8話 シルフィの1日
「今日も遅くなりそうだから、帰れそうな時間わかり次第連絡するよ」
「うん、わかった。行ってらっしゃい、ダーリン」
「ああ、行ってきます」
ダーリンの疲労の募った背中に、行ってらっしゃいを言うのにも慣れてきました。
ダーリンの家に住み始めてからあっという間に1か月が経ち、こちらの世界の生活にも大分慣れてきたシルフィ・ルシアーノ・エルリュークこと、私です。
「さて!」
気合を入れるために腕まくりをします。
ダーリンがお仕事に行っている間、私は家事をするのです。
最初の頃はお風呂の入り方すらわかりませんでしたが、今ではダーリンに家事を任せてもらえるまでになりました。今の私に死角はありません。
まずは、朝ごはんの食器を食器洗浄機に入れます。
そのあとは洗濯機を回している間に、お部屋に掃除機をかけていきます。
慣れはしたものの、未だにこちらの世界に魔法が存在していないことが信じられません。
今まさに動いている食器洗浄機も洗濯機も掃除機も、そのどれもが高度な技術で動いているのだとダーリンが教えてくれました。高度に発達した文明が生み出す技術というのものは、魔法と見分けがつかない、否、魔法をも超える利便性を生み出す、ということなんでしょうか。
詳しいことはよくわかりませんが、便利なのはいいことです。こちらの世界は、大気中の魔力濃度が極めて薄いため、使える魔法はどうしても小規模なものになってしまいますし、ダーリンから魔法の使用は出来る限り避けてほしいともお願いされてますからね。
掃除機をかけ終わると同時に、洗濯機が乾燥まで終わったことを知らせる音色を奏でるのが聞こえました。タイミング完璧です。
乾燥したての衣服を、洗濯機から取り出すこの瞬間が好きだったりします。温かくふわふわに仕上がった服たちに顔をうずめるのが好きなのです。
ふわふわを堪能した後は服を畳みます。
各衣類それぞれに綺麗な畳み方が存在するのにも驚きました。こちらの世界の人間たちが抱く衣食住への並々ならぬ情熱を感じずにはいられません。私たちエルフに、こんな習慣はなかったものですから。
「―あ」
ダーリンの寝間着です。
家に誰もいないのはわかっていますが、これからやろうとしていることの前に、ついきょろきょろと確認してしまいます。
誰も見てないし、ちょっとくらいいいよね?
私はダーリンの寝間着に思いっきり顔をうずめました。柔らかな柔軟剤の中に、確かに大好きな、そしてとても安心するダーリンのにおいがします。
「はわぁ…」
つい惚けた声が出てしまいました。ダーリン成分を摂取した後は、残りの服を手早く畳みます。
畳み終えると、お腹がきゅるきゅると鳴きました。気付けばもうお昼です。
今日のお昼ご飯はどうしましょうか。
昨日の夜に作り置きしておいた鶏肉のトマト煮に、千切りキャベツが残っているのでキャベツのサラダ。これで十分ですね。ご飯は冷凍のものをチンして食べましょう。
トマト煮の入ったお鍋を冷蔵庫から取り出して火にかけようとしたとき、ピンポーンとインターホンが鳴ったのが聞こえました。
誰が来たんでしょう?
インターホンの液晶を確認すると、
「やっほー! 今日お昼休みになったから遊びに来たよー」
「わぁ!」
そこにはあかねちゃんが映っていました。
彼女はダーリンのお仕事仲間の亮也さんの彼女さんです。初めて会った日からダーリンが買ってくれたスマホという通信機器で連絡をちょくちょく取っていました。
あかねちゃんは化粧品や美味しいものなど、いろんなことを知っていて、こちらの世界での私のお師匠みたいな存在です。
お昼はあかねちゃんと一緒に食べました。彼女に料理上手くなったねと言われたときは嬉しくてつい、年甲斐もなくはしゃいでしまいました。
そうだ! せっかくあかねちゃんが来てくれたんです。聞きたいことがあるんでした。
「ねぇあかねちゃん。ダーリンの一番好きな食べ物って何かな?」
「祐介の? たしかにあいつなんでも食べるし、なんでも基本美味しいって言うからなぁ」
腕を組んで少し悩んだ後、何かを思い出したようにあかねちゃんはぽんと手を叩きます。
「そういえば! 亮也と3人で飲みに行ったとき、揚げ出し豆腐が結構好きって言ってたわ」
「あげだしどうふ?」
「うん、揚げ出し豆腐。えーっとね…」
あかねちゃんがスマホで、レシピを見せてくれました。
お豆腐を片栗粉で揚げて、お出汁をかけた料理のよう。これなら私でも作れそうです。
「祐介の好きな食べ物聞くなんて、今日なにかあったっけ? あいつの誕生日はまだ先だし」
あかねちゃんは不思議そうに聞きました。そう、今日は。
「ダーリンが私に一緒に暮らそうって言ってくれた日から、ちょうど1か月なの。美味しいご飯作って、ありがとうって伝えたくて」
あのとき、ダーリンと会っていなかったら
あのとき、一緒に暮らそうって言ってくれなかったら。
きっと私は見ず知らずのこの世界で路頭に迷い、絶望しかできなかったと思います。ダーリンに出会えたことで、ダーリンの優しさに触れられたことで、私は今までで一番幸せな時間を過ごすことが出来ています。その感謝を、少しでも伝えたいのです。
「祐介は幸せ者だね。こんな可愛い子にこんなに想ってもらえるなんて」
私を見ながら、あかねちゃんは優しい笑顔を浮かべていました。
「よし! 美味しいご飯食べれたし、私はそろそろお暇しようかな。レシピメッセージで送っておくね」
そういうとあかねちゃんは勢いよく立ち上がって、
「シルフィちゃん見てたら、私も亮也に夜ご飯作ってあげたくなっちゃったし」
頬を少し赤くしながら言いました。
なんだかんだいいながらあかねちゃんも、亮也さんのことが大好きなんです。私は先程の言葉を借りて言いました。
「亮也さんは幸せ者だね。こんな素敵な女の子に好いてもらえて」
小さく笑い合うと、あかねちゃんは帰っていきました。
貰ったレシピをもとにお買い物を済ませ、家に帰ってきたとき。丁度ダーリンから電話がかかってきました。帰宅は8時頃になりそうとのことです。
ダーリンが返ってくる時間に合わせて、夜ご飯の準備をしましょう。
エルフの村にいたときは、料理は数えるほどしかしませんでした。料理自体は嫌いではなかったのですが、村長の娘という地位にいたため、食事はいつも専属の人が作っていました。
だから、なかなか私自身が料理をするという機会がなかったのです。
好きな人を想い、その人のためにご飯を作る。
これだけのことがこんなにも楽しく、こんなにも心温まるとは。ダーリンに出会わなければきっと知ることはなかったと思います。
ガチャリ。
玄関のドアが開く音が聞こえました。
「ただいまぁ~。つかれたぁ~。ん? すごいいいにおいする!」
同時に、大好きな声が聞こえました。嬉しさで、ぱたぱたと耳が勝手に動いてしまいます。
ダーリン。
これからも貴方の好きのもの、たくさん、たくさん作るからね。
「おかえりなさい、ダーリン!」