旧大東亜共栄会の幹部たちを粛正し、かわりに活動家にクビを挿げ替えた。
「のォ、佳出。おどれらも極道の端くれなら、よう分かっとるはずじゃろがい。
極道っちゅうんはのォ──カタギに見放されたら、終いなんじゃ。
アレを見ィ。アレがカタギの総意じゃけェ、間違うたらいけんぞワレェ!」
米軍組の若頭、松笠 が馬鹿にしたように言う。
──亜米利加組の二次団体、米軍組は旭日組に九分一の舎弟盃を結ばせ、その後も兄貴分として日本島に居座っている。
大東亜抗争では亜米利加組も前代未聞の被害を受けた。二度と旭日組が力を付けることがないよう、徹底的に叩き直すためだ。
亜米利加組は、旭日組の力を徹底的に骨抜きにし、弱体化させ、捨てておくつもりだった。
ユーラシア本州の今の中共組のシマのあたり、中国地方をシメていた高砂組と盃を結び、太平洋を取り囲む亜米利加組勢力圏を構築して太平洋覇権を盤石なものとする。そしてその高砂組を、勢いを増す蘇連組への睨みを利かせる拠点とする。
これが当時の亜米利加組の方針であり、その為には旭日組は抗争を起こす力のない、チャカ一つ持っていない弱小暴力団にして適当に捨て置いた方が都合がよかった。
しかし……




