弐拾壱 裏島への不満
「ワレェ!こりゃ一体どがぁな了見じゃボケぇ!おどれ、覚悟はできとるんじゃろうなァ!」
怒声をあげる鳴門組長の前に正座させられているのは、『実話任侠アメリカン』の記者だ。
その周りには、亜米利加組の強面の組員が取り囲んで無言の圧をかけている。
「なんじゃいこの記事ィ!これじゃワシが裏島に言いくるめられて、下手ぁ打ったみたいじゃろうがい!」
丸められて皺くちゃにされた『実話任侠アメリカン』特集号を、震え上がっている記者の前に叩きつける。
「ヒィッ!」
記者は素っ頓狂な声をあげ、気を失ってうつぶせに倒れる。
「ありゃ?…もうええ。おどれら、このバカタレを門の前に放り出しとけ!」
気を失った記者が引きずられていった後には、半分破れた『実話任侠アメリカン』が落ちている。
…そこには、『……ワシが手ェ打たせちゃるけェ。そう豪語していた鳴門組長だったが、露西亜組の裏島組長の譲歩は引き出せなかったようだ。宇克羅組との抗争は、まだ終結する気配がない』と書かれたページが開かれている。
先日の露西亜組との麻雀対局。
宇克羅組と露西亜組の抗争が構造的な物であり、対話で解決することがないことを理解する層からは「やっぱりな」という声が聞かれ、MAGA聯合など鳴門組長が露西亜組を言い伏せることを信じて疑わなかった層からは失望の声が聞こえてきた。
裏島組長が得たものは何もなく、グダグダなまま対局を終わらせた那統会の勝利となったわけだが、逆に鳴門組長は貫目が下がり、その面では明確な敗者となった。
先ほどツメられていた実話雑誌の記者はそのとばっちりを受けたわけだが…この日以来、鳴門組長は裏島組長に対し、逆恨みに近い感情を抱くようになった。
「ったく裏島のバカタレがぁ!ワシがあれだけ下手に出とるっちゅうのに、なんじゃぁあの態度はぁ!亜米利加組の代紋、舐めくさっとんのかいのォ。」
亜米利加組本家組事務所の一室。紋付袴の鳴門組長と、宇克羅組の代紋の入った羽織を身に着けた宇呂富組長が白大理石の長机に向き合っている。
部屋の隅にはスキンヘッドの男──『実話任侠アメリカン』の記者がペンを走らせている。
……頭を丸め、上司と菓子折りを持って詫びに来たら、許された。
「全くです、親分。ここらで一発、ヤキ入れてやりましょう。
…ところで親分、裏島の馬鹿野郎でも一発で指詰めさして手ェ打たせる方法、一つありますぜ。」
コトリとビールの入ったグラスを置くと、宇呂富組長は煙草を咥える。
先端の火が赤みを増す。
「ほう…そりゃ何じゃい。言うてみぃ、宇呂富。」
ニヤリと笑った宇呂富は、席を立つと鳴門組長の前に移動し、土下座をする。
「…親分、俺に、那統会の盃を下さい。」
…くっ、やはり来たか。
丸古は身構える。
今の露西亜組は、疲弊している。連日の宇克羅組との極限の戦いで、もはやチャカも兵隊も底をつきかけている。
露西亜組が弱体化している今、那統会全体を敵に回す力は残っていない。
那統会との盃は、パワーバランスの再構成という構造の転換を巻き起こし、露西亜組が手打ちに動く可能性がある。
しかし……。
「…ツラぁ上げんかい、バカタレ!」
鳴門組長が憮然とした顔で怒鳴りつける。
「ワシらまでおどれらのドンパチに巻き込むつもりかい!あァ?」
…そうです、それでええんです、おやっさん。丸古は心の中で頷く。
那統会との盃。それはつまり、宇克羅組が兄弟になるということ。
兄弟の抗争には、自分事として加勢する。それが那統会の掟だ。当然、亜米利加組も戦闘に巻き込まれる。
それだけではない。露西亜組は最終兵器、「アトミックチャカ」を隠し持っている。
これは街一つ消し去る力を秘めた終末のチャカで、互いの組がこれを撃ち合う事態になれば、世界列島は終焉を迎える。
そして盃によりパワーバランスが崩れた時…ヤケクソになった露西亜組がこれをハジく可能性がある。
これは絶対に避けなければならず、これが那統会が宇克羅組と盃を結べない最大の理由でもある。
「ええか、ワシの目の黒いうちは絶対におどれに那統会の盃を下ろすことはないけェの。
間違うんじゃなァぞ宇呂富ィ!」
…あ~!言いすぎです、おやっさん!
