参拾伍 霊願丸の盃①
巨大な甲板を持つ亜米利加組の極道船、『霊願丸』。
甲板上には高級車がずらりと整列し、改造車特有のエンジン音を轟かせている。
…その上空には、亜米利加組のフロント企業の生産する高級車『F/A-18E/F』が轟音を轟かせながら飛翔している。
箱乗りした組員が、物騒なロケットランチャーを構え睨みを利かせている。
暴力団員は、自動車の運転技能に長ける。
若かりし頃の部屋住みの時代から、親分や兄貴筋の運転手として、その無茶な要求に従いながら車を走らせる。
時にはどう考えても通れないような細い道の先にある路地裏のスナックまで親分衆を乗せて。
時にはトランクに人には言えないブツとスコップを積んで、道すら無い山の頂へ。
時には速さ・時間・距離の公式を用いて計算すると音速を超えないと間に合わないような制限時間で。
それが例えどんな無茶な道であっても、ぶつけたり傷をつけたりしたら容赦なくヤキを入れられる。
それが例え交通法規はもちろん、物理法則すら無視した時間制限であっても、遅れれば当然のようにヤキを入れられる。
こうして、極道は人並み外れた運転技能を身に付ける。
…そう、ちょっと翼を付けてエンジンをパワーアップさせてやる程度の改造を施せば、その人間離れした運転技能で空すら飛べるほどに。
このように改造を加えた高級車は、極道の世界では『艦載機』という隠語で呼ばれる。
また艦載機を運用する能力を持つ霊願丸のような極道船は、『空母』という隠語で囁かれ、その動向は暴対課からマークされている。
そこへ、一台の高級車が爆音マフラーから炎を吐き出しながら着艦してくる。
それを黒紋付に身を包んだ亜米利加組の組員が整列し、最敬礼で出迎えている。
「まっこと、骨の太か船ばい。」
ガチャリとドアが開く。
若頭の御琴を引き連れ、高砂組の徳頼組長が甲板に降り立つ。
高砂組の代紋の入った紋付を沖合の強風にはためかせながら、亜米利加組の若衆に案内されて甲板の上を歩いてゆく。
「こげん睨みの効いとる組ン事務所が海に浮いとるっちゅうなら、中共組の外道共なんぞ、屁の突っ張りにもならんばい。」
霊願丸の広大な甲板の片隅には、誇らしげに亜米利加組の代紋を掲げた、頑丈な鋼鉄造りの組事務所がそびえたっている。
徳頼組長は、頼もしげにその荘厳な建物を見上げている。
──連日の中共組の地上げ行為に怒り心頭の高砂組。
助けを求めた先は、亜米利加組だった。
*****
台湾島が中共組の手に堕ちること。これは亜米利加組にとっても悪夢だ。
太平洋における亜米利加組の天下は、亜米利加組の本拠地である北米島から、第一列島線。そして豪州組のシマである豪州島まで、亜米利加組とその兄弟筋で完全包囲して取り囲んでいることで成立している。
もしもその一角、それも中共組の本拠地に近い台湾島が中共組のシマとなれば、その包囲の輪に穴が開くだけではない。
シーパワーの力を持つランドパワー系暴力団という手の付けられない暴力団組織になる。
こうなると亜米利加組の手にも負えなくなり、中共組は『覇権国家』に変貌しかねない。
「……そういうこっちゃろうが、古都の。」
徳頼組長は、霊願丸上の組事務所の奥座敷に通される。
窓はなく薄暗く、外の波の音も聞こえない畳張りの和室。
上座に徳頼組長と御琴が座り、その対面に亜米利加組の二次団体、米軍組の組長・古都と、旭日組の鷹居組長が座る。
部屋の隅には雪洞が灯され、怪しく揺らぐ光で二人の顔を照らしている。
「ウチらもなァ、船は持っちょる。海の若衆も、腑抜けた三下やなか。
けんど──こげん骨の太か船は、ウチにはなかばい。
あん地上げ屋ば叩き出すには、ちぃと骨が折れるっちゅう話たい。」
徳頼は、煙草の灰を落としながら、静かに続ける。
──高砂組の海上鉄砲玉は、決して弱いわけではない。
むしろ、あの海域──台湾島近海の海域においては、何も考えずに殴りかかると手痛いしっぺ返しを受ける位には強い。
高砂組には、亜米利加組や中共組のような、物量にモノを言わせるような戦い方は出来ないし、霊願丸のような『空母』もない。
しかし、高砂組にとっては庭の池に等しい、台湾島近海での戦いに最適化された、『ピンポイントでここを叩けば台湾島まで上がってこれない』という部分を叩いたり、島影や波の隙間から突如現れては敵の船を沈め、そして去っていく神出鬼没の戦い方にその能力を全振りしている。
……しかしそれをもってしても、今の中共組の海上戦力増強スピードにはついていけない。
中共組に痛打を与え、台湾島への上陸を遅らせることはできる。しかし、これを撃退することは、もはや出来ない。




