拾漆 露西亜組の苦悩②
そしてその後数年間をかけ、露西亜組と宇克羅組の抗争は膠着状態を装いながらも徐々にエスカレートしていった。
「今日はよォ、お前らの言い分、聞いてやっからよォ……ありがてぇと思えや、この野郎!!」
ここは克里米亜島の寄り合い所。
出入口はドスとチャカで武装した、露西亜組の若衆が固めている。
パンチパーマにサングラス、派手な柄のシャツに抜き身の長ドスや金属バット等、各々が凶器を持った露西亜組の組員に囲まれて涙目になり、ガタガタと震えているのは克里米亜島のカタギ衆だ。
「今日からよォ、このシマは俺ら、露西亜組がケツを持ってやっからよォ。
…おい、コンクリちゃんと混ざってるか?…何ィ?グズグズしてねえでサッサと手ェ動かせ馬鹿野郎!」
パンチパーマの若衆が弟分と思われるチンピラに蹴りを入れる。
兄貴スンマセンと叫びながら弟分は建物裏手に走っていく。
「…あァ、悪りぃな。内輪の段取りよ。
それでだ、文句が無ぇならこのまま帰してやる。
『ケツ持つ』ってのはな、ウチの代紋背負ってテメェら守ってやるって話だ。
……文句がある奴は──ちょいと裏で話つけようじゃねぇか。文句がある奴の『ケツは持ってやれねぇ』からな。
よく考えてくれや。なァ?」
そして組員が運んできた机に、怯えるカタギ衆一人一人が連れてこられ、露西亜組の代紋と宇克羅組の代紋の印刷された紙を渡され、どちらかにマルを付けるよう脅される。
「ほう、テメェ、いい度胸じゃねぇか!ちょっと裏に来いやァ!」
宇克羅組の代紋にマルを付けたカタギが裏手に連れていかれる。
数分後、ヤキを入れられボロボロになった姿で再び入り口から入ってくる。
「…すんません、マル付ける場所間違えてました…。」
そう言うと、露西亜組の代紋にマルを付け直す。
「……という首尾です、おやっさん。カタギの皆様、快くウチにケツ持ちを頼んでいかれましたよ。」
組員の報告を受けた裏島組長は指示を出す。
「それなら各組の親分衆に義理状回してやんねえとな。伊良部、状を回しといてくれ。」
伊良部は硯を引き、代紋の印刷された上質な紙に、カタギ衆の総意を受けて露西亜組が克里米亜島のケツを持つことがしたためられてゆく。
*****
「…裏島ぁ…おどれ、ほんまえげつなぁ真似しよるのぉ。」
小浜総裁は、宇克羅組の幹部が持ってきた露西亜組の義理回状を読んでため息を吐く。
「じゃがの、ワシらぁ手ぇ出さんけぇの。おどれら、ウチと盃も交わしとらんじゃろうがい。
まぁ、口ぐらいは出したるわい…ウチの兄弟分は、克里米亜島ぁおどれらのシマじゃと認めちゃるけぇの。
すまんのぉ、ワシらに出来るんは、せいぜいここまでじゃけぇ。」
がっくりと肩を落として総裁室を出ていく宇克羅組の幹部を見送ると、小浜総裁はもう一つ大きなため息を吐いた。
克里米亜島では暴力によるシマの取り合いのフェーズは終わり、シマの支配を既成事実化する露西亜組とそれを認めない那統会の、啖呵と黒社会の政治力学による綱引きのフェーズに入っていた。
一方、宇克羅組のシマの東部、頓涅盆地では依然、暴力の応酬が続いていた。
ここは克里米亜島に蓋をするような立地にあり、ここを露西亜組が押さえると、宇克羅組と克里米亜島は地理的に切り離され、奪還は困難になる。
ここは露西亜組が意図的にカチコミを仕掛けたわけではないが、現地の露西亜組系の半グレが暴走し、宇克羅組との抗争を始めた。
露西亜組はこれを好機とばかりに、全力で支援した。
「死にさらせコラぁ!」
半グレのチンピラが露西亜組から渡されたチャカを弾く。
「きゃーっ!!…あ、アンタぁ!アンタぁ!!」
その弾は宇克羅組の組員にではなく、通りすがりの八百屋の親父の胸を撃ち抜く。
地面に横たわる八百屋の親父に縋りついて慟哭するカミさんの声があたりに響き渡る。
頓涅盆地地方では、これが日常になった。
抗争に巻き込まれて命を落とす、カタギの犠牲者もどんどん増えていく。
極道者達の隠語で『国連安保理』と呼ばれる、警察の暴対課に各組の幹部が呼び出され、取り調べや話し合いが行われたが、何の効果も無かった。
