拾捌 和地関組の義理かけ
「ねぇ、アンタ。ちょっとこれ見なよ。
…酷いねぇ。これみんな、カタギの人達だわさ。」
紫色の着物に山吹色の帯を回した鳴門組長の正妻、鳴門 米良尼が『実話任侠ユーラシア』を開き、若頭の萬洲に声をかける。
「どうされました、姐御?」
以色列組の客人を送り出した萬洲若頭は、足を止める。
「どうもこうもないよ。見てごらんなさいよコレ。…惨いねえ、年端もいかない子供じゃないか。
ねえ、アンタ。ちょっとあの人に言ってやってごらんなさいよ。」
米良尼姐御が差し出した実話雑誌の見出し記事。
倒壊した民家。焼け出され、家の前で途方に暮れる老夫婦。その前で慟哭する幼子。
記事によるとその子の母はこの家の下敷きになり絶命。
父は露西亜組との戦闘で壮絶な抗争死を遂げた、宇克羅組の組員だという。
「露西亜組の裏島。アイツは極道の風上にも置けない外道だよ。…カタギに手ェ出すなんて。」
そこへ鳴門組長が通りかかる。
「あっ、アンタ。…ねえ、コレ、何とかできないのかい?」
米良尼姐御に呼び止められた鳴門組長は、渋い顔をする。
「米良尼よぉ…裏島の親父ぁ、まぁワシの兄弟筋じゃけぇのぉ…ほいじゃがなぁ…。」
鳴門組長の歯切れは悪い。
…先日、宇克羅組の宇呂富組長と喧々諤々の喧嘩会談を行い、宇克羅組はもちろん、那統会の面々とも気まずい関係になっている。
「何だい、女々しいねぇ。アンタそれでもこの亜米利加組の組長かい?
裏島が何だい。アンタ兄弟なら、ビシっと言ってやればいいじゃないか。
宇呂富の親分さんとは話はしてんのかい?」
うぐっ!と鳴門組長は唸り声を発する。
…この亜米利加組において、鳴門組長に逆らえる者は存在しない。そんなことをしようものなら、指を詰めさせられ、破門される。
しかし、米良尼の姐御だけは別格だ。
(なぁ、おい、萬洲!ちぃとこっち来んかい、ワレぇ!)
鳴門組長は小声で萬洲若頭を呼ぶ。
(はい、おやっさん…。言われたいことぁよう分かっとりますけぇの…。じゃけんど…)
あれ以来、鳴門組長と宇呂富組長は絶交状態だ。
何か、キッカケがないことには、両者の溝が埋まることはない。
(バカタレがっ! そがぁな時でも何とかするんが、おどれらの仕事じゃろうがッ!
…ワシのメンツも潰れんようにして、向こうさんともナシ付けられる場ぁ、はよ用意せぇやコラぁ!)
……うがぁぁぁ!
ここに鳴門組長本人が居なかったら、萬洲若頭はこう叫んでいた。
ヤクザのメンツは命より重い。
そして先日アレだけやり合った二人だ。その溝は修復不能に思えた。
しかしその時…バタバタと広大な廊下を駆ける音が響く。
「おやっさん、大ごとじゃぁ!」
息を切らしながら丸古若頭代行が駆け込んでくる。
「和地関組の風蘭組長が…亡なられたんじゃけぇ!」
*****
極道者と懲役は、切っても切れない関係にある。
長い懲役は、極道者のそれまでの生涯を見直すキッカケとなる。
懲役を勤める極道者の下には、救いを提供する教誨師と呼ばれる渡世人が訪れる。
教誨師は己の奉ずる任侠道を説き、それに悔悛した極道者はその教誨師と盃を結ぶことがある。
この教誨師の説く任侠道は道徳や衆生救済を軸としたもので、受刑者の更生の一助となるため、刑務官もこの教誨師の訪れを歓迎している節がある。
その教誨師は、主に基督組系と仏道会系に分かれるが、極道者には基督組系が人気だ。
仏道会系の教誨師の説く任侠道は、解脱に至る方法論がメインとなり、難解で敷居が高い上、この現世で積み重ねた因果が来世に影響するということを説かれたとき、過去の悪行を思い出した極道者達は挫折する。
