参拾四 高砂組と中共組の抗争③
ここは丁抹組のシマにある、旭日組の組事務所だ。
重厚な鉄の扉の前には、高級車がずらりと列を無し、黒服の暴力団員が立ち並んでいる。
「オカン〜!あれ見てみぃや〜!」
通りを行く子供が指を指す。母親は血相を変え、子供の手を引いて小走りに去ってゆく。
今日は旭日組の義理事だ。
親分の名代として、各組の幹部が参席している。
羽織袴の組幹部衆が、黒服の旭日組若衆にアテンドされ、長い廊下を抜けた先にある座敷に通される。
座敷の奥には花輪が並び、白布を引いた台に分厚いご祝儀の封筒が積み重なる。
床の間には天照大神の掛軸と旭日組の代紋が刻まれた日本刀が飾られている。
…そこで中共組の組員が、高砂組の組員に絡んでいる。
「おう!そこにボサッと突っ立ってんのは、高砂の三下じゃねぇのか?
テメェ、どういう了見でここにツラぁ出してやがんだ、コラァ!」
中共組の若中、雪峰は、羽織を脱ぎ捨て、肩をさらけ出し、その彫り物──翼を広げた白頭鷲の首に食らいつき、息絶えた雉を踏みつける赤毛の狼──をさらけ出している。
高砂組の幹部、栄は、呆れたように肩をすくめる。
「あァ?誰やお前は。
他所様の義理事でモンモン晒して、躾もなっちゃおらん猿みてぇな振る舞いしよって──
その所作からして、中共組の三下たい。違うとや?」
その言葉に雪峰は激昂する。
「ンだとコラァ、この野郎!テメェ、ぶち殺すぞコラぁ!
…ここはなァ、招待がねぇと入れねぇ席だろうがよ。
旭日組と国交盃も交わしてねぇテメェが、何でノコノコ顔出してやがんだよ?」
国交盃。それは兄弟や親子のような、疑似血縁を通じた家族としての義理を結ぶ盃ではなく、お互いを任侠組織としてこの世界列島に存在していることを承認し、話し合いができるようにしましょうという程度の盃だ。
存在を認める程度なので、この盃があるから友好組織であるということではない。
敵対する組同士も、国交盃を結んでいることが多い…そうしなければ、揉め事を対話で手打ちにすることが出来ない。
国交盃を持たない組は、お互いを存在しないものとして扱う。
「おまんはホンにおかしかこと言うとるばい。…で、そん話がどうしたっちゅうとや?
旭日組の慶事ば祝うのに、盃の有る無しは関係なかろうが。
ここは旭日組の祝いの席たい。
何の道理があって、中共組の三下が出席者ば決めらるっちゅうとや?
何様のつもりや、バカタレが──代紋背負うとるなら、筋通してモノ言えや!」
そう言うと栄は、懐から旭日組の代紋の捺された回状を取り出し、ヒラヒラと見せつける。
──その瞬間、雪峰は栄を突き飛ばし、回状を奪い取る。
そしてそれを粉々に破り捨てると、障子が震えるほどの大音声で怒鳴り声を上げる。
「テメェら旭日の外道共ォ!
こりゃ一体どういう了見だコラァッ!」
雪峰は、騒ぎを聞きつけて強面を3人ばかり引き連れて駆け付けた旭日組の幹部に詰め寄る。
「おい、旭日のボケカス!
高砂のバカ共はよォ、筋も道理も通さねぇでウチのシマに居座ってる外道だろうが!」
他所の組の義理事で暴れて喧嘩を始める。それどころか、その席を持つ組の幹部にまで食ってかかる。
これはその組の代紋に泥を塗り、極道の命より大切なメンツを下足で踏みつぶすような行為だ。
即、抗争となってもおかしくない。
……しかし、雪峰には他の選択肢がなかった。
──他所の組が高砂組と付き合うこと。それは、その組が高砂組の暴力団組織としての存在を認め、国交盃を交わすことにつながりかねない。
これは、台湾島の地上げ…そして、底知れぬ海の恐怖からの脱却のためには抗争も辞さない中共組にとって、その計画の根幹にかかわるような事態だ。
カチコミによる地上げは、『不当にシマに居座っている外道を叩き出す』という大義名分がある場合にのみ成立する。
しかし、高砂組と国交盃を結ぶ…つまり、『台湾島は高砂組の正規のシマである』ということを認める組が出てくると、このロジックは成立しない。
「台湾島はなァ、先代から続くウチのシマなんだよコラぁ!こいつらのシマじゃねぇんだよ!
