弐拾伍 印度組との対立④
かくして、亜米利加組の仲裁により、印度組と巴基斯担組の手打ち盃が交わされることとなった。
高級料亭『賀寧庵』。門の外には、黒塗りの高級車がずらりと並び、黒スーツの男が横一列に並んでいる。
薄暗い廊下を進んだ先にある奥座敷。
床の間には「和合神」の書幅が掛けられ、その下には背中合わせの刀が二振り、白扇が交差するように置かれている。
中央には屏風が立てられ、左右に向鯛が背中合わせに据えられ、三宝の上には二つの盃と盛り塩が二か所。
上手には媒酌人と見届人、両脇には双方の立会人が座り、下手には仲裁人である亜米利加組・鳴門組長が正座している。
屏風の向こうには、印度組・茂出組長、巴基斯担組・紗里富組長がそれぞれの組の幹部を引き連れ、控えている。
鳴門組長が軽く顎を引き、若衆に合図を送る。
屏風が静かに取り払われ、両者が初めて視線を交わす。
刀は腹合わせに直され、水引で固く縛られる。
向鯛も腹合わせにされ、場の空気が一段と張り詰める。
鳴門組長が低く、しかし通る声で口を開く。
「本日ここに、印度組と巴基斯担組、互いの血を止め、手打ちの盃を交わす。
この場においては、過ぎたことは水に流し、今後は互いのシマを荒らさぬこと──
これが亜米利加組・鳴門の顔にかけての約束じゃけぇの。」
茂出組長は盃を手に取る。
しかしその視線は、刺すように冷たい。
出しゃばったマネしくさりやがって…そう思いながら、恨めしい目を鳴門組長に向ける。
対する紗里富組長も盃を手にする。
茂出とは対照的な、安堵の表情を浮かべているように見える。
鳴門組長が徳利を取り、茂出組長の盃に酒を注ぐ。
茂出が一息に呷り、盃を半紙に包んで懐にしまうと、鳴門が紗里富の盃にも酒を注ぐ。
紗里富もまた一息に呷る。
最後に鳴門自身が盃を取り、二人の顔を順に見やりながら、ゆっくりと酒を口に含む。
そして、鳴門組長が両手を打ち鳴らす。
乾いた音が座敷に響き、場の緊張がわずかに解ける。
鳴門組長が和解状を読み上げ、箸を二つに折り、神酒を箸と鯛に注ぐ。
そして手締めが打たれ、奉書に包まれた鯛と箸は、後に川へ流される手筈となった。
鳴門組長が締めの言葉を放つ。
「今日の盃は、亜米利加組が預かった。
これを破るっちゅうことは、ウチに刃向かうっちゅうことじゃけぇ、よう覚えとけや。」
あァ?何を偉そうに!
茂出は危なく、懐の匕首を抜き放つところだった。
『樫見街の筋は、印度組と巴基斯担組でナシを付ける。他の組は口出し無用。』
これは印度組と巴基斯担組との古い約束だ。そして樫見町について他所の組が口を出さないことは、任侠世界の暗黙の掟でもある。
今回の手打ち盃は、儀礼上、亜米利加組に仲介人を依頼しているが、亜米利加組にはそこまで言う資格はない。本来であれば。
必死に怒りをかみ殺している茂出と、紗里富は同時に深く頭を下げる。
こうして、アトミックチャカを互いに向けて弾き合う事態は回避された。
…しかし……。
*****
「ワレぇ!おまん、ウチん代紋に泥ば塗る気か…あァ!?」
亜米利加組の本家事務所の電話口。
その受話器の向こうでがなり立てているのは、印度組の幹部だ。
「テメぇんとこの親分…耄碌しよったっちゃなかか!あン舐め腐った動画ば世間にさらすっち、どげん腹ん中しとるとや…なぁ〜ん舐めた真似ばしよって、許さんばい!」
おやっさん…なんでアンタはこう要らんことをしよるんじゃ…
丸古は心の中で鳴門を呪いながら、平謝りに謝り倒す。
印度組の怒りの発端…それはあの手打ち盃の後に『実話任侠アメリカンチャンネル』に投稿された鳴門組長の動画だ。
『ワレェ──聞いとるか!濃辺寺のクソ坊主共!今日はのォ、ええ話があるんじゃ。
ワシがのォ、印度組と巴基斯担組のバカタレ共に直々に言うて聞かしてのォ、あン阿呆共のドンパチを止めたったんじゃけェ!…このワシがのォ!!』
画面の中の鳴門組長が満足げに啖呵を切る。
「ワレぇ!鳴門んボンクラによう聞かせェ!