警察を牛耳っているのは亜米利加組や露西亜組等の裏社会の人間だ。
当事者同士が思惑をぶつけ合うだけの場であり、公権力による介入が及ばない以上、何の解決も導き出せない。
そして遂に、その日が来る。
「宇呂富の、今度ばっかしはアカンだがや。おみゃあ、タマぁ取られるでよ。」
電話口で波蘭組の洞田組長は警告する。
宇克羅組は暫く前に宇呂富組長に代替わりしていた。
「悪いことは言わんがや、逃げぇ、宇呂富。ウチの若い衆の車回したるで、それに乗りゃあせ。…時間がねぇだで!」
克里米亜島へのカチコミから数年間の時を経て、宇克羅組と露西亜組の緊張は極限まで高まっていた。
もはやこれまでの小競り合いでは収まりがつかない。組同士の全面抗争は秒読みだった。
宇呂富組長は机の上のチャカを撫でる。そしてハッキリと洞田組長に言う。
「ありがとよ、洞田の。…だけどよ、代紋しょって立つ極道がシマぁほっぽり出してケツまくって逃げたんじゃァ、メンツが立たねぇや。
俺はよォ、逃げも隠れもしねぇ。露西亜組の外道共、来るなら来やがれ!片っ端からヤキ入れてコンクリ詰めて黒海に沈めてやらぁ!」
電話を置くと、宇呂富組長はスーツを脱ぎ捨てる。
不死鳥の彫り物が、胴にまかれたサラシの隙間から顔を出す。
「お前ら、道具は持ったか?…露西亜組の外道共の目にモノ見せてやれ!」
*****
回想を終えた裏島組長は目を開く。
「宇呂富の野郎…手間ぁ取らせやがって。」
宇克羅組を数日で壊滅させるだけのチャカと兵隊は送ったはずだった。
宇呂富はカチコミと同時に逃走するか、拉致して指を詰めさせて引退させるはずだった。
結局そのどちらにもならなかった。
シマを離れることなく組事務所に立てこもり、ドスを振って檄を飛ばす宇呂富組長。
圧倒的な大軍に怯むことなく立ち向かう宇克羅組の若衆。
任侠道の美学を体現して戦うその姿に、那統会の重鎮は心を打たれた。
更にこの露西亜組の暴挙は、那統会にも波乱をもたらした。
那統会の長老が言った。
「……裏島の外道、まさかここまでやりよるとは思わんかったわ。
おどれら、松木田のオヤジが言うとったこと、よう思い出してみぃや。
これはなぁ、宇克羅組だけの話ちゃうねん。那統会だけの話でもあらへん。」
一拍切ると、タバコを灰皿の上で弾く。ぱらりと、タバコの灰が落ちる。
「……世界列島まるごとの問題やっちゅうこっちゃ。」
『覇権国家』……。かつての英吉利組の重鎮、松木田 春雄翁の予言が現実味を帯びてきたことを、那統会の面々はひしひしと感じていた。
那統会は、『覇権国家』誕生を阻止するため、宇克羅組を全力支援…と言っても兵隊を送って直接露西亜組と戦うわけではないが…することを決意。
那統会の全面支援を受けた宇克羅組は善戦し、露西亜組の猛攻を食い止めた。
そして今、戦線は膠着している。
それもただの膠着ではない。
10年前の膠着は、小競り合いの状態での膠着だ。
それに対し今は、お互い総力を挙げた全面戦争の状態で膠着している。
チャカも、兵隊も、つぎ込んだ先から溶けてゆく。
露西亜組のシマはハートランドにある。継戦に必要な資源は無限に手に入る。
しかし…その資源を加工してチャカを密造するのは人間だし、兵隊も人間だ。
その人間は無限ではない。
「女渡部ぇ!来い!」
若頭の女渡部が駆け付ける。
「中共組の近平組長に電話入れろ。あと白頭組の金正組長にも。挨拶に行くぞ。
…見てやがれ宇呂富!地べたに這いつくばって泥すすってでも、テメェは地獄に叩きこんでやる!」
露西亜組と宇克羅組の抗争…それはコミュニケーションのもつれや、ゼニのために始まったものではない。
…そんなものより遥かにタチの悪い、「構造」から起こるべくして起こった抗争だ。
「おやっさん、車の準備ができました。…どうか、お気をつけて。」
高級車に乗り込んだ裏島組長。
露西亜組の組員が門の外で整列し、最敬礼で見送る。
コミュニケーションのもつれは、対話によって解決できる。
ゼニが目的なら、ドンパチよりシノギに注力したほうが効率が良い。
しかし、「構造」で起きる争いには、つける薬はない。
露西亜組と宇克羅組は、行くところまで行く運命にあった。