弐拾弐 印度組との対立①
「ワレェ──聞いとるか!ウチのシマでシノギしよる売人ども!
おどれら、相互ミカジメ、誤魔化しちょらんじゃろうのォ?」
『実話任侠アメリカンチャンネル』のカメラを向けられた鳴門組長は、いつものように「ワレェ、聞いとるか!」の啖呵を切る。
「ええか、ところでじゃ、おどれらの中で露西亜組とシノギ張っとるバカタレはおらんかのォ?
露西亜組はのォ、カタギに手ェ出しよる腐れ外道じゃ!
極道がカタギに手ェ上げたら終わりじゃがな。カタギ衆の一宿一飯の恩義に報いて体張るのが極道じゃろうがッ!
…ええか、露西亜組はもちろん、露西亜組とシノギ張っとる組も等しく外道じゃ!
そがぁな組とシノギ張っとる売人は、ミカジメ5割じゃ!」
カメラマンの後ろで、須琴部は頭をかきむしっている。
……おやっさん、そこでやめて…!あそこだけは…あそこだけはやめてつかぁさい!
「例えば印度組じゃ!ええか、印度組が露西亜組からガスやら油やら買いよるけェ、露西亜組のゼニが回るんじゃ!
よう聞かんかい売人ども!印度組からのブツは…ミカジメ5割じゃけェの!耳ぃ揃えて払えやバカタレ!」
あ~~~!言ってもうた!
須琴部はガンガンと壁に頭を打ち付けている。
……おやっさん、そがぁなモン、印度組には大した痛手じゃなァ。
それよか、ワシらが…あとから致命傷受けるのは、ワシらじゃけェ!
*****
物語は数年前に遡る。
印度組の組長、茂出 慣均。
──三叉槍を構え仁王立ちする毘沙門天。
燃えるような橙と深緑の波が渦を巻く大平原に勇ましく立つ戦神のその背後には雄大な大河と天を衝く峰々。
そして羽を広げた孔雀が天を駆けていく。
変化を受け入れ、不屈の力で困難に立ち向かう覚悟を表した、見事な彫り物をその背中に入れた南亜地方の雄たる渡世人だ。
茂出組長はこの日、港町の料亭『太平洋』で旭日組の靖辺組長と密会していた。
障子の向こうには、波の音と遠くの汽笛が響く。
「……茂出親分──どがいに思うとっちゃろか。
このまんま中共組ん好き放題させよったら、ウチらのシノギどころか、シマごと根こそぎ持ってかれてしまうけェの。
……あン外道ん奴ら、『覇権国家』になろうっちゅうて、腹括っとるけェなァ。」
人払いをした靖辺組長は、真剣な顔で茂出組長に問いかける。
──近年の中共組の動向に、靖辺組長は危機感を持っていた。
数十年前は、中共組は、碌なシノギも無い弱小ランドパワー任侠組織だった。
当時、蘇連組が裏社会で幅を利かせており、亜米利加組と抗争状態にあった。
亜米利加組は西では那統会の兄弟と共に蘇連組と対峙して陸に封じ込めていたが、同時に東では旭日組と大韓組との盃で蘇連組が太平洋に出てこないよう睨みを利かせていた。
そして東の守りを強化すべく、当時の亜米利加組の組長、九尊が中共組と盃を結び、蘇連組包囲網に引き入れた。
中共組を引き入れた亜米利加組とその盃兄弟は、中共組にゼニとノウハウをぶち込み、フロント企業を育て上げた。
亜米利加組やその兄弟のシマでのシノギを許された中共組は、そこで莫大な利益を上げ、みるみると巨大な組織に成長していった。
当初亜米利加組は、中共組の成長を歓迎していたが…今はそれが後悔に変わりつつあった。
「今の中共組っちゅうんはのォ……もう昔の中共組じゃあありゃあせんけぇの。
あいつらぁ、所詮は生まれつきのランドパワーじゃけェ。
……先代がの、あん時にあン連中と盃交わしたんは──判断、間違うとったんじゃなかろうかのォ。」
上等な料理が並んでいるが、靖辺組長はそこに箸を付けることもせず、枡に注がれた吟醸酒を舐めている。
──ヤクザの世界では、一宿一飯の恩義というものがある。
たとえ一晩の宿と一度の飯でも世話になったら、その恩は生涯忘れず、いざという時は命懸けで報いる。これが渡世人の義理と仁義の証明でもあった。
亜米利加組が与えた恩義に報い、中共組も亜米利加組のよき兄弟として義理を返すことを、亜米利加組は期待していた。
しかし…亜米利加組は忘れていた。中共組はランドパワーだ。周りを浸食し、膨張する本能を持つ。
力を付けた中共組が始めたこと…それは膨張だった。
それも陸の上だけではない。海に向かってもだ。
「靖辺の…おまんの話ぁ、分からんでもなかばい。
…中共組ん外道ん奴らとは、ワシも挨拶代わりにチャカば弾く仲たい。