こげん喧嘩ぁ、巴基斯担組ん外道共が樫見町にカチ込んできたっちゃが、そもそもの始まりばい!
それもワシら極道やのうて、チャカも持っとらんカタギに手ぇ掛けよってからに…!
よりにもよって、ワシら印度組と、カタギにしか手ぇ出せん臆病者ん巴基斯担組ば同列に並べよるっち…舐めんのも大概にせんかコラぁ!」
電話口の印度組幹部の怒りは収まらない。
丸古はひたすらに謝り倒す。
『手打ち盃の席じゃのォ…あん野郎共、ヤキ入れられた犬っころみてぇにシケたツラぁさらして、小ぃそうなっとるところにのォ、ワシぁこう言うてやったんじゃ──
”おう、おどれら…今日ここで盃交わすっちゅうことぁ、二度とシマ荒らさんっちゅう誓いやけぇのォ。
もし破ったら…ワシが直々にケジメつけに行くけぇ、よう肝に銘じとけや”…となァ。
そいから神妙なツラしとる連中にのォ、ワシが直々に盃を下ろしてやったんじゃ。
…そうよ、このワシがのォ!』
鳴門組長は得意そうに、画面の中で胸を張る。
「おまんら、この渡世稼業に身ィ置いとるんなら、『樫見町ん掟』くらい知っとるやろが…?
任侠ん掟ば破るっちゅうことが、どげんこつか分かっとるとや?
どう落とし前ば付けてくるっち言うとや…あァ!?」
丸古はひたすらに詫びるが、先方の怒りは収まらない。
スピーカーが割れんばかりの剣幕で、印度組の幹部は怒声を上げ続ける。
『せや、濃辺寺の坊主ども!巴基斯担組から平和賞の推薦状ぁ届いとるんじゃろうが?
あれをよう読んでのォ…まあ、よう考えてみんさいや。
ワシがおるけぇ、この世界列島は平和なんじゃけぇのォ!』
画面の中の鳴門組長が物欲しそうな顔でこちらを見ている。
「…おまん、何やアレは。巴基斯担組と裏盃でも交わしよるっちゃなかか…あァ!?
そういやきさんら、『桑道会』っち言いよったなァ?
『桑道会』が何じゃい! 盃ば水にされてぇんかコラぁ!
極道んなら筋ば通さんかい、ボケがッ!」
*****
──という数か月前の一連のやり取りを、丸古は苦々しく思い出す。
……あぁ~~!どうすりゃあええんじゃぁああ!
丸古は受話器を握りしめて頭を掻きむしる。
先日の巴基斯担組との手打ち盃の後の鳴門組長の動画については、茂出組長が「まぁ、あちらさんもカタギ衆ん前じゃ、ちゃんとええ顔ば見せとかなならんばい…分かっとろうがのォ。」と激昂する印度組の幹部をいなし、丸く収めてくれた。
…今回も、茂出の親分んとこに直で詫び入れに行こぉや。
指の一本も詰めりゃあ、もしかしたら許してもろぉせるかもしれんけぇのォ…。
「あのぉ…このたびは、ほんまに失礼な物言いになったかもしれんけぇのォ。
じゃがのォ、亜米利加組は決して印度組さんと揉め事を起こそうっちゅう腹じゃあ無ぁてのォ…。
ひとまず、茂出の親分さんと話をさせてもらえんじゃろうかのォ…。」
丸古は極力丁寧に、誠意を持って茂出組長との面会を申し入れる。
印度組の幹部は鼻で笑う。
「はン…何ば調子のええことば抜かしよっとか。
よかか、おまんに言うとくばい──ウチん親父ぁ、鳴門んバカタレの目ん黒かうちは、亜米利加組とは話ばせんっち言うとるとや!
腹でも切って出直してこんかい、ボケがぁ!」
丸古は、目の前が真っ暗になり、ヘナヘナとその場にへたり込んだ。
……もはや、亜米利加組と印度組との溝は、決定的なものとなった。




