拾四 以色列組と巴勒斯坦組の抗争②
根谷屋組長は即座に報復に出た。
カタギへの攻撃という、任侠道の掟を破る巴勒斯坦組の暴挙には亜米利加組とその盃兄弟も激怒。
宇克羅組と露西亜組の抗争でチャカの在庫は心許なかったが、根谷屋組長にチャカを送るなどの援助を実行した。
「根谷屋の、どうじゃい、加沙町の首尾ン方はぁ?」
亜米利加組の本家奥座敷。
根谷屋組長は、梅傳組長の正面に座り、徳利から酒を注いでいる。
梅傳組長はゆっくりと御猪口を受け取り、口を湿らせた。
「梅傳の兄ィ、この前のカチコミん時は、弾もチャカも山ほど回してもろうて、ほんま助かったがや。
けんど、兄ィの若い衆は加沙町にゃ一人も入っとらんかったなぁ。
……あれは、どういう了見だがや?」
梅傳組長は御猪口を置き、煙草を取り出す。
すかさず部屋住みが灰皿を持ち、煙草に火をつける。
紫煙の向こうで、目だけが鋭く光った。
「根谷屋ぁ、いつものことじゃけぇ、わかっとるじゃろ?
ウチが直接、加沙町に踏み込んだらのぉ、それこそ伊蘭組の息ぃかかった連中に、一斉にカチ込む口実ぁ与えてしもうことになるんじゃけぇの。」
──以色列組のシマは、海と敵地に囲まれている。
西は一面、海に面している。
北の黎巴嫩組、叙利亜組は東のランドパワー系任侠組織、伊蘭組と舎弟盃を結んでいる。
伊蘭組は、以色列組とは筋が異なり、敵対関係にある。この二組織は、いつ以色列組にカチコミをかけてくるかわからない。
東にシマを接する約旦組も、盃を持たない敵対的な任侠組織だ。
南の埃及組は毒にも薬にもならずまあ安心だが、内心は以色列組を嫌っている。
…その埃及組と以色列組のシマの間にポツンとあるのが、伊蘭組の舎弟、巴勒斯坦組の支配する加沙町だ。
「…ま、そんなぁが加沙町を更地にしてくれりゃあ、ワシらにゃあブチ助かるんじゃがのぉ。
じゃがのぉ……。」
梅傳組長は部屋住みの差し出した灰皿に煙草を押し付けると、少し天を見つめる。
──この加沙町、以色列組にとってはもちろん、亜米利加組にとっても目の上のたん瘤だ。
第一に、ここが明確に以色列組に敵対しており、ここに若衆を張り付ける必要があるため、兵力を取られる。
北で伊蘭組の舎弟と対峙している以上、ここに若衆を常時張り付けるのは以色列組にとって負担が重い。
第二にこの加沙町の立地、ここから以色列組の港湾はロケットランチャーの射程圏内だ。
ここからロケットランチャーを発射すれば、以色列組の生命線である港湾を壊滅させられる。
そしてこれは亜米利加組にとっても非常にマズい。
何故なら亜米利加組はここの港があるから、『東地中海』と極道者達の間で呼ばれる海域で天下を取っている。
ここが使えなくなると、亜米利加組は拠点を失い、東地中海は辺りで優勢な露西亜組や伊蘭組の手に堕ちる。
なので亜米利加組は以色列組のシマに組事務を置き、チャカも隠し持っている。
また加沙町そのものが伊蘭組の海への玄関口たりうる。
実際は漁師の親父が網を手入れしながらタバコを吹かす程度の寂れた漁港しかないが、それでも「港がある」という事実そのものが伊蘭組の心の支えとなる。
ここを潰しておけば伊蘭組の勢力を排除できる。
「……じゃがのぉ、ウチが手ぇ出したら、亜剌比亜会の連中との盃ぁ水にされてまうけぇの。
当然、おどれが巴勒斯坦組に殺られたら、困るんはウチじゃけぇの。
チャカはなんぼでも送ったるし、いざとなりゃケツも持っちゃる。
じゃがのぉ、亜剌比亜会の連中にもええ顔しとらにゃあ、おどれのことも守っちゃれんようになるけぇの。」
──この東地中海と同じくらい重要な海域が、こことアラビア海、ひいては太平洋を連結する紅海と呼ばれる海域だ。
ここは両脇を亜剌比亜会を構成する任侠組織のシマに挟まれており、亜剌比亜会と敵対すると亜米利加組の紅海、ひいてはそことつながる東地中海の覇権にも影響する。
そして以色列組は亜剌比亜会とも敵対関係にある。
そう、亜米利加組は東地中海の覇権の為に、以色列組を裏では支援しつつ、表では以色列組に近づきすぎて亜剌比亜会にソッポを向かれないよう、絶妙な距離を保つ必要があるのだ。
「…ウチはのぉ、海の向こうから若い衆にチャカ持たせて船に乗せての、『誰も手ぇ出すなや』言うて睨み利かしとる方がええんじゃわ。」
そう言うと梅傳組長は御猪口に手を伸ばし、口を付ける。
根谷屋組長も鼻で笑い、盃をあおる。
「なるほどな……兄ィは海から睨み、ワシらが陸で血を流すっちゅう寸法か。
まぁええわ、義理と盃は確かに受け取ったがや。
けんど、ウチのシマに手ぇ出した外道は、ワシがきっちりケジメ取らせてもらうでよ。」
──亜米利加組にとって一番重要なのは、以色列組のシマの平穏だ。
加沙町が無いに越したことはないが、以色列組と揉め事さえ起こしてくれなければ基本的にはどうでもよい。
しかし──加沙町殲滅の大義名分があり、そしてその非道の批判を以色列組が全て引き受けてくれるなら話は別だ。
亜米利加組の静止を振り切ってやってくれるなら尚更だ。
「まぁ、うまいことやってくれや、兄弟。入用なモンがあったら、遠慮せんとワシに言うてきんさいや。」
梅傳組長は笑みを浮かべながら静かに言うと、再び御猪口を差し出した。
二人の御猪口に新しく酒が注がれ、部屋の空気が一段と重くなる──。