あげん連中ん小舟が、ワシんシマん周りばウロウロしよって、まっことしぇからしかばい。
おまんと組めるっちゅうなら心強かばってん…盃はナシたい。
わしらは五分ん兄弟にはならん。義理は通すばってん、掟まで縛られる盃は交わさんばい。
喧嘩は自分ん筋で動く──それが南亜ん巨象たる、印度組ん矜持たい。」
茂出の目に揺るぎはない。
印度組はかつて英吉利組の舎弟だったことがある。
その時の辛酸から、他所の組との盃は交わさず、一本独鈷を貫くことが印度組の任侠道の基本だ。
靖辺組長は枡の酒を飲み干すと、ニコリと微笑んで見せる。
「ええ。ウチらぁ無理強いはせんで。
じゃがの、中共組が天下獲ったら、あげぇな連中はそんなぁに容赦なしで無理強いかけてくるけぇのォ。
一本独鈷で通すそんなぁの漢気には惚れとるんじゃが……そいだけで中共組に立ち向かえるんかのォ。
……この『桑道会』っちゅうんはなァ、そんなぁに無理強いさせんためにあるんじゃけぇ。」
桑道会…それは亜米利加組、豪州組、旭日組と、太平洋を取り囲むシーパワー組織が盃を交わして誕生した任侠連合だ。
その目的はただ一つ。この海域に中共組が入ってくることを阻止することだ。
これら環太平洋シーパワー各組の力の源泉…それは、この海域の覇権だ。
シノギの基盤が海なので、もしもこの海域を中共組に明け渡し、海の覇権を失ったときには、これらの組のシノギはたちどころに行き詰る。
…それだけではない。
その試みが成功すると、中共組は「シーパワーの力を持つランドパワー」という手の付けられない組織になる。
ハートランドにも近く、リムランド蚕食を続ける中共組は、早晩『覇権国家』になるだろう。
床の間の三宝に鎮座する神酒と塩、昆布。
靖辺組長は静かに立ち上がり、羽織の裾を正すと、両手で神酒の瓶子を抱えた。
座敷の空気が張り詰める。
「そんなぁのことはよう分かっとるけぇの。五分の兄弟盃なんぞ、ハナから期待しとらんのんじゃ。
一分と一分──それでええんじゃけぇ。
互いの掟はきっちり尊重して、困った時ぁ力貸し合う。
ほんで、中共組がの、自由で、開かれた、わしらの海……『インド太平洋』を荒らしに来た時ゃあ、互いに背中預け合える──そういう仲でおりたいんじゃけぇの。」
靖辺は盃を手に取ると、神酒をほんの一筋、静かに注ぐ。
茂出は逡巡する。
仮にこの旭日組と、亜米利加組・豪州組で太平洋から中共組を締め出したとする。
すると中共組が出てくるところは…印度組の庭先の海、インド洋だ。
これでは中共組が『覇権国家』になることを防ぐ桑道会の努力も水の泡となるどころか、一番困るのは印度組だ。
印度組の海上鉄砲玉はまだ育っていない。中共組を印度組だけで抑え込むのは不可能だ。
そして中共組が『覇権国家』となれば、陸の喧嘩でも…。
茂出は正座のまま、ゆっくりと盃を受け取る。
その手は揺れず、目は靖辺を真っ直ぐに射抜く。
「しゃあなかばってん、一分と一分やったら、おまんらと盃ば交わしちゃらんこともなかばい。
…中共組んごた外道ん連中は、ワシらにとっちゃあ頭ん痛か話たいけんなぁ。」
二人は同時に盃を傾け、酒を喉に流し込む。
その瞬間、障子の向こうで汽笛が鳴り、港の波がざわめいた。
こうして、桑道会──中共組を『インド太平洋』から締め出す任侠連合──は、静かに産声を上げた。
*****
須琴部はまだ、ガンガンと壁に頭を打ち付けている。
…あぁ~~!あれで茂出の親分がヘソ曲げたら、桑道会はどうなるんじゃぁ~!
──印度組の桑道会への参加。これは靖辺組長が中心となり、大変な努力を払ってようやくナシを付けたものだった。
印度組が頭を下げて盃を下されたのではない。
額は割れ、血がにじみ出ている。
…神様、仏様、茂出の親分!頼みますけェ、大目に見てつかぁさい!
──ミカジメを吊り上げたところで、そもそも亜米利加組とのシノギに依存していない印度組が受けるダメージはたかが知れている。
そして露西亜組にとっても、印度組だけがガスや油のシノギの相手という訳ではない。
亜米利加組の得るものは何もない。
…おやっさん……ほんま、アンタぁ何がやりたいんじゃぁ…。
逆に亜米利加組が失うものは計り知れない。
もしも亜米利加組を敵と認定した印度組が露西亜組や、こともあろうに中共組と裏盃を交わす事態になれば…その失点は、取り返しがつかない。
須琴部の脳裏には、高笑いをする中共組の近平組長の顔が浮かんでいた。




