参拾弐 高砂組と中共組の抗争①
ここは八代目 高砂組がシノギを張る、台湾島。
島を取り囲む海は、月の光を反射し、穏やかに凪いでいる。
……一か所を除いて。
『…東方は紅くゥ~、太陽がァ昇るゥ~。中共組のォ~、毛沢ァ組長ゥ~…』
大音量のカラオケ音源をバックに、小指を立ててマイクを握り、熱唱する中共組の組員。
「オッ、うめえぞ~、張本ォ!」
酒瓶を片手に囃し立てる組員。
煌々と昼間のように明かりを焚いて固まっている数十艘の屋形船。縁にずらりと提灯のぶら下がった屋根には、中共組の代紋が掲げられている。
その屋根の下、中共組の組員達の酒盛りが開かれている。
船の周りには、酒瓶やらゴミやら、色々なものが浮かんでいる。
そしてここは高砂組のシマのカタギが暮らす沿岸部の漁村からは目と鼻の先、漁港の入り口の海上だ。
騒音と光が住民を叩き起こし、家々の明かりが灯る。
「おいコラァ、このアホンダラがぁ!
今が何時か分かっとっとかワレェ!
夜っぴてにギャンギャンやかましいわ!ぶっ倒すぞコラァ!」
眠っているところを叩き起こされた漁師の親父から怒号が飛ぶ。
「あァ?テメェ、本職に盾突くたぁ、上等じゃねぇかコラぁ!
オレらぁな、ちぃと遊んでやってるだけだろうがよ。
別にチャカ持ってテメェの寝込み襲いに行ってるわけじゃねぇんだ。
アヤぁつけてくんなら、いつでも相手になってやらぁ!」
キーンとハウリングを起こしながら、マイクを持った組員が、上半身裸でモンモンを見せつけ、啖呵を切る。
「兄貴ィ!花火の準備ができましたァ!」
汚れたツナギを着た三下が、マイクの組員に報告する。
「よーし、一丁やってやれや!」
マイクの組員の指示で一斉に花火が打ちあがる。
ドォーーーン!という大音量の爆音と共に夜空は火花で包まれ、辺り一面が昼間のように明るくなる。
続けてドーン、ドーンと次々に花火が打ちあがる。
漁村からは赤ん坊の泣き声が響き、何事かと家々から人が出てくる。
外では犬が狂ったように吠え、鶏も一斉に鳴き出す。
……中共組の嫌がらせは、夜通し続いた。
「いやぁ~、楽しかったなァ!
邪魔したなァ、テメェら!明日も来るからな!」
そう言い残すと、朝日を浴びながら中共組の組員達を乗せた屋形船は沖合へと去っていった。
一睡もできず目の下に隈をたたえた漁民が、不安の声をあげる。
「…うちん親分さん、あげん地上げ屋ば追っ払うことは出来んとやろか…。」
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「近平んとこの地上げ屋ども、飽きもせんで毎日毎日うちん海ば荒らしよってからに!
今日っちゅう今日はもう許さんばい。
道具持ってこんかい!
ワシが直々にタマぁ取りに行っちゃるけん、覚悟せェ、あン外道共!!」
十六代目 高砂組々長 徳頼 清。
本家組事務所の長机に居並ぶ高砂組幹部衆を前に咆哮すると、スーツの上着を脱ぎ捨てる。
…本気で中共組の極道船団にカチ込むため、死に装束に着替えるつもりでいる。
その背中一面に、昇り竜と断崖の松の彫り物が堂々と構えている。
背中の中央に逆巻く黒龍──鱗は台湾島の地形をなぞり、尾はその東海岸を這う。
その龍の眼は北を睨み、中華の天を割る気迫を宿す。
右肩から左腰にかけて、断崖に根を張る老松──風に千年耐えた構えを威風堂々と表している。
伝説の彫師「墨鬼・阿源」の見事な墨の迫力に、居並ぶ組員たちは一瞬息を呑んだ。
「いかんですばい!おやっさん、どうかこらえてつかぁさい!
そげェなこッばしたら、あん外道共の思うツボですけん!」
若頭の御琴が必死の形相で静止する。
中共組は、先に手を出して来たらそれを大義名分に全力で叩きに来る寸法だ。
──中共組が騒ぐのは高砂組のシマのギリギリとはいえ、誰のものでもない公海の上だ。
この公海上は、たとえ極道船団であっても好きに航行してよいし、それどころかチャカを弾く練習をしてもよい。公海上の組ゴトに他所の組はアヤを付けない…これは任侠の掟だ。
まして中共組は、『ただそこに集まっているだけ』なのだ。……その意図は別として。
そして代紋を掲げた極道船…これは海に浮かぶ組事務所と見做される。
もし高砂組が中共組の極道船団にチャカを弾いた場合、それは中共組の事務所にカチコミを入れたのと同じ意味となる。
ヤクザのカエシの基本は、最低でも自分が受けた被害と同等以上の被害を相手に与えることだ。
中共組は、『自分たちの組事務所にカチ込まれ、代紋に泥を塗られた』立場となり、『台湾島にある高砂組の事務所にカエシを入れる』ということが正当化されてしまう。
「あァ?なんば言いよっとか御琴ォ!
おまん、親に楯突くつもりかい!
誰のつもりで口ばきいとるんじゃ、このバカタレがぁっ!」
徳頼組長は御琴若頭を一喝する。
親分が黒といえば、白い物でも黒となる。
これは親子の盃を下ろされた時に子分が受け入れねばならない、極道の世界の道理だ。
「おやっさん…ワシ、盃の義理ば違えてしもうような口ばきいて、ほんに申し訳なかとです。
けんど、それだけは…それだけは、どうかこらえてつかぁさい。
この通りですけん…!」
そう言うと、御琴は懐から匕首を取り出すと、その鞘を払う。
同席する幹部組員が驚愕の表情を浮かべる中、御琴は左手を開いて、ドンと音を立てて叩きつけるように長机に乗せ、抜き払った匕首を小指にあてがう。
刃先が3ミリほど食い込み、一筋の血が流れたところで、徳頼組長が一喝する。
「やめんか御琴!そげなつまらんことで、おまんがエンコ詰める筋はなかばい!
……あい、わかった。ワシもちぃと頭に血ぃ上っとった。
おい、誰か。医者んとこ連れて行け。ちょびっと縫うてもらえば済むけん。」
若頭代行が匕首を取り上げ、御琴を連れて退室する。
「……しかし、どげんしたもんかのォ……。」
先ほど脱ぎ捨てた上着を拾い、それを羽織ると、徳頼組長はソファに戻り、目を閉じて考え始めた。




