弐拾玖 米軍組との盃②
畳の上には白布が敷かれ、中央に朱塗りの盆が置かれている。
盆の上には、清酒を注いだ小ぶりの盃が三つ。
小浜組長は見届け人として、紋付袴を身に纏い、上手に正座している。
奥には兄貴分となる、亜米利加組の二次団体・米軍組の檀法組長が、その対面には舎弟となる、旭日組の靖辺組長、大韓組の久根組長が並んで座っている。
檀法組長が、ゆっくりと盃を手に取り、酒を口に含む。
そのまま無言で盃を盆に戻すと、久根もまた盃を取り、同じように酒を口にする。
──地獄そのものといえる上陸作戦を成功させる方法は2つある。
一つは、海岸で守りを固める敵を圧倒する人数の鉄砲玉と、さらに敵を圧倒する物量のチャカを投入すること。
…しかし、これは現実的ではない。いかに亜米利加組といえど、鉄砲玉の人数は有限だし、無限にチャカを投入していては他の組との抗争に支障が出る。
そこで二つ目の方法だが…これは身も蓋もない。敵の組員のいない、安全な場所に上陸することだ。
それが中共組のシマに突き刺さる韓半島に、白頭組と背中を合わせながら渡世を張っている、大韓組のシマだ。
中共組や白頭組との喧嘩の際、何も考えずに敵中に上陸すれば、いかに亜米利加組といえど壊滅は必至だ。
大韓組が上陸拠点を守り、亜米利加組を安全に上陸させること。
これができない限り、亜米利加組ひいてはその兄弟に勝利はない。
「ほんでのォ、靖辺──ワシゃおどれにゃ、背中ぁ預けるけぇ。
……頼んだで。」
小浜が靖辺に目を向け、口を開く。
靖辺もまた、先ほどの久根と同じように盆から盃を取る。
「任せんさいや。
……日本海っちゅうんはのォ、ワシらの海じゃけぇ。身体張らしてもらうけぇのォ。」
そう言うと靖辺は盃に口を付け、酒を飲み干す。
──もう一つ、中共組や白頭組との喧嘩で重要なことがある。
それは、韓半島に向かう亜米利加組の極道船団を守り切ることだ。
いかに屈強な亜米利加組の鉄砲玉であっても、韓半島にたどり着く前に乗っている船を沈められてしまっては何もできない。
亜米利加組の極道船団が通る海上ルートと、上陸拠点の大韓組のシマ近海に、中共組や白頭組の極道船を寄せ付けないこと。
…それが出来なければ、亜米利加組は上陸作戦が始まる前に負ける。
旭日組のシマ、日本島は、韓半島に非常に近い。
そして、日本海や東シナ海とよばれる海域を囲むような位置にある。
海と共に育った旭日組の若衆は、海の上では滅法強い。
中共組の船を東シナ海に封じ込め、日本海や、日本島近海には一歩も入れないこと。これが旭日組の役割だ。
薄暗い雪洞の火が揺らぐ。
二人が半紙に盃を包み、懐にしまうのを見届ける。
そしてそれまで一言も発していなかった檀法組長が初めて口を開く。
厳かに、兄としての言葉を発する。
「──今日から、おどれらはワシの舎弟じゃ。
ワシの背中ぁ見て、筋通して生きていけや。
ええか、盃交わしたら、命も運も、全部ワシが預かるけぇのォ。」
靖辺と久根は、深々と頭を下げる。
「兄貴。よろしくお願いします。
今日からワシは、命張ってでも兄ィの玄関口、守らせてもらいますけぇ。」
久根は覚悟の決まった面構えで宣言する。
大韓組は強い。この世界列島でも10本の指に入るほどの武闘派ヤクザだ。
それでも、中共組や、中共組と組んだ白頭組には勝ち目がない。
抗争が起きた際には、亜米利加組に駆け付けてもらい、共に戦う。その保証がなければ、大韓組は滅ぶ。
…これは大韓組を存続させ、次代に引き継ぐために、絶対に必要な盃だ。
「兄貴。よろしくお願いします。
出入りン時でも、シノギでも、兄ィの名に恥じんよう、身体張らしてもらいますけぇ。」
靖辺もまた、芯の通った声で宣言する。
韓半島。これはいざという時中共組を叩くための玄関口であるのと同時に、旭日組の喉に突き付けられたドスでもある。
鉄壁の守りを誇る海で隔てられてはいるが、距離が近すぎるのだ。
ここが中共組や白頭組など、敵対組織の手に堕ちれば、旭日組に明日は来ない。
…この盃は、旭日組にとっての『緩衝地帯』を守り、そして……。
「うむ、おどれらの心意気、確かに受け取った。…頼もしいのォ、わしゃええ舎弟を持ったようじゃけぇ。」
檀法組長は二人の言葉に、静かに頷く。
旭日組のシマは丁度、ユーラシア本州に太平洋側で蓋をする位置にある。
そしてこれは実際、中共組が太平洋に出てくるのを防ぐ蓋として機能する。
ここがもし中共組の手に堕ちれば、この蓋は逆に亜米利加組を太平洋に封じ込める蓋として機能する。
それだけではない。
今は太平洋の西の終わりを亜米利加組、東の終わりをその舎弟である旭日組が押さえており、東西両方から太平洋を囲う形となっている。
いわば、太平洋は亜米利加組にとって、『ワシらの海』だ。
東の終わりが中共組の手に墜ちるということは、太平洋は『ワシらの海』ではなくなり、亜米利加組と中共組が覇権をかけて争う戦場になる。
亜米利加組なら今の中共組に負けることはないが、旭日組のシマが中共組の手に堕ちれば、中共組は『シーパワーの力を得たランドパワー』に変貌する。
こうなると、流石の亜米利加組でも手に負えない。
兄弟盃を見届けた小浜組長が言葉を発する。
「おどれら、しっかり励めや。…ワシらのシノギもおどれらにかかっとるけぇのォ。」
そして、亜米利加組も、旭日組も、的屋を源流とするシーパワー系暴力団だ。そのシノギを海に依存する。
そしてその海が閉ざされるとき、シーパワーのシノギも閉ざされる。
亜米利加組も、旭日組も、シノギに行き詰ってたちどころに経済の息の根が止まる。
この盃は、亜米利加組と旭日組にとって、自分たちのシマだけでなく、そのシノギを守り抜くための盃でもあるのだ。
「ほいじゃ、行くで。」
小浜が座布団を立つと、襖が静かに開かれる。
女中と支配人が見送る中、4人はそれぞれの車に乗り込んだ。