それに対し、基督組系の教誨師の説く任侠道は単純明快で、救いを自覚できる。
『信ずるものは救われる』、つまり、殺人や傷害などの凶悪犯罪を犯して収監されている極道者であっても、ただ『基督如来』を信仰し、その罪を悔い改めることで救済されるのだ。
実際はもっと複雑怪奇なロジックが組まれているのだが…兎に角懲役に行っている極道者達は、一定数、この基督組と盃を結んでいる者がいる。
…その基督組の分家、和地関組の組長が亡くなったというのだ。
*****
和地関組本部事務所の裏にある基督寺の本堂。
屋根の上には十字の代紋が朝日に光る。
門前には、この世界列島各地の組の代紋が掲げられた花輪が並び、親分衆が黒紋付に身を包んで整列していた。
堂内には、白い菊と百合で飾られた祭壇。
中央に置かれた遺影の風蘭 静雄組長は、柔和な笑みを浮かべ、胸には基督組の十字の代紋をたたえている。
その前に、黄金の燭台と香炉が静かに煙を立ち上らせている。
「信ン~ずるゥ~者ォ~はァ~、救ゥ~われェ~るゥ~…」
ポクポクと叩かれる木魚の音と、基督寺の住職の読経が響く。
鳴門組長がゆっくりと焼香台へ進む。
その姿を、宇克羅組の宇呂富組長が見つめている。
焼香を終えた鳴門組長が宇呂富組長に気づき、ほんの一瞬だけ視線を送る。
宇呂富組長もまた、無言で軽く会釈を返す。
…その一瞬を、亜米利加組の丸古若頭代行と、宇克羅組の〆張若頭は、見逃さなかった。
住職が、御鈴を三度打ち鳴らす。
それは、風蘭組長の旅立ちを告げる音であると同時に、この場に集った全ての極道者に、新たな局面の始まりを知らせる合図でもあった。
*****
「ささ、おやっさん。こっちへ来んさいや。」
丸古が基督寺の離れにある茶室に敷かれた座布団に鳴門組長を追いやる。
「おい、何しよんじゃ丸古ォ!義理掛けぁもう終わっとるじゃろうがい……ごあぁぁっ!」
鳴門組長が声を上げる。
「ちょいとおやっさん。帰る前に行くところがありますんで、頼みますわ。」
〆張若頭が宇呂富組長の羽織の裾を引っ張る。
「おいおい、何なんだよ〆張!サッサと帰って露西亜組を……はぁぁッ!?」
茶室に敷かれた座布団の上に腰を下ろし、亜米利加組と宇克羅組のそれぞれの組長が、数か月前のナシ付け以来の時を経て向き合う。
『………』
両者は無言で向き合う。
亜米利加組の丸古と、宇克羅組の〆張は、固唾をのんで見守る。
「…ここンとこ、ちいとウチのカカアがやかましうてのォ…。」
鳴門組長が、口を開く。
「…ええ、そうでしょうよ。俺も、家内には頭が上がりませんわ。」
宇呂富組長も、笑みを浮かべて言葉を返す。
丸古と、〆張は、顔を合わせて互いににっこりと微笑んで見せる。
「なぁ、宇呂富よぉ…。まぁワシもなぁ、おどれらのナシが付かんことにゃあ、枕ぁ高こうして寝れんのじゃけぇの。…裏島の親父とこじれとるんなら、遠慮せんとワシを頼ってこんかいや。」
少し躊躇いがちに、鳴門組長が呼びかける。
「…ええ、そうさせていただきますよ。ご厚情、感謝します。鳴門組長。」
微笑みながら宇呂富組長が言葉を返す。
それを見た丸古と、〆張は、互いの顔を見つめ、安堵のため息を漏らした。
この日、鳴門組長と宇呂富組長は和解した。
鳴門組長は宇克羅組と露西亜組の手打ちの仲介を申し出て、両組の幹部を安堵させたが…鳴門組長の考える『手打ち』。
これがのちに波紋をもたらすことになる。