極道は吐いた唾は飲めない。一度言ったことは確実に実行しなければならず、これはつまり、「宇克羅組を那統会に入れることはない」という言質を露西亜組に与えたようなものだ。
これはこれで露西亜組に得点を与えたことになり、逆説的に那統会の失点だ。兄弟の亀裂が深まることになる。
…どがぁしよぉかのォ……。後ろにおる『実話任侠アメリカン』の記者ぁ、山ん中に埋めてまおうかいのォ……。
そんな物騒なことを丸古が考えていたところ、無言で宇呂富が立ち上がり、席に戻る。
そしてコップに残っていたビールを一口に煽ると、煙草を取り出す。
「まぁ、アンタがそう言うのも分かりますよ。俺も、無理筋を通すつもりは無ェ。」
部屋住みが煙草に火をつけ、コップにビールをつぎ足す。
「だけど…じゃあどうやってこの喧嘩を終わらせるんです?喧嘩が終わった後は?露西亜組はランドパワーですよ。また力を付けてカチ込んで来たら?また同じことを繰り返すんです?」
ビールをすすりながら、少し諦めたように宇呂富組長が畳みかける。
「そ、そぎゃぁなこつよぉ…」
サラサラと、『実話任侠アメリカン』の記者の走らせるペンの音が響く。
「ええか、さっきも言うたがのォ!おどれを那統会にゃ入れんけぇのォ!
じゃがのォ、亜米利加組で見回りぐれぇはやっちゃってもええわい。
…ほいじゃがまずは手打ちじゃぁ!ワシがナシ付けちゃるけぇ、おどれも意地張っとらんと、シマの一つや二つぐれぇくれてやらんかいのォ!」
先日の怒声飛び交うナシ付けを思い出し、丸古は痛む頭をさする。
…その時、事務所の奥からしずしずと歩く人影が近づいてくる。
「おや、アンタ宇呂富の親分だね?…大変な時分によく来たねェ。
ウチの人が失礼なこと言っちゃったかもしれないけど、まあ気にしないで、くつろいでいってちょうだいな。」
薄紅色の着物に身を包んだ鳴門組長の正妻、米良尼の姐御が出てきて立ち話を始めた。
鳴門組長はバツが悪そうにしている。
米良尼の姐御は人当たりの良い物言いで、険悪だった掛け合いの雰囲気を丸く収めてしまった。
「…ワレェ、ちいとこっちに来んかいのォ。」
丸古は、『実話任侠アメリカン』の記者の首根っこをひっつかんで別室に連れていく。
驚いて緊張した面持ちの記者は、上質なソファに座らされて恐縮している。
丸古は壁にかけてあった日本刀を手に取ると、鞘を抜き放つ。
それで机の上の原稿をツンツン突きながら、真っ青な顔でガタガタ震えている記者に言った。
「なぁ、おどれぇ……さっき書いとった原稿、ちぃと見せんかいのォ。ワシが直々に点数付けちゃるけぇ。」
……丸古の検閲を受けた『実話任侠アメリカン』は、喧嘩寸前の掛け合いなど不穏な内容をバッサリとカットされ、当たり障りのない記事が掲載された。