この三下呼びつけるのに、ちゃんとウチに仁義切って筋通したのか、あァ?
テメェよォ、ウチの代紋ナメんのもいい加減にしろや、この野郎!」
──雪峰はこう言うが、厳密な意味で『台湾島は元々中共組のシマだった』というのは無理筋だ。
それを言うなら高砂組の前は旭日組のシマだったし、旭日組が開け渡した相手は高砂組だ。
先代の歴史の話を持ち出すなら、最初は阿蘭陀組と西班牙組のシマだった。
…しかし、中共組はこの理屈を通すしかないのだ。
暴論でも無理筋でも、この大義名分を死守しないと、高砂組と抗争になった際、中共組は大義なき抗争を吹っ掛けた『外道』となる。この理屈の前提を崩すものは、どんな手を使ってでも排除しなければならない。
……しかし無理筋だけに、これを通せば摩擦が起きるし、衝突も起きる。
「ワレェ、このド三下ァ!代紋舐めとんのはおどれじゃワレェ!
おどりゃあ、ようもワシらの目出度ぇ日をブチ壊してくれたのォ。
この落とし前、どう付けるんじゃ、あァ?」
旭日組の幹部が猛烈な怒りをぶちまけ、雪峰に怒鳴りつける。
「ええか、バカタレ──よう聞きさらせや。
この祝い事ぁのォ、ウチの席じゃけぇのォ。誰呼ぼうが、ウチの勝手じゃろうがい!
おどりゃァ、どういう了見でアヤぁ付けとんじゃ、コラァ!」
旭日組の幹部は尚もこめかみに青筋を立てて怒鳴り続ける。
そしてこの席には丁抹組はもちろん、亜米利加組等の兄弟筋各組の幹部が出席している。
全員、軽蔑と呆れの目で雪峰を見ている。
*****
結局、雪峰は、ありったけの暴言を吐いて出席者全員を唖然とさせた後、高砂組の組員に額がくっつかんばかりに顔を近づけて捨て台詞を吐き、それでも飽き足らず座敷の襖を蹴り壊して途中退室した。
雪峰の蛮行と言って差し支えの無い振る舞いに、おそらく中共組は今日一日で大きく他の組の評判を下げた。今頃『中共組が外道の振る舞いを働いた』と噂になっている。
とは言え、あの場で何もしなかった場合、中共組自身が高砂組を認めたことになる。
こうなると、台湾島の地上げの正統性が揺らぐ。
どちらに進んでも、地獄だったのだ。
雪峰は、上着を脱ぎ、鏡に映った狼の彫り物を見る。
その眼は血走り、白頭鷲の喉元に食らいつき、雉を踏みつけたまま、何も語らない。
そして、血の滲んだ包帯の巻かれた、左手小指のあった空間を見る。
…あの後、旭日組に詰めた小指を持っていった。
対外的には、今回の一件は中共組の大失態だ。
即、双方の組幹部の寄り合いが持たれ、雪峰の指一本で手打ちとなった。
中共組の立場は、旭日組も心得ている。あっけないくらい事務的にナシが付いた。
…そして、中共組の『大義名分』は守られた。
これで終われば理不尽極まるところだが、雪峰にはその埋め合わせで、組から金一封と、若頭代行の役職が与えられた。
雪峰は独り言のように語る。
「…………親父。
オレはよ、カネだの役だの、そんなモン欲しくて動いてたわけじゃねぇ。
何ならムショ行きでも上等だよ。
オレはなァ──中共組の戦狼だ。」
組から下りたカネを残さず酒屋の亭主に渡して買った、最高級のブランデー。
痛む左手でボトルを押さえながら、雪峰はその栓を抜いた。




