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第一章:〈第三階層〉より這い出たるもの  


――風が、鳴いていた。


腐臭と鉄錆と死の混ざった空気が、かつて都市と呼ばれたこの廃墟の上を、笛のように吹き抜けていく。

音は、どこか人の声に似ていた。

助けを求めるような。

あるいは、自分を見失ってしまった誰かの、すすり泣き。


 


俺は、その音を無視した。


そういう声に耳を貸す奴から、順に死ぬ。

地獄じゃそれが“ルール”だ。

何より俺は、優しくもなければ暇でもない。


 


だが、今日は運が悪かった。

声の主が、“生きていた”からだ。


 


焼け落ちた聖堂の影、半壊したステンドグラスの破片を踏み越えて、俺はそれを見つけた。

瓦礫の下から、腕が一本、伸びていた。

皮膚はところどころ剥がれ、骨と金属が露出している。

片目は潰れていた。だが、残った片方は――水晶のように、妙に澄んでいた。


 


「……おい、そこは“人間”の通り道だ。這い出てくるなら、せめて挨拶の一つもしろ」


 


俺がそう言うと、瓦礫の中の“それ”がぴくりと動いた。

次の瞬間には、斬首剣が俺の喉元に突きつけられていた。

本当に、瞬きの間の出来事だった。


 


「……人間?」


その少女は言った。


「それは、あなたのこと?」


 


片目は水晶、片腕は刃、声は少女――だが、こいつは“人間”じゃない。

体の半分は既に、何か別のものに食われてる。

あるいは、“神の残骸”に取り込まれたか。


 


「名乗る気があるなら、今のうちに言っておけ。俺は名前で呼ぶ主義なんだ」


「……リュリュ。リュリュ・レオナール」


「ふぅん。いい名前だ。で、何階層から這い出てきた?」


「第三。上にはもう、何も残ってなかった」


 


第三階層か。

なら、なおさら話が早い。


第三階層は、“信仰の沈殿地”と呼ばれている。

旧世界の神殿や宗教都市が、そのまま地中に沈んだ場所。

そこに残ってるのは、祈りの形をした病原菌と、信者の骨の山だけ。


 


「よく生きてたな」


「死んだのよ、一度」


リュリュは笑った。目は笑ってなかった。


「でもね、死体が這い出すには、理由が要るの」


「おいおい、化け物が哲学語るなよ。吐いた言葉が呪いになるぞ」


「そう、もうなってる。ずっと昔から」


 


……面倒な奴を拾った。

だが、こんな場所に“言葉の通じる何か”がいるのは、それだけで奇跡だ。

俺はその奇跡を、利用することに決めた。


 


「ついてこい、レオナール嬢。お前を連れていけるのは、地獄案内人だけだ」


「案内人……?」


「そう、俺の職業さ。

“神の死体”に名前をつけて、“化け物の住処”に標識を立てる、

……誰にも感謝されない仕事だ」


 


「地獄の出口は、あるの?」


「知らねぇよ。でも探す価値はある。少なくとも、燃やした地図にはそう書いてあった」


「どこに?」


「――“この地獄の果てに、未踏の空白あり”ってな」


 


少女は黙った。

その手が、ゆっくりと俺の背中に伸びる。

斬首剣は、既に彼女の肩に戻っていた。


 


「なら……あなたの地図の隅に、私の居場所を描いてくれる?」


 


俺は煙草に火を点けた。

灰の中から拾った葉っぱは、少し湿っていて、味がしなかった。


 


「居場所? んなもん、世界のどこにもねぇよ」


 


「……そう」


 


「でも、俺の地図には描いてやるさ。“ここにいた”ってな。

 それでいいんだろ?」


 


少女の片目が、微かに揺れた。

それは、涙かもしれなかったし、戦闘態勢の警戒かもしれなかった。

……まぁ、どっちでもいい。


 


俺たちは並んで歩き出した。

廃墟を、灰を、血の川を、過去の亡霊を踏み越えて。


 


“地獄”という名前の迷路を抜けるために。


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