2話 ボーイ・ミーツ・エルフ 2
「私、貴方のお嫁さんになるわ! 今決めた!」
「…は?」
俺の低スペック脳では情報を処理しきるのに10秒ほどを要した。
つまり、俺今プロポーズされた?
嗚呼。笹原祐介、齢25年。短くも困難の多い人生だった。しかし、こんな美女から婚約を迫られるというのなら、こんな人生も悪くはな…じゃなくて。
「いやいや、いきなりすぎるって! ちょっと落ち着いて!」
「もう離さないわよ、ダーリン!」
聞く耳を持ちやしない。なんとか引き剥がそうと両手に力を入れたとき、俺の体は自分が二日酔いであることを思い出した。
抱きしめたまま動こうとしないシルフィの肩を優しく叩く。
「…? どうしたの? 何したってあと1時間は離れないからね!」
「…うん。でもね、吐きそう」
「アッ、スミマセン…」
静かに俺の上から移動し、正座しながら廊下のほうへ俺を促した。
この時ばかりは二日酔いに感謝した俺だった。
口から虹色を出し続けること数分。ひとまず落ち着いたところで、顔を洗ってからリビングへ戻ると、彼女はベッドに腰掛けながら水を飲んでいた。
「ごめんなさい、取り乱しちゃって」
コップを置き、赤らんだ頬を横髪で隠す。
よかった。少しは落ち着いたみたいだ。彼女の分と自分の分の水を汲み直し、彼女の隣に腰掛ける。コップを渡しながら、聞いた。
「ひとまずは、状況説明お願いできるかな?」
「そうね。ちょっと長くなるけど」
コホンと小さく咳払いしてから、事の顛末を話し始めた。
彼女の本名はシルフィ・ルシアーノ・エルリューク。
あるエルフの村の村長の娘だそうだ。交際したエルフの悉くに重い、束縛が激しいと振られ続けた。自分の運命の人を探して、多くのエルフと付き合っては振られるを繰り返した結果、村長の娘として求められる品性が欠けている、こうも男癖が悪いと手に追いきれないと言われ、一度外の世界を経験すれば欠けた品性も身につくだろうと、追放処分になった。そしてランダムに転送魔法をかけられた結果、こちらの世界の俺たちが出会った居酒屋の近くに転送された、とのことだ。
「つまりシルフィは異世界のエルフって解釈でいいのか?」
「ええそうね。この世界に来た時はびっくりしたわ。沢山のおっきな建物に、夜なのにどこもかしこもキラキラ明るくて! あれは魔法なのかしら?」
異世界に、ついには魔法と来た。これじゃあ俺が酔っ払って寝てる間に漫画の世界に迷い込んだって思ったほうが納得できそうだ。
あれ? ってことは。
「シルフィも魔法使えたりするのか?」
何となく聞いてみたところ、
「こっちの世界は、空気の魔力濃度が極端に低いから大技は出来ないけど」
と言いながら、人差し指を立てる。すると指の先の空気が歪み始め、小さな竜巻を起こした。
次いで、その竜巻を投げるように人差し指を振り下ろすと、テーブルの端に置いていたティッシュ箱から出ている1枚がスパスパと切り刻まれた。
「これくらいは出来るわね」
「すげぇ…」
切り刻まれたティッシュをまじまじと見ていると、
「こちらの世界の人は魔法を使えないのかしら?」
と聞いてきた。
「魔法なんて使えないよ。それに君が異世界から来たって言うのも信じられなかったけど…。こんなの見せられちゃったら信用せざるを得ないな」
俺は苦笑いしながら答えた。
それから俺は彼女が元いた世界のことについて詳しく聞いた。
どうやらその世界はこちらより文明というものはそこまで発達していないらしい。おそらく時代区分で言うところの中世程度といったところだろうか。化学が発達していない代わりに、魔法がとってかわり、生活の利便性をあげていたようだ。
ある程度、彼女が置かれた状況に理解が追いついた頃、シルフィは先ほどとは打って変わり、殊勝な態度で聞いてきた。
「…ねぇ。答えを聞いてもいいかしら」
「答え…?」
頭の上に疑問符が浮かぶも、すぐに先ほどのプロポーズに対する解を聞いたのだと理解した。
正直、こんな美人に求婚されたというのは飛び上がるほど嬉しい。
しかし、俺は彼女のことを今日知った事実以上には知らないし、それは彼女とて同じだ。だから。
「…ごめん」
俺がそういうと、彼女は静かに俯いた。
「…そうよね。いきなりでごめんなさい。今出ていくから…」
そう言うと、立ち上がり速足で部屋を去ろうとした。俺はその手を掴み、彼女の正面に立つ。
「…何よ」
俺の行動に驚いたのか、シルフィは顔をあげる。その眼には大粒の涙が貯まっていて、光を乱反射し、まるで万華鏡のように輝いていた。
「俺がいつ、出て行けって言ったんだ?」
俺の発言に、きょとんとするシルフィ。言葉の意味を理解出来ていない様子の彼女に、続ける。
「確かに、いきなり結婚なんてのは無理だ。だからさ、まずはお友達から…。いや違うな」
どう言えば彼女に俺の心の裡を正確に伝えられるだろうか。
俺は口が上手とはお世辞にも言えない。
だから、自然と零れる言葉に委ねることにした。
「俺、毎日毎日ボロボロで。会社と家の往復だけで、俺って何のために生きてるんだろってさ。君にお嫁さんになるって言われたとき、最初は驚いたけど凄い嬉しかったんだ」
たどたどしく言葉を紡ぐ俺を、シルフィはただ静かに見つめていた。
「こんな俺でも、君みたいなとびっきり素敵な人に求められていいんだって。こう、上手く言えないんだけど。俺も君のこともっと知りたいし、君にも俺のこともっと知って欲しいんだ」
自分でもうまく言えてないことはわかってる。それでも続ける。
「それにこっちの世界にいきなり転送させられて、行く当てもないだろうし。こっちの世界のこと色々教えられる人も必要でしょ? だから」
彼女を見ると、ぽろぽろと大粒の涙を流しながら俺を見つめていた。
シルフィと今こうなっているのは、久々の定時退勤でテンションが壊れていたのと、酔っ払った勢いによる産物であることは間違いない。こんなどうしようもない出会いでも、彼女は運命といった。
俺は神様とかそういうのは全く信じてない。
けど、こんなかっこ悪い運命なら。俺らしくていいじゃないかって思えたんだ。
「だから、お互いをもっともっと知るために。一緒に暮らそっか」
シルフィは涙をくしゃくしゃになりながらも、満面の笑みで言った。
「よろしくお願いします、ダーリン!」