弐拾陸 白頭組と中共組①
パァン!ガシャーン!
明けの明星が空に光り、曙光に包まれた街に、銃声が響く。
けたたましい音を立てて、旭日組の事務所の窓ガラスが割れる。
ワンワンと番犬が吠える中、黒塗りの高級車がスキール音を響かせながら急発進する。
…そのトランクには、白頭組のフロント企業が生産する高級車『光明星』のエンブレムが朝日を反射している。
「ったく…また白頭組んガラス割りかいのォ…。
…ほれ、掃除しとけや、わりゃあ。」
呆れたような顔で、陌四代目旭日組の組長 鷹居 真之が若衆に命じる。
箒と塵取りを手に持った若衆が、床に砕け散ったガラスの破片を掃き集める。
池の鯉が血を流し、腹を天に向けてプカプカと浮いている。
…流れ弾に当たったんかいのォ…まっこと迷惑な話じゃ。
鷹居 は池に手を伸ばし、鯉の死体を拾い上げる。
「こいつも組ゴトでタマぁ取られたんじゃけぇのォ…組葬にしてやらにゃあ、いけんじゃろうが。」
鷹居 は軽口をたたいて見せたが、その心中は穏やかではない。
…弾に当たったのが池の鯉だったので今は笑っていられる。
しかし万が一、組員や、カタギ衆に当たってしまうようなことがあれば…。
鷹居 は立派な額に入れられ、事務所に掲げられた達筆な墨蹟に目をやる。
かつての旭日組の組長の書で、『専守防衛』としたためられている。
そして鷹居はその額縁から目をそらすと、ため息をついた。
…チャカ、増やしたらないかんかのォ…。
鷹居は組長室に戻ると、亜米利加組から取り寄せたチャカのカタログに手をかけた。
*****
「あ~に~きっ!大ごとじゃけぇの!まっこと大ごとじゃあ!
…何とっ!ゼニがなぁなったんじゃぁ!」
中共組の近平組長は、超絶面倒くさそうにこめかみを押さえている。
…あの馬鹿野郎、また来やがったか…。
ウンザリしながら振り返った近平組長は、特徴的な髪形の極道者──参代目白頭組・金正 恩次郎組長に言葉を返す。
今日の金正組長は漆黒のスーツを身に纏っているが、その下にはそれは見事な彫り物を入れていた。
背の中央には、黒雲を突き破る白頭山。
その頂には核の閃光を思わせる青白い稲妻が走り、周囲には咆哮する虎と噛みつく鷹が絡み合う。
主体と先軍を象徴するようなその勇ましい彫り物は、白頭組の組員だけでなく、カタギ衆からも畏敬の念と共に称えられ、信仰や崇拝に近い感情を持って崇められていた。
「ったく。テメェ、最近は露西亜組とのシノギが随分調子いいって話じゃねぇか。
いつまでたっても兄弟分にタカりやがって!いい加減にしろよこの馬鹿野郎!」
近平の言葉はまた刺々しく、傍から聞いていたら剣呑に追い払っているようにしか聞こえない。
「そげなこと言っちゃって~。……あ~、こげん冷てぇ兄貴を持ったワシは可哀そうじゃァ。不幸の星の下に産まれちまった、可哀そうな極道じゃァ。
もう大韓組と盃でも結ぶしかないかのォ。」
大袈裟に目を覆って見せるが、チラッと手の隙間からこちら側を覗いて見せる。
…畜生、テメェみてぇな穀潰し、向こうさんにしても願い下げじゃボケぇ!
近平組長は金正にも聞こえるように大きく舌打ちする。
「今回っきりだぞ、あァ?
…んで、いくら要るんだ、馬鹿野郎!」
目の玉の飛び出るような額に近平が閉口する。
クロコ革の大袈裟な財布を出した近平からカネを受け取った金正は、上機嫌に中共組の組長室を後にする。
ハァ…と大きくため息をついた近平組長。誰にともなく、ぼやく。
「ったく…これじゃァどっちが兄貴分か分かんねぇや。」
すると先ほど部屋を出ていった金正が再び、ノックもなく組長室の扉を開ける。
「大変じゃい兄貴ィ!…さっき言い忘れとったが、ウチの組、もう油がなぁなっとったんじゃぁ!
あっあ~!冬が来るんに、わしゃどうしたらええんじゃぁ~!」
どこまで図々しいんだこの野郎…!
「テメェ、この野郎!旭日組にちょっかい出してる暇があるなら、テメェのシノギをキッチリ回しやがれ!
…で、どんだけ要るんだよクソッ!」
中共組にとって、白頭組は九分一の舎弟盃を持ちながら、問題ばかり起こす厄介な弟分だ。
…しかし同時に、絶対に見捨てることが出来ない相手でもある。
「いんや~、いつも助かるわ、兄貴。
あと腹ぁ減ったけェ、飯も食わしてつかぁさい!」
近平組長は、この図々しい弟分にもはや何も言う気になれなかった。
近所の中華料理屋、『大躍進』から一番安いチャーハンの出前を取り寄せる。
「ごっつぁんです、兄貴!これも一宿一飯の恩義じゃけェ!」と調子の良いことを言い、ムシャムシャとチャーハンを食べ終わった金正を、近平組長は鬱陶しそうに追い払った。
…この弟分は、こうやって小遣いをやり、飯を食わせてやらないと、たちどころに行き倒れて組は解散となる。
その事態を、近平組長は何より恐れている。
ユーラシア本州の中共組のシマ。
そこからちょこんと突き出た、『韓半島』と呼ばれる地域がある。
ここの北側半分が白頭組、南側半分が大韓組のシマだ。
大韓組は、亜米利加組と兄弟の盃を結ぶ組だ。
仮に白頭組が倒れ、このシマを大韓組が押さえると…中共組は亜米利加組の兄弟と背中合わせになる。
そして仮に直接中共組が押さえたとしても、亜米利加組と対峙する場所が少し南にズレるだけで、結果は何も変わらない。
中共組は筋金入りのランドパワー。
九分一の盃を結ぶ舎弟の組、『緩衝地帯』無しで敵対する組と隣り合うことは、悪夢でしかない。
そしてそれがないということは将来、今の露西亜組と宇克羅組の抗争のように、血で血を洗う抗争に陥ることが約束されるようなものである。
とは言え金正の素行不良は目に余る。
極道の世界、誰彼構わず喧嘩を吹っ掛けていては、詰める指が何本あっても足りない。
まして白頭組は中共組の『緩衝地帯』。
敵対する組との小競り合いを防ぐことがその役割なのだが…白頭組はそれどころか近隣の組とひっきりなしに揉め事を起こし、そのたびに中共組がもみ消しに走らされていた。
…頼む。あの馬鹿、どこに向かったのか知らんが、これ以上揉め事を起こさず、大人しくしてくれ。
そんな近平の儚い祈りは、天には届かなかった。




