拾伍 以色列組と巴勒斯坦組の抗争③
そして2年の時が流れた。
「のぅ、羽仁屋の。ワレ、ワシに感謝せぇや。
──根谷屋の。羽仁屋のバカタレもこうやって頭下げとるけぇ、堪忍してやってくれや。」
少し短くなった左手の小指に血の滲んだ包帯を巻いている巴勒斯坦組の羽仁屋組長。
苦々しそうに鳴門組長と根谷屋組長を睨みつけている。
抗争は亜米利加組の支援を受けた以色列組の圧倒的な暴力を以て、加沙町は廃墟に変わった。
チャカも若衆も尽き果てた巴勒斯坦組は、手打ちを持ち掛けた鳴門組長の提案に乗るしかなかった。
羽仁屋組長は指を詰め、根谷屋組長と手打ちの盃を交わした。
「さっすが天下の鳴門の兄ィだわ。
羽仁屋の外道のあの吠え面、今でも目ぇに焼き付いとるがね。」
根谷屋組長は口ではそう言うが、内心は訳がわからなかった。
抗争のきっかけとなった巴勒斯坦組のカタギ襲撃。
加沙町を殲滅する大義名分としては十分で、根谷屋組長は徹底的にやるつもりだった。
梅傳組長も、他の親分衆のいる表の寄り合いでは『ちぃとやりすぎとるんじゃねぇか、大概にしとけや』とは言っていたものの、裏ではキッチリとチャカを回してくれていた。
──ほんならつまり、とことんやってまえってことじゃなかったんかい?
根谷屋組長は怪訝に思っていた。
「あんだけの大抗争をピタッと鎮めちまうなんざ、濃辺平和賞モンですわ、兄貴。」
苦々しい気持ちを顔の下に隠しながら、根谷屋組長は精一杯の皮肉を言う。
──濃辺平和賞。
手榴弾密造のシノギで莫大な富を築いた瑞典組の極道、濃辺 有附が出家した際に設立した栄典で、手打ちの仲介等、任侠界の平和維持に貢献した渡世人に贈られる。
大変な名誉とされ、先代の亜米利加組の組長、小浜組長も受賞したことがある。
「貫目もワシぐらいになりゃのぉ、一発カマシ入れるだけで羽仁屋ぐれぇの小僧ぁションベンちびって詫び入れてくるけぇの、ガハハハ!
…ところでのぉ、ホンマにワシ、濃辺平和賞モンなんかいのぉ?」
よくぞ話題に出してくれたと顔に書いてある鳴門組長がソワソワした雰囲気で問いかける。
まさか兄ィ、そのためにウチの邪魔しくさったんか?
というささやかな疑問を振り払いながらも、「そらぁ当たり前じゃろうがい、兄ィ」と答えると、鳴門組長は満面の笑みを浮かべ、満足そうに言った。
「じゃろうじゃろう、よう分かっとるのぉ、根谷屋ぁ!
せやけぇ、おどれ、ワシを濃辺寺に推薦せぇや。
小浜の貫目足らずが貰うとって、ワシが貰えんわけぁなかろうがい。」
……根谷屋組長は、全身から力が抜けていくのを感じた。
に、兄ィ!アンタ、それだけのために……!
根谷屋組長の瞼の裏には、この抗争で命を落としていった以色列組の組員達の顔が浮かんでいった。
*****
──しかし、2カ月と経たないうちに、加沙町に以色列組の組員が目撃されるようになった。
パンチパーマにサングラス、派手な色のスーツを着込んだ三人組が黒塗りの高級車から降りると、民家のドアを蹴り開ける。
「おばんですなぁ、大将。」
番年嵩の若衆が、にやりと笑って頭を下げる。
背後の二人は無言で、家主の顔に煙草の煙を吹きかけた後、吸い殻を壁に押し付けて消火したり、郵便受けをガタガタ揺らしたりしている。
「ウチの親分がなぁ、ここら一帯まとめて更地にして、ええビル建てる言うとるんだわ。
大将も、そろそろ潮時ちゃいますか」
ガシャン。
後ろで郵便受けを揺らしていた若衆は郵便受けを引っこ抜く。
勢いあまって倒れた郵便受けが玄関脇の植木鉢に当たり、植木鉢を地面に叩き落とす。
飛び散った土でスーツの裾を汚した年嵩の若衆が激昂し、家主の胸倉を掴む。
「おみゃあ!何さらしとるんだわボケぇ!ワシのスーツ汚しやがったなぁ、あぁ!?
このケジメ、どうつけるつもりだがやコラぁ!」
わざとらしく後ろの背の高い若衆が年嵩の若衆を止める。
「兄貴、そのへんにしときましょうて。
大将も引っ越しの準備ある言うとりますわ。
…なぁ?そうだがや、大将。
ところでな、この辺は夜ぁ物騒だでよ、戸締まりはようしときゃあよ。」
──結局、ほどなくすると加沙町は再び以色列組と巴勒斯坦の抗争の炎に包まれた。
この動きは当然鳴門組長の耳にも入った。
そして自らの仲裁を台無しにされ、メンツを潰された形となった鳴門組長は激怒した。
「ワレェ!根谷屋ァ!おどれワシをおちょくっちょるんかい!」
鳴門組長は根谷屋組長を亜米利加組の本家事務所に呼びつけ、こめかみに青筋を立てて怒鳴りつけている。
「ワシに恥かかせよったのぉ、根谷屋ぁ!
許さんけぇの、チャカ送るん止めたろうかワレぇ…あぁん?」
──ああっ、以色列組も以色列組じゃが、それもそれでマズいんじゃ!
亜米利加組と以色列組の亀裂そのもんがのぉ、巴勒斯坦組ひいては伊蘭組を利することになるけぇのぉ!
亜米利加組の丸古若頭代行が頭をかきむしる。
「いやいや、鳴門の兄ィ、先に手ぇ出してきたんは巴勒斯坦組だがや。
…あのド外道、ウチの若い衆のドタマぁ植木鉢でカチ割りよったんですわ。」
根谷屋組長は飄々と説明する。
「…それよか兄ィ、あのシマぁ巴勒斯坦組のド外道には宝の持ち腐れだがや。
ウチらがきっちり地上げして、兄ィに差し上げますわ。
そうだがや兄ィ、あそこにリゾート作りましょうや。兄ィの銅像、広場の真ん中にドンと建てますわ。」
──おどりゃいけしゃあしゃあと!
丸古はどやしつけてやろうかと口を開きかけたところで、ふと鳴門組長の方を見る。
鳴門組長の目が輝いていた。