参拾参 高砂組と中共組の抗争②
近平組長は、組長室のソファの上で目を開く。
…ちぃとウトウトしちまったか。
ソファを立つと、窓際へ行き、ブラインドに指をかける。
防弾ガラスが二重に嵌った小さな窓の外は、とうに日が落ちて日付も変わり、夜の闇に覆われていた。
今晩もまた、中共組の若衆が代紋を掲げた屋形船に乗り込み、高砂組のシマと目と鼻の先の海域でどんちゃん騒ぎをして、地上げのカマシを入れに行っている頃だ。
「…徳頼ィ…あんまオレに手間かけさせんじゃねぇよ。
大人しく指詰めてケジメつけて出てくか、とっとと盃もらいに土下座しに来い。
……そうじゃなきゃよォ、オレ……マジでブッ屠しちまうぞ?」
近平が独り言のように呟く。
その声色には、暗澹とした思いが込められていた。
──中共組は、生粋のランドパワー系暴力団だ。
そのシマは海に面してはいるが、完全に陸に囚われている。
否、海に出ていきたくとも、出てゆけないのだ。
それどころか、恐怖ですらある。
第一列島線──極道達の間でそう呼ばれる島々がある限り。
*****
「…どうだ?首尾の方は?」
近平は執務机の上に置いてあったスマホを拾い上げると、直参組員の群堂若頭代行に電話をかける。
『ご苦労様です、おやっさん……
おいテメェら!うるせぇんだよこの野郎!電話中だっつってんだろッ!
……すんません、おやっさん。ちょっと騒がしくて。』
群堂は1コールを待たずに直ぐに電話に出る。…取り繕ってはいるが、電話越しに酒の匂いが漂ってくるような声だ。
電話には即出る。特に目上の筋からの電話には、何があっても出る。
これは極道の基本的な所作の一つだ。
──第一列島線。これは中共組のシマと太平洋とを隔てる、『太平洋の蓋』だ。
旭日組の本拠地である日本島から、伯帯庇亜組のシマ、ボルネオ島あたりまで、ユーラシア本州と太平洋との間に立ちふさがるかの如く、島々が連なっている。
…これが、中共組の太平洋への行く手を阻む。
代紋を掲げ、重火器を乱射しながら進む極道船団なら、島と島の間を突っ切って進めばよいではないかと思うかもしれないが、話はそう簡単ではない。
…それぞれの島には、亜米利加組やその兄弟筋の組事務所があり、睨みを利かせているのだ。
そして島と島の間には亜米利加組はいつでも極道船団を送り込むか、爆弾を仕込んだ罠を仕掛けて封鎖することができる。
こんなところに無策で突っ込めば、海の藻屑と消されて魚の餌にされてしまう。
*****
『ええ、ここんとこ特に動きはねぇっす。
高砂の連中は相変わらずですよ──バカばっかで、こっちの様子伺ってんのか、それともただの腰抜けか……ってとこですわ。』
近平は状況報告を受ける。
…また今日も派手にやってるみてぇだな。
しっかしまだ音を上げねぇか…ま、この程度で音を上げるような奴等じゃねえよな。
──そしてこの『太平洋の蓋』を突破する方法は、3つある。
一つは、力ずくで封鎖をブチ破ること。しかしこれには相当の犠牲を覚悟する必要がある。
二つ目は、第一列島線を構成する島々と盃を結ぶこと。この試みは進めてはいるものの、中々亜米利加組を裏切り、中共組と裏盃を結ぼうという組は出て来ない。
…色々と要因はあるが、どの組も対外決済通貨として亜米利加組の代紋札であるユーエスダラーに経済を依存している手前、大っぴらに亜米利加組には逆らえない。
三つめは……この島のどれかを地上げして中共組のシマに組み入れてしまうことだ。
…そう、台湾島を地上げして、ここを中共組のシマに叩き直せば、『太平洋の蓋』には穴が開く。
*****
「聞けや群堂。絶対にウチから先に手ぇ出すんじゃねぇぞ。
あのシマはオレたちの『核心的利益』なんだ。じっくり構えて、時機が来るのを待て。
……じゃあな。
あんま酒ばっか煽ってんじゃねぇぞ。体ァ壊すなよ。」
向こうから手を出してきたなら、中共組は『組事務所である極道船にカチ込まれたのでカエシを入れる』という大義名分を得るが、逆の場合は中共組が『理由もなく他所の組事務所にチャカをぶち込んだ外道』という立場になる。
そうなると中共組が台湾島近海に居座る正当性が揺らぎ、台湾島の地上げに失敗することになる。
近平は、電話を切り、再びソファに座る。
──『太平洋の蓋』の突破に中共組が拘る理由…それは太平洋にカチ込み、亜米利加組のシノギを横取りしてやろうというものではない。
むしろそのようなことをすれば、亜米利加組や旭日組などの逆鱗に触れて、その兄弟筋も含めてシノギを完全に失うことになり、中共組の経済にはとてつもないマイナスでしかない。
…シノギの為ではない。中共組は、この海が恐ろしいのだ。
中共組のシマは、世界列島屈指の長い海岸線に囲まれている。
基本的に、海から陸へのカチコミは失敗する。
しかし失敗させるためには、海からカチ込んで来る敵の組の鉄砲玉を撃退する必要があるが、当然その為には若衆を付けておく必要がある。
ところが、中共組の本拠地を取り囲む海岸線は、守り切るには長すぎる。必ず手薄な部分が出てくる。
そして、第一列島線は亜米利加組が押さえている。
中共組は第一列島線を超えることはできないが、亜米利加組にとっては自分の兄弟筋のシマなので、自由に通過することができる。
第一列島線が亜米利加組に抑えられている限り、中共組は常に海からのカチコミの恐怖に震えていなければならないのだ。
「……鳴門よォ……お前が盃をひっくり返してくれりゃ、ウチはこの海に手ぇ突っ込める。
今しかねぇんだ……テメェに賭けるしかねぇ……頼むぜ、鳴門ォ……。」
自分に言い聞かせるような近平組長の呟きは、祈るような不安と、それでいて確信を持っているかのような力強さを含んでいた